温もり

@yamaf_32

温もり

...ここはどこだろう。陽の光が眩しい。いったいどれくらい寝ていたんだろうか。わたしは誰もいない部屋で1人孤独に目を覚ました。あたりを見渡すと、誰かが過ごした形跡のある生活感のある部屋が広がっていた。日付は2030年6月4日。虫の日だ。そんなことを思いながら起き上がろうとすると、妙に体が思うように動かない。なんだか上手く喋ることもできない。ん?何かがおかしい。そう思い視線を下にやると、細長く伸びた腕と丸みを帯び、足のない体が目に入った。わたしは目の前に蛾が飛んできたのだと思った。いや、思いたかった。しかしそれは、紛れもなく自分の体であった。涙を流す隙もなかった。ただただひたすらに絶望がわたしを襲った。それから何日間だろうか。植物にでもなったかのように虚無になった。何も考えられない。その時、スマホが鳴った。母からだ。「久しぶり。体調は大丈夫?社会人デビューしてから2ヶ月が経つけど、仕事は順調?辛かったらいつでも無理せず帰っておいで。応援してるよ。」暖かかった。あぁ、そうだ。わたしはなんでこんなことになってしまったんだろう。-------------2030年4月。大学を卒業し、私が就きたかった会社に就職することもできた。大学時代、フットサルサークルに所属し、居酒屋のアルバイトではバイトリーダーを務める。人間関係は友好で、幅広くみんな仲良かった。私が自分で言うのもなんだかあれだが、順風満帆な人生を送ってきたと胸を張って言える。そんな中訪れた4月。ウキウキで初出勤し、会社の人たちとも仲良くなりたいと意気込んでいた。1週間ほどたったある日、会社の人事のお偉いさんから呼び出しがかかった。その時既に嫌な予感はしていたのだ。そうして入った会議室。なんとも言えない表情で佇むお偉いさんを前に、イスに座る。「地方の支社でトラブルが起こってしまった。そこで本社から2人ほど助っ人を1年ほど貸すということになってしまってね。なんでもこなして明るい性格の君にお願いしたいと考えているのだがどうかい?」異動のお願いだった。正直行きたくない気持ちもあった。だがそこで好奇心が勝った。地方でも学べることはたくさんある。私ならどこでもやっていけるだろう。そう思い。快諾した。そしてやってきた異動の日。みんなに励まされながら目的の地に向かった。そして迎えた翌朝。出社し挨拶をすると、やけに人が少ない。すると1人の人がこちらに向かってきて挨拶をした。「君が本社から来てくれた助っ人の子か。1年という短い間だが仲良く仕事をしていこう。」優しそうな人で少し安心した。そこで尋ねてみた。「なぜこんなにも人が少ないのですか?」するとこう答えた。「実は君を呼ぶきっかけになったトラブルが社員みんなに大きな精神的ダメージを与えてしまってね。今は少しずつ回復するために休養を取ってもらったりリモートで働いてもらったりしているんだ。」なるほど。そんなわけでこんなに人が少ないのか。人との関わりを生きがいとしていた私にとってはだいぶショックなことだった。それから1ヶ月と少し、世の中は梅雨になる頃だったか。人との関わりが全然ない環境はわたしにとっては地獄だった。あぁ、早くこんな生活抜け出したい。そんなことを思いながらいつも通り眠りについた。そして目を覚ましたらこんな体になっていた。---------------わたしは母に打ち明けた。最初は信じてくれなかった。だが話をするうちにだんだんと信じるようになり、会社には1度長い休みを貰い、1度実家に帰ることになった。母が迎えに来てわたしの姿を目の当たりにすると、かける言葉が見つからなかったのか、ただ気持ち悪かったからなのか、言葉を失ってしまった。少しして、「ほんとにお母さんの息子なの?」疑ってそう尋ねてしまうほどにわたしは変わり果ててしまった。周りの人に見られないように車に乗りこみ、実家まで帰る。でも帰りたくなかった。この姿を家族に見られて怖がられるのが怖かった。人の温もりを感じられなくなってこの姿になってしまったのに、妹や弟などの家族にさえも温もりを感じられなくなったらわたしはどう生きればいいんだ。そんなことを考えていると、運転席の母から声をかけられた。「きっと怖がられないか心配していると思う。けどね、どんな姿になろうとあなたの親はあなたを蔑んだり怖がったりしない。親にとって子供はいつでも世界一かわいくて大切なんだよ。」あぁ、そうだ。わたしはこの温もりが何より好きだった。その言葉だけでわたしは救われた。なんだか急に視界が悪くなった。今日は暑いし目から汗が出たのかな。そうしているうちに家に着いた。家に入るとそこには妹、弟、そして父が糸に操られているかのように緊張した様子で座っていた。わたしの姿を見ると、すこし顔が強ばった。でもすぐに顔が明るくなった。わたしにはそれがわたしを元気づけるために無理して作っている顔だとすぐに分かった。だがその温もりでさえも、わたしにはとてつもなく嬉しかった。わたしを受け入れてくれる。楽しく話をしながら食事ができる。この空間がずっと続けばいいのに。そう強く願った。その瞬間、家の中で稲妻が走った。そのくらい強い光がわたしたちを襲った---わたしは目を覚ました。みんな気絶してしまっていたようだ。「起きて。」みんなを起こす。そうして起きたわたしの家族たちは、目から眼球が飛び出るんじゃないかくらいの勢いでわたしに視線を飛ばした。「どうした?いまさらこんな姿になってしまった私に驚いたか?」つい少し怒り口調でそう言ってしまった。すると、「そんなわけない!いいから早く洗面所に行って鏡を見て!」「嫌だ。私はもうこんな姿になってしまった現実から目を背けたいんだ。」「いいから!」あれ?なんか今日は上手く喋れるな、そんなことを考えながら連れていかれるがままに鏡の前へ。するとどうしたことだろうか。そこには「私」が映っていた。もう蛾になってしまった気持ちの悪い姿の「わたし」はどこにもいなかった。涙が止まらなかった。これは現実なのか!?本当に戻ったのか!?戸惑いと嬉しさの狭間でなんとも形容しがたい感情になった。「「「良かった、!ほんとうによかった!」」」家族みんなに祝福され母は大粒の涙を流していた。人の温もりから離れた生活で変わってしまったわたしは、家族の温もりによって再び元の私にもどることができたのだ。やはり人の温もりというものは人生の中で欠けてはいけない、私を形作るピースなのだ。そう強く感じた瞬間であった。

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