第50話 愚策

 信じた神にすら見捨てられた、哀れなオクタヴィア。

 彼女を救うために、ルキウスは神になるしかなかった。


 けれどローマでは、実在する皇帝を正式に神と認める事はない。

 ローマの新しき神と呼ばれるルキウスではあるが、実際には神として崇められているわけではなかった。それに等しい力を持った英雄との表現がより正しいだろうか。


 まず手を付けたのは、亡くなったアウグスタの神格化だった。死後に神とされるのは、珍しいことではない。

 小さな死者を神に祀り上げるのは、多少胸が痛むもオクタヴィアのためだ。きっとアウグスタも、理解してくれる。


 次は、ルキウス自身だった。

 そこで、悩む。無理に神格化を推し進めては、民や元老院からの反発があるだろう。ルキウスの脳裏に、一世紀前の英雄、ユリウス・カエサルの姿が浮かんだ。


 彼は実質的に皇帝と同じ権力を持ちながら、「王」の名に憧れ、強引に進めたがために暗殺された。

 「神」と「王」の差はあるが、望みはほぼ同じ。その末路を自分と重ね合わせることは、あまりにも容易だった。


 暗殺などされては、意味がない。何とかして方法を考えなければならなかった。


 思いついたのは、エジプトだった。

 かの地は、古くから王を神として崇めている。

 現に、アレクサンドリアの港には、皇帝ネロの神像が立てられていると聞く。

 エジプトだけではない。ギリシアでも、かつての英雄マルクス・アントニウスが酒神ディオニソスと同視されていた。それにあやかることは可能ではないか。


 ギリシアへ行き、そこからエジプトへと渡る。

 二大植民地で神の呼び名を確実にした上で、ローマに凱旋する――悪くない、はずだ。


「恐れながら皇帝、その計画には賛同いたしかねます」


 ローマを離れるにあたって、代理人を立てなければならない。最も適任と思われた現代の英雄、ガイウスは、計画を聞くなりそう言った。


「ギリシアやエジプトへ行くとなれば、長旅になります。私的な旅行で一国の皇帝が長く国を開けるのは、決して得策ではありません。せめて、ギリシアかエジプト、どちらかになさるべきです」


 逐一、もっともな言い分だった。

 そう、理性ではわかっている。けれど功を焦るルキウスには、受け入れがたいものだった。


「なぁ、ガイウス」


 当然の苦言に、眉を顰めて溜め息を吐く。


「オクタヴィアだけでなくアウグスタまで失い、私は今悲しみの底にいる。この傷心を、癒やすことすら許されないのだろうか?」


 芝居がかった調子を、見抜けぬガイウスではない。

 けれど同時に、オクタヴィアの名を出せば強く出ることもできない男だった。

 それは、と一言苦しそうに呟いた後、彼は黙り込む。


「少しだけでいい。休息が欲しい。――いけない、だろうか?」


 アウグスタの部屋に入り浸っていた時と、同じ手段でガイウスを黙らせる。

 なんとも便利で、卑怯なことか。


 同時に、ほんの少しちくりと胸が痛む。

 この方法が通じるのは、ガイウスがルキウスのためを思っているからではない。オクタヴィアに向けられた感情によるものだからだ。


 ――嫉妬など、醜い。

 この醜悪な感情が、オクタヴィアを死に追いやった一因だというのに。


「――なるべく早くのお帰りを、お待ちしております」


 心痛が、より真実味を与えたのだろうか。

 深々と頭を下げるガイウスに、苦く笑うことしかできなかった。

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