第六章
第32話 異変
それからの日々は、奇妙なほどに平穏だった。
罪を共有し、複雑な想いを抱いていたとはいえ、オトとの別れには寂しさを覚えていたのは事実だ。けれどガイウスの存在は、それを補ってなお余りあるものだった。
オトがいた頃、彼を嫌っているオクタヴィアとは別行動を取ることが多かったが、ガイウスとは気が合うようで一緒にいられるようになった。
三人で語り合うのならば、ルキウスとオクタヴィアの私室が最適である。皇帝夫婦の私室など、と最初は恐縮していたガイウスも、二人の要請に応える形で訪ねてくれるようになった。
その頃からだっただろうか。オクタヴィアとガイウスが、急速に仲良くなっていったのは。
ルキウスにとって、二人は大切な存在だった。いがみ合うよりは、親しくしてくれた方がいいに決まっている。
だが、二人が並んで立つ姿に、ちりちりと胸が痛んだ。
愛らしく、美しいオクタヴィア。もし自分が男であれば、まず間違いなく彼女に惚れていた。
凛々しく、逞しいガイウス。男として過ごさねばならない自覚があってなお、女の部分が彼に惹かれてしまう。
魅力的な、男女。並ぶ姿は絵画のように美しく、ルキウスの目から見ても二人は似合いの恋人同士に見えた。
そう、ガイウスの隣りには、男姿のルキウスよりも愛らしいオクタヴィアの方が合うのだ。
強い嫉妬に焦がれる瞬間があることは、否定できない。それでも、二人が与えてくれる幸せの方が大きかったから、耐えられた。
陰りは、一月ほど経った頃に始まった。オクタヴィアが、体調を崩してしまったのだ。
とはいえ、最初はさほど心配をしていなかった。
ローマの夏は、熱い上に湿気も多い。この季節に体を壊す者は、少なくなかった。
オクタヴィアも毎年、体調不良を訴える。今年もまた、同じだろうと安易に考えていた。
けれど一週間が経ち、それでもオクタヴィアの体調は回復の兆しさえない。さすがに心配になり、医者を要請した。
立ち合いたいくらいの気分ではあったが、男が婦女子の診察の場に居合わせることは禁じられている。本当は女であっても、立場上、残ることはできなかった。
なにより、公務を休むこともできない。後ろ髪を引かれる気分のまま、執務室へと向かった。
重篤な症状であれば、すぐに知らせが届くはず。
思えば、執務が終わる昼までに何の報告もなかったのは良い知らせなのだろう。
その、はずだ。
「――おかえりなさい」
一通りの仕事を終え、足早に戻ったルキウスを迎えたのは、オクタヴィアの笑顔だった。
けれど、気のせいだろうか。顔色が優れない。表情も、暗かった。ルキウスが出て行く前よりもずっと、調子が悪そうに見える。
「結果はどうだった……?」
「ただの、夏風邪です」
心配を隠す気もない問いかけに、オクタヴィアが微笑む。
予想通りの答えではあった。けれどその弱々しさが、体調の悪さを物語っているようでより心配が増す。
「辛そうだけど」
本当に、ただの風邪なのか。心配をかけまいと、重病を隠しているのではないか。
オクタヴィアが横になっている寝台の端に腰かけ、そっと頬に手を伸ばす。
毎年体調を崩すのは事実ではあるが、これほどまでに元気がないのは初めてだった。心配とも不安ともつかぬものに、胸が重くなる。
「――ありがとう、心配してくれて」
ルキウスが頬に当てた手に、手が重ねられる。
冷たい、指。ひんやりとした感触は、いつも通りのものだった。慣れ親しんだ柔らかな手に、わずかながら安堵する。
「大丈夫――大丈夫よ、ルキウス」
大丈夫。
もう一度そうくり返す声が、震えていたように聞こえたのは、気のせいだろうか。
けれど、オクタヴィアが自分に嘘をつくはずがない。大丈夫というのならば、本当に大丈夫なのだろう。
信じる以外にない、というよりも、きっと信じたかったのだと思う。うん、と頷いて、横になったオクタヴィアに覆いかぶさるように、そっと抱きしめた。
「なら、早くよくなるようにゆっくり休んでくれ。……おやすみ」
頬に口付けるいつもの挨拶に、応えてくれる笑みがやはり、どこか悲しげに見えた。
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