第65話 ちぐはぐ
「お姉ちゃん、あの……」
「どうしたの?」
「やっぱり、何でもない」
れんは素っ気なく顔を逸らし、抱き着いてくる。お風呂上がりのれんの体温が、冷房で冷やされた肌に触れて、心地よい。そんな温度の調和が無くても、サラサラとした感触だけで、れんと肌を重ねているという事実だけで、満たされるものがある。
素っ気なさの先に待つものが、断絶ではなく、交わりであることに、改めて、目の前にある現実の甘さを思い知る。想いが重なって、恋人という名前を二人で付けた日々の尊さを、噛みしめる。
そんな感慨に違和感が一瞬押し流されそうになった。わたしは子猫のような表情を浮かべながら、大型犬のように甘えてくるれんを一瞥する。
今日のれんは、なんだか様子がおかしい。少し前から定期的に、れんの様子がおかしいと感じているような気がするけれど、例えば、過度な甘えであったりの内実は、わたしへの好意が故だったって、知ったから、今ではおかしいと思っていなくて。ただ、それを加味しても、今日のれんはなんだか変だった。
甘える中にも、どこか歯切れの悪さがあるというか。何かを言い淀んでいるというか。
わたしは、興味の赴くままに、疑問符を言葉にして目の前のれんに差し出す。
「れん、何か、言いたいこと我慢してる?」
「し、してない」
「ほんとに?」
「……それよりも、キスして」
れんはそう言って、逃げるように目を瞑る。明らかに、誤魔化されてるなぁって苦笑いしながら、差し出された唇に吸い込まれる。それだけで、穏やかな苦笑が、激しい快楽に塗りつぶされてしまうのだから恐ろしい。未だに、ぎこちなく硬直するれんの身体と、滑らかな唇の感触。それらが愛しいとしか思えなくて、理性が溶かされていく。わたしは必死に思考の手綱を握って、キスの隙間でれんに尋ねる。
「何か、隠してるでしょ」
「……何もない」
れんは澄んだ、瞳を右往左往させた挙句、またも目を瞑る。誤魔化し方がワンパターンだ。そして、そのワンパターンに、抗うことはできない。
また、一通り唇を重ねて、快楽に揺蕩った後、ゆっくりと離して。
「何か、あるでしょ」
「……ない」
れんは頑なに目を瞑る。わたしはまた吸い込まれそうになって、唇が重なる寸前、無防備なれんの姿に、少しだけ意地悪がしたくなった。
わたしは良い子なはずなのに、良い子でなくちゃいけないのに、れんの前だと、上手く良い子になれない。そして、それは恋人になって、れんと同じ罪を背負うって決めてから、悪化の一途を辿っているような。
そんな分析でさえ、自分の欲求に、塗りつぶされる。
わたしはれんの耳元に、口を当てて、耳朶に唇が触れるか触れないかの距離で囁く。
「ねえ、さっき何を言おうとしていたの?」
囁くだけで、れんの身体がびくりと、電流が走ったように震える。その微動で、唇がれんの耳を掠める。
「なんでもないって……」
れんの言葉はいつにもまして弱弱しい。わたしよりも大きな身体を縮こませて、いつもは冷たく平淡な声色を歪めるれんの様子に、脳が甘く痺れる。作り物めいた美しさが、氷の彫像のような美貌が、今は見る影もなくて、その対比が目の前の光景の彩度を強めていく。そういうれんをもっと見たいという欲望が高まっていく。
「話してくれるまで、このままだよ」
わたしは、れんの肩や首に腕を回しながら、耳元で囁き、呼吸で耳朶をなぞる。
れんは、身体を震わせ、小さく声を漏らす。
「さっき、なんて、言おうとしたの?」
一言一言、ゆっくりと言葉を紡ぐと、れんがいつもよりも高い声で呟く。
「……でーと」
わたしはその唐突な響きに、思わず、れんの耳元から口を離す。
解放されたれんは立ち上がって、一目散にわたしの部屋から出て行った。わたしは呆気に取られてその背中を見送った。
ていうか、わたしは何をしてたんだ。あんな、無理やり聞き出すみたいなこと。我に返って、呆然とする。れんと触れ合っていると、時折変なスイッチが入ってしまう。穏やかで優しい、いざというときは守ってあげられるような姉でいたいのに、欲望に任せて、正反対の行いをしてしまう。以前と同じように、近づいたわたしたちの距離は以前とはまるっきり変わってしまっていて、その変化が愛しくもあり、恐ろしくもあった。
とにかく、れんに謝らなきゃ。わたしは、れんの部屋を訪ねようと立ち上がり、部屋の外へと出ようとする。
しかし、その必要はなかった。息を切らしたれんが再び、わたしの部屋に入ってきた。なにやら、チラシのようなものを携えて。
「花火大会、行きたい。こいびとになってから、デートしてないし」
チラシには、近所で行われる花火大会の案内が書かれていた。
れんはそれをわたしに見せながら、洗練された美しさを幼さで震わしながら、わたしに言葉を落とした。わたしは、そんなれんの様子が愛しくて仕方なくて、れんを抱きしめる。
「もちろん。そんなことなら、隠さなくても、喜んでいくのに」
「けど、なんか恥ずかしくて」
れんは、消え入るような声で呟く。キスの催促は恥ずかしくなくて、デートに誘うのは恥ずかしい、そんなチグハグさでさえも愛しかった。
「ていうか、さっきはごめんね。なんかその、調子に乗っちゃって」
「それは、恥ずかしかったけど、いいよ。お姉ちゃんにそういうことされるの、その……嫌じゃないし」
可愛らしさの隙間、れんはしれっと、とんでもない爆弾を落とした。
そんな一幕もありながら、わたしたちは花火大会に赴くことになった。初デートとして。
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