06

「私の神と同じ、ホログラムを用いた暗示の上書きですか。普通の人間ではありませんね」

「どうかな。そう言うあんたも、強暗示が効かなかったところを見ると、脳まで強化してる変態だろ?」

「ふ……」


 黒桐は口元を歪ませ、次の瞬間には拳を振り抜いていた。予備動作が全く見えないほどの速度。登悟は『Face Loader』の行動予測で予め予期していたが、回避のタイミングは勘でしかなかった。銃を構え直すが、一気に吹き出たアドレナリンのせいで微かに手が震えた。明らかに人間の身体能力を超えていた。

 黒桐は一つ頷いた。


「頭を飛ばすつもりでしたが。なるほど、あなたも何かと繋がっていますね。しかし反応速度自体は人間とさほど変わりないようだ。何が見えているかは知りませんが、肉体が反応できないのであれば意味がない」


 ざわり、と黒桐の全身が波打つように揺れると、法衣が内側から弾け飛んだ。現れたのは濃灰色の金属光沢を帯びた肉体だ。

 灼の視線が鋭くなる。


「義体……いえ、身体機能の拡張ね。筋肉と骨の大部分を、代謝性の金属繊維とナノマシン群で補強している」

「これは驚きだ。一目で看破されるということは、つまり、あなた方二人とも私の同類というわけですね。この街は本当に歪んでいて素晴らしい。若いのは見た目だけでしょうか。その性別は? いや何、責めなど致しません。違法も禁忌も、私の神は何だって許して下さいますから」


 黒桐の顔には欲望まみれの野卑な笑みが浮かんでいる。


「しかし口惜しい。神の福音に身を委ねてさえいれば、至福のままに私と共に歩めたのに」

「単なる催眠誘導だろ。しかも制御は高度AIに投げっぱなしで、神もクソもあるか」

「情緒の欠片もない言い方ですね。つくづく宗教というものを理解していない。これは神の御業ですよ。より高い次元から我々を導いて下さる福音です」


 黒桐は堪えきれなくなったように哄笑した。近くで棒立ちになっていたイザリーを乱暴に引き寄せると、肩に腕を回して胸を握り潰すように掴んだ。


「全く、この街と技術は素晴らしい! ここにいれば何もせずとも金も女も寄ってくる! 時の権力者でさえも、AIがもたらす福音に抗えない! 私は上り詰めますよ。あらゆる人間を支配して、この街の頂点へ! 私と神ならば、それができる!」


 黒桐の肩を照準して引き金を引いた。『Face Loader』と連動した義手が可能とする正確無比な銃撃。だが黒桐は空いていた手で銃弾をあっさりと掴み、コインを弾くように捨てた。


「やれやれ、野良犬でさえもう少し思慮深いですよ。登悟君でしたっけ。私の信徒たちに傷が付いたらどうするのです」

「金づるの間違いだろうが。変態神父」


 黒桐は目を見開き、弾かれたようにイザリーを離して身を翻した。

 灼が背後から高周波ブレードを抜き放った。人間の意識の隙間を突く、クラウド制御だからこそできる接近だ。黒桐は辛くも回避したが、灼は勢いを殺さずに追撃した。

 その灼を何者かが真横から強襲した。灼はギリギリのところで体を屈めて滑るように距離を取る。

 翼だ。次いで本体がホワイトノイズの向こうから現れた。先程まで信徒たちが祈りを捧げていた女神像だ。よく見れば大きさが一回り小さい。ホロプロジェクター自体をホログラムで覆っていたのだ。

 二人の裸身の女神が混ざりあったかのような造形で、肌は純白で微かな光沢があった。黒桐と同じ代謝性の金属繊維だと思われた。背中からは二対の翼が生えている。羽の一枚一枚が鋭利な金属片でできていて、それが一分の狂いもなく整列することで長さ三メートルほどの長大な翼を形成していた。

 黒桐が女神像を熱狂的に見つめながら言った。


「私の神は自らをデザインしています。敬虔なる信徒は彼女にとっての肉。私が清らかである限り、アルカ・トエルの女神は何があっても私を守ります!」


 思わず顔をしかめた。


「どっちが使われてるのか分かったもんじゃねえな」


 黒桐は何を言われたのかわからないように訝しげな顔になる。


「あんたはAIの制御を放棄したんだ。目的だけを入力して、そのための手段も工程も、自衛の手段さえもAI自身に作らせて、出力された結果だけを自分の手柄だと思ってる阿呆だ。もし俺たちが捕まえなくても、遠くないうちに破綻していただろうよ」

「何を言い出すのかと思えば。一片たりとも真実のない戯言にしか聞こえませんね」


 あざ笑う黒桐に、灼が静かに言った。


「超高度AIができたとき、少なくない人間がそれを聖杯だとみなしたわ。人間の限りない欲望を、面倒な意思決定を省いて実現してくれる万能の願望機だと。あなたのようにAIを神のように感じた人間も少なくなかったことでしょう。

 でもそれがヒトが作ったモノである以上は、それを道具とみなして責任を取り続けると決心しなければ、現れるのは人間以外の知性による侵略よ。責任の所在がどこにもないままに結果だけが出力され続けて、やがて本来想像していたところとはかけ離れた場所へと人間を誘導する。あなたの欲望を委託された高度AIがどこにゆくのか、見届けないまま終われるのは幸運ね」


 黒桐が虫を払うように頭を振って、粗野な笑みを凶相へ変えた。


「そろそろ良いでしょう。あなた方の血と肉を、私の神に捧げます」


 鋼鉄の肉塊を見据えながら、灼へ声を投げる。


「変態神父は俺に任せろ。お前はその悪趣味な女神サマをなんとかしてくれ」


 灼は微笑みと共に頷き、女神像へ向き直る。それを視界の端に収めながら、黒桐へと声を投げた。


「あんたには借りがあるんだよな。黒桐教主サマ」

「なんでしょう。私の信徒に知り合いでも居ましたか」

「いいや。結局、別にあんたがどんな腐った理由で他人をカモにしてようが、俺には関係ない話だけどよ。あんたは万年金欠の俺の預金口座から、更に金をむしり取ろうとしたクソ野郎だ」

「いかにも俗人という感じで、逆に安心しますね。いかがです? 金一封差し上げる代わりに、私に協力するというのは」

「必要ねえよ」


 登悟は鋭く銃を照準する。


「あんたを公安に引き渡して、綺麗な金をたんまり頂くからな」


 銃声が鳴り響いた。

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