04
翌日の正午、登悟と灼は、実篤たちが建物から出てくるのを待っていた。
新市街の南端に位置するこの区画は、二十二世紀現在の技術に関わる企業が密集していた。実篤が訪れたのは、その中でも特にhIEの高級機を専門に扱う大手企業の開発所で、立派な正門の前には警備用のドローンが整列している。
「修理ねえ……」
生体パーツを即日で手に入れるのも、修理を委託するのも、相当の資金が必要になるはずだ。登悟は借金まみれの身の上と実篤とを比較して、世の中の世知辛さを感じていた。
そうして待っていると、ようやく玄関から生体hIEと連れ添った実篤と、一歩引いて続く百合香が現れた。
「待たせてすまない。手続きに少し手間取ってね。何しろ急患だったものだから」
まるで怪我人の手当てをしてきたように語る実篤に、登悟は曖昧な笑みを浮かべて誤魔化す。
「お詫びに昼食をご馳走しよう。時間もいい頃合いだしね。近くによく使っている店があるんだ」
そう言ってごく自然に歩き出す実篤に、登悟は少し慌てて続いた。何しろどこから狙われてるのか分からないのだ。
(犯人の予想くらいつかないもんかね)
登悟は恨めしげに実篤の背中を睨む。
この期に及んでも犯人像が不明瞭なままだった。先日の生体hIE襲撃が犯人からの攻撃であったとして、実篤ではなく生体hIEを単独で狙うメリットが薄すぎるのだ。そもそも先日の襲撃者たちは訓練されている様子ではなかった。神宮寺家の嫡男という大物への攻撃としてはあまりにも適当すぎる。
(そっちの調査は詠子に任せるとして)
登悟は少し考えて、思考を放り投げた。自分の当面の仕事は、いつあるか分からない襲撃に備えることだ。
(こいつがいるから不意打ちの心配は少ないけどな……)
横目で伺った灼は、下駄を鳴らしながら、完璧に整った歩調で実篤たちの後ろに続いていた。
実篤の案内で到着したカフェは、都心部にあるしっとりと落ち着いた雰囲気の店だった。高級感のある内装に違わず、コーヒー一杯にも普通の店の十倍ほどの値段が付けられており、登悟は思わず手首の個人認証タグを外しかけた。こんな法外な店で自動精算されては堪ったものではない。
「会計は僕に任せてくれ。といっても大した額の食事でもないけれど」
実篤の一声でようやく落ち着きを取り戻した登悟は、それでもいつ裏切られてもいいように、一番安いコーヒーとサンドウィッチを頼んだ。
「灼さんも」
「ごめんなさい。私、昼食は採らないことにしているから」
灼は上品に実篤の申し出を断り、水で唇を湿らせてから問いかけた。
「ところで、つかぬ事を訊いてもいいかしら」
「うん?」
「貴方と彼女との馴れ初めはどのようなものだったの?」
余所を見ていた登悟は、また他人のプライベートに無神経に踏み込みやがって、と灼を横目で睨んだ。
「それは……僕と百合香の?」
「いいえ、そちらの素敵なhIEとの」
その言葉に、実篤よりも百合香の方が強く反応した。これまで貞淑な態度を崩さずにいた彼女が、その時ばかりは双眸を険しくして灼の方を睨みつけた。
当然灼もその視線には気付いているだろうが、素知らぬ顔でやり過ごしている。
登悟は頭を痛め、フォローするべきかと一瞬考えたが、その前に実篤が苦笑交じりに口を開いた。
「そんなことを訊かれたのは生まれて初めてだよ」
「ずいぶん大切にしているようだったから」
「うん……まあ、長い付き合いだからね」
そう語る実篤は、まるで古くからの友人と接するような、或いはそれ以上の感情を覗かせながら言った。
「元は臓器や血液の運搬用途で購入したhIEだったんだ。今は護衛も任せてるけどね。かれこれ十五年くらいの付き合いになるかな」
登悟も聞いたことがあった。富裕層の中には、万が一の時に備えて自分に適合する人工臓器を作り、生体hIEに持ち運ばせる者が少なからずいるのだという。
「当時の僕は虚弱で、しかも悪いことに血液型も希少な型でね。ちょっとした怪我でも大事になりかねなかった。とはいえ今はそれほど深刻でもないし、日常的に医療用のhIEを用意しておく必要なんてないんだが――何を馬鹿なと思うかもしれないが、実際に彼女を別のhIEに買い換えようとしたとき、自分でも意外なほど強い抵抗を感じてしまったんだ」
実篤は自嘲するような笑みを滲ませた。
「知っての通り生体hIEは脆弱だ。護衛目的ならまだ通常モデルのhIEの方が適性がある。骨格も生体由来だから強度が低いし、人間の筋肉を模しているせいで適応できる行動規範もかなり制限されている。精々がAASC4……アスリート級の動きが限界だ」
「確かにそれだけ聞くと、酷く不合理な選択のように聞こえるわ」
「うん……全くその通りだ。でもね、僕の中のアナログな部分が盛んに叫ぶんだ。不必要になったから彼女を捨てるのは違う、用途に合わないから廃棄するのは間違っている、ってね」
「それは……」
「馬鹿げたこだわりなんだろう。それでも僕は彼女を捨てたくはない。他のhIEでも彼女と同じ役割は果たせるかもしれないが、子供の頃から僕と過ごしてきたhIEは、メディだけなんだから」
そう自嘲気味に語る実篤に、しかし灼は親愛を込めて言った。
「私は応援するわ」
「え……」
「ヒトのかたちを持つものに愛着を持ってもいいじゃない。かつて神様が無邪気に信じられていた時代には、日本では万物に霊魂が宿るとされていたわ。きっと貴方のhIEにも、その愛着に見合った魂が宿っているのね」
実篤は目を瞬かせて、それから面映ゆいような笑みを浮かべた。
「……まさか肯定されるとは思わなかったよ」
「既に人類は己の肉体のみで生きているわけではないわ。ヒトもモノも同じ輪の中にあると考えた方が、色々幸せになれると思うの」
そう言って微笑む灼に、登悟は複雑な思いを抱いた。
(実際のところはどうなのかね)
モノへの愛着。それ自体を取り出せば美談だが、対象がヒトの形をした道具ともなれば話が違ってくる。
単なる家電を人間と同列の存在とみなそうとする考え方の先に、果たして幸福な未来があるのか。登悟には分からなかった。
そのとき、これまで黙っていた百合香が口を開いた。
「登悟さん、少しよろしいですか」
「俺?」
昨日の今日でまともな会話など一つも無かった相手に名指しされて、登悟は軽く面食らった。
とは言え相手はクライアントの身内である。邪険にもできず、登悟は促されるままに席を立った。
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