CD

テクパン・クリエイト

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何処とも知れない場所の夜の浜辺を、一匹の蛇がずるずると這いまわっている。


見かけは何の変哲もないただのアオダイショウである…通常知られるアオダイショウの最大サイズ(約2.5メートル)を5倍ほど凌駕する事を除けば。


良く見ると、その蛇の背中には痛々しい傷口が広がっている。

相当深く抉れているのだろう。動く度にじゅくじゅくと血が湧きだし、露出した肉が痙攣する。


この蛇、ただ大きいだけのアオダイショウでは無い。

昔から我が国・日本では、劫を経た蛇は海に千年、山に千年、川に千年籠って修行する事で霊的な存在、明け透けに言うと【龍】と呼ばれる幻の獣に変ずると言われている。今、深手を負って浜辺を流離うこの巨大なアオダイショウも、そうした劫を経た蛇の一介である。

彼はまさに川での1000年の修行を終え、もうじき龍に生まれ変わる寸前の所処を、突然護岸工事の為に入った様々な重機の為に背中に大きな傷を受けてしまい、ひと気が無くなる夜を待って、ようようの事で河から抜け出して此処まで逃げて来たのであった。


「…いてててて」

蛇は人間の言葉で呻いた。3000年近くも生きている蛇にとって、人間の言葉を使うなど児戯に等しい。

「全く最近の人間どもと来たら碌な真似をしないな。自然に対する敬意は払わないわ、手前勝手にあちこち開拓して俺達の住処を奪うわ」

流石に流血が過ぎて体力が落ちたのか、這うのを辞めて動きを止める。その辺を見渡し、ヨモギの草むらがあるのを見つけ、咥え取って傷口にどさっと被せる。

「然しあの重機が泥まみれになっていなかったら、傷口から鉄の気が入り込んで、流石の俺も命が危うかったぞ」

劫を経た蛇は殊の他鉄の成分を嫌がる。鉄の成分は彼等にとってまさに猛毒として作用するからだ。直接触れなくても、下手をすれば3000年の修行がフイになる危険性もある。


彼が即死せず怪我を負うに留まったのは、彼の背中を抉った重機が泥まみれで、鉄の気が傷口から体内に入り込むのを幾らか緩和したからだった。

でなければ傷口から入り込んだ鉄の気が体を蝕んで彼の霊力は敗れ、その場で大きいだけのただの蛇に戻って、傷の深さのあまり即死していた事だろう。


ヨモギの治癒効力と、生来の霊力と生命力の高さが幸いして、既に血は止まっていた。

「もうじき天に昇る俺にとって人間の所業などもうどうでも良い話だが…然し傷口が治るのを待っていたのでは、天に昇る潮時を逃してしまうかも知れんな」

蛇は呻いた。

劫を経た蛇とていつでも天に昇れる訳じゃない。陰陽の法則に従い、決まった風・決まった潮の流れ・決まった雲行きの時に天に昇らねばならないのだ。

この決まりを守らず、天に昇り損ねて海に落ち、海底で不遇な竜宮仕えを強いられる龍の成りそこねの何と多い事か。


傷口が剥き出しのままでは拙い。せめて傷口を隠す鱗の代わりを見つけなければ。


その時、目の前に月の光を受けて何かが光った。


「何だろう」

蛇がそろりそろりと光の方に近付いてみると、そこには幅15センチ前後の、丸くて薄い皿のようなモノが落ちて居た。


それは人間が音楽を再生する時に使うコンパクトディスク…つまりCDであった。

良く見ると、浜辺のあちこちに同じモノが落ちて居る。


実はそのCDは、ある国の男性アイドルグループが出した新譜であった。


そのアイドルグループは、CDをリリースする度にコンサート会場での握手券だの生写真ブロマイドだの、色々な特典をつけては同じ内容のCDを売りさばく事で一部の人間からは酷く悪評高く、そして大多数のファンからは多数の金子をせしめて居た。

付録目当てに同じ内容のCDをたくさん買い込んだファンたちは、曲を聞く事もなくCDをゴミとして打ち捨て、結果、真新しいCDが多数ゴミとして浜辺に漂着するに至った訳である。


勿論、蛇はそのアイドルグループの事など全く知らない。

ただ、その『薄くて丸いキラキラ光る板』の事は、川で修業している時に渡り鳥たちが噂していたので何となく存在だけは知っていた。


蛇はまじまじとそのCDを見つめていたが、不意に良い事を思いついた。


「そうだ。この薄くて丸い、キラキラ光る板をたくさん集めれば、間に合わせの鱗の代わりになるぞ」


蛇は落ちて居るCDを拾えるだけ拾い集め、背中に乗せたヨモギを払いのけて、傷口の上にCDを一枚一枚丁寧に乗せ始めた。


不思議な事が起こった。

傷口に被せられたCDが、CDと同じ光沢を持った美しい龍の鱗と化して、赤々と露出した肉を隠し始めたのである。

龍になる為には、蛇の段階で色々と術が使えなければならない。これもそのひとつであった。


やがて落ちていた全てのCDが傷口に貼りつけられた。

傷口は殆ど塞がり、一見すると全く傷を受ける前と変わらぬ様相になったが、まだ完全には塞がっていなかった。CDの枚数にしてざっと100枚分、まだ肉が露出している部分がある。

「あの『薄くて丸いキラキラ光る板』は…もう落ちて居ないのかな」

蛇がきょろきょろ辺りを見回していると、不意に頭上でくすくす笑う声がした。蛇が虚空を仰ぎ見ると、コウモリがたくさん飛んでいた。


「蛇さん凄いね、人間が出したゴミがこんなカタチで役に立つなんて」

「なんだ、コウモリか。あっちへ行け。俺はあの『薄くて丸いキラキラ光る板』をもっと見つけなければならないんだ」

「まぁまぁ、話は黙って聞いておくれよ蛇さん。良い事を教えてあげるから。あの『薄くて丸いキラキラ光る板』が一時に手に入るよ」

「何だと?話してみろ」

「あんたが修行してた川を上流に向かって遡って御覧。人間が住む都が幾つもある筈だ。その内のひとつで、明日、あんたが今傷口に貼りつけたものと同じものが丁度100枚売りに出される。その品物を奪えば良いんだよ。あんたなら術を使えば簡単にその『薄くて丸いキラキラ光る板』を盗みだせる筈さ」


コウモリたちは口々にそう言い、何処かへ飛んで行ってしまった。

それを見送っていた蛇は黙って頷くと、元来た道を引き返し、河口から川を上流に向かって遡って行った。


夜が明けた。

その日は、とあるレコード屋で例のアイドルグループの新譜の限定商品が販売される事になっていた。

レコード屋の店先には【先着100名様限定・当店オリジナルのブロマイド1枚同梱】と書かれたのぼりが立ち、同様の宣伝文句が書かれたポスターが貼られていた。

朝一番からそのレコード店には限定商品を買う為に熱心なファンが並び、店のシャッターが開くのを今か今かと待ちかまえている。

夜が明ける前から待ち構えていた者もいるのだろう。足元には潰れたジュースの空き缶、新聞紙、スナックの空き袋などが転がり、時には不意に吹く風に攫われて、ゴミとして朝焼けの中に吸い込まれるものもあった。


シャッターが空いた。

店の中になだれ込む客たち。勿論ブロマイドつきの限定商品はあっと言う間に売れてしまった。

早くも嬉々として商品のビニールを店頭で剥がすファンも居る。

ところが、そんなファンの一人が「あっ」と声をあげた。


CDケースの中にCDが無かったのである。


驚いて、同じ商品を買った他のファン達もケースを開封する。結果は同じだった。どのケースにもCDが入ってない。

忽ちの内にファン達の間に動揺が起きた。中には「付録目当てで買ってると思って馬鹿にしてるのか」と怒号を挙げる者も居る。

店の前は空前の騒動になり、とうとう警察が出動する騒ぎになった。暴徒と化すファンを取り押さえる警官達。抵抗するファン達。おどおどする店員。

その時だ。


「わっはっはっはっはっはっはっは」


凄まじい笑い声が上空から降り注いだ。


警官達も、ファン達も、店員も一斉に笑い声の方を見上げる。

彼等が目にしたのは、澄み切った青空を、悠々と天高く昇って行く龍の姿だった。

その龍の背中には、CDと同じ光沢を持つ鱗が部分的に輝いていた。


ファン達も警官達も店員も、口をあんぐりと開けたまま、黙って龍を見送る事しか出来なかった。

そんな人間達の頭上に、突然黒雲が沸きたち、やがて篠つく土砂降りの雨が降り注ぐ。

慌てふためいて逃げ惑う人間達の頭上に雷鳴が轟き、やがて重々しい雷鳴と雨音に交じり、龍の最後のメッセージが高く響いた。




「どうせ付録を取ったら捨てるんだろう!

 だから俺が頂いたぞ。悪く思うなよ人間ども。

 わっはっはっはっはっはっは………」

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