005・006 怨みとて滅びゆくもの
5
確実なこととして、怨みを怨みで平らげられはせぬ。怨みより解き放たれた心で以て応じ、初めて怨みは平らぐ。永久不変の法則である。
6
現世のものはまことのことを実感しきれずにある、我らがみな世より去りゆくさだめである、と。これに気付けてさえおれば、諍いなぞ世より消え失せように。
Na hi verena verāni, sammant' īdha kudācanaṁ,
averena ca sammanti; esa dhammo sanantano.
Pare ca na vijānanti mayam ettha yamāmase;
ye ca tattha vijānanti, tato sammanti medhagā.
パーリ読経
https://www.youtube.com/watch?v=s-I_N59MFsw
For hatred does not cease by hatred at any time: hatred ceases by love, this is an old rule.
The world does not know that we must all come to an end here;--but those who know it, their quarrels cease at once.
於此世界中,從非怨止怨,
唯以忍止怨;此古聖常法。
彼人不了悟:我等將毀滅。
若彼等知此,則諍論自息。
ここは対句になっていない。なっていないが、前段を受けての連結した内容になっている、とは言えるのだろう。どうせ死ぬのに諍いで余計なことに時間を空費して勿体なくね? というわけである。荘子も斉物論で同じようなことを語っていたことを思い出す。自らの正しさに固執してばかりの毎日で自分をすり減らしてどうしようというのか、どうせその先には死しか待っていないというのに。では、これを自身が実感持って抱けているだろうか。実に心許ない次第である。
それはさておき、この感情を忘れてはいけないのだろう。怒りや怨みは、底暗い喜びもまた伴うエンターテイメントでもある、と。それは確かな麻薬であるからこそ、我々の心に沈殿する。決して拭い去りきることはできないのだろう。あるいは誰かをやり込めてやった、復讐を果たしてやった、ことの喜びを抱き、死にゆくなどと言ったこともあるのかもしれない。死ぬ瞬間にどういう心持でおれたか、こそが全てだと言えるのだろう。そうして考えると、我が心中の黒い炎を、どれだけ無批判で否定しきれるだろうか。
様々なしがらみ、執着を捨て、自然、と言いきれる領域に達する。これは自分の場合、どこにあるのだろう。そうした境地に至った方々を羨んでみても、自分はここにいる。いま、この階梯に立つ。一足飛びに上にも、下にも行くことはできない。日々この見えないスペクトラムをのぼったりくだったりするのだ。のぼるのもよし、くだるのもよしである。自分の行きたいところがどこなのかを求め、探し出し続ければ良いのだろう。
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