波間的ダンマパダ日記

ヘツポツ斎

はじめに

 こんにちは。別に仏教徒ではないです。ならば、何をやるのか? 「多くの人々から仰がれた思考の粋を、我が脳みそにもイントールしたい」。そういう感じのやつです。


 ダンマパダ、日本語では『法句経ほっくきょう』。


 たぶんここは勘違いしている人が多そうだと思いますが、いわゆる「お経」の大半はブッダそのひとの言葉ではなく、ブッダの教え「の、解釈」です。では、ブッダの言葉そのものがどこにあるのか。あえてこう言ってしまいましょう、「ありません」。


 いや、あるかもしれないんですよ。でも確定できないの。どんな古典もそうですが、偉人のネームバリュー借りて発言に権威をもたそうとするなんてザラですもの。とはいえダンマパダ、「現存する中でもっとも世代が古い」経典とされるそうです。なら、まぁ? いやよくわかりませんが。


 ぶっちゃけ、後世の経典。くっそ複雑だし膨大だしでつらいです。なにせ二千年近くの解説、解釈の集積です。もちろんこうした積み重ね、ありがたく頂戴したいところなんですが、繰り返します。つらい。なのであえて「仏典の最古層」にだけ当たることにしました。


 これまで自分は論語とか菜根譚の通読及び私訳をやってきました。こうした、いわゆる修身のための経典は、下手にお仕着せごととして読むと、とたんに口うるさいオギョーギのオハナシとして感じられます。「ありがたい誰かのおっしゃった教訓」みたいな感じでは読まないほうがいい。それよりは、いちいちの言葉を手繰り寄せて、自分の心にて濾過してみるのがいい。心という網に留まらない言葉はひとまず放っておいて、留まる言葉にだけ集中する。そんな粗雑な接し方をします。頑張る気はありません。


 なのでこいつは、一日の始まりにダンマパダの章句を自分の心にさらしてみて、自分の心がどう動くかを観察する、「日記」です。ダンマパダの章句がぼくのあさごはんです。おいしいですもぐもぐ。


 経典は原語がパーリ語。これを異文化圏の人間が解釈するために漢文化されたり(いわゆる「お経」がこれ)、英訳されたりしたものが、また現代日本語にも訳されています。こういったものを並行参照したうえで、より「俺に届く言葉」として翻案していきます。より訳語として至当な表現が見たいならちゃんとした本を買ってください。無料で見れるWEBテキストなんぞに「正しさ」なんて期待しちゃだめですよ。「俺にとって正しい」は、決してあなたにとっても正しいとは限りません。


 そんなクソみたいなスタンスを表明したうえで、「ダンマパダにっき」! はーっ、じまーるっ、っよー☆



○パーリ語/漢文参照元

「府城佛教網」https://nanda.online-dhamma.net/

法句經, Dhammapada

https://nanda.online-dhamma.net/tipitaka/sutta/khuddaka/dhammapada/dhp/


○英文参照元

wikisource Dhammapada Edited by F. Max Muller.

https://en.wikisource.org/wiki/Dhammapada_(Muller)


○日本語訳参照

中村元『ブッダの真理のことば・感興のことば』

今枝由郎『日常語訳 ダンマパダ ブッダの<真理の言葉>』

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