人形少女と歪んだ恋

@raito378

春雨

第1話 嵐の転校生

 起眞私立高等学校。この学校で、恐れられている者が居る。

 他の誰でもない俺、『不知火士郎』なのだが。俺は尋常じゃないくらいに目つきが悪い。それもこれも、祖父母とも目つきが悪いためだろうか。その割には、少し年の離れた姉、胡桃と妹のしろはは目つきはさほど悪くない。俗に言う隔世遺伝である。ほんと、遺伝子って怖いとつくづく思う日々だった。

 そのせいで、第一印象は最悪。ほとんどの生徒は最初は話しかけてこない。一度も話してないクラスメイトだって居た。

 数少ない友人曰く、「一見さんお断りみたいな感じ」らしい。いまいちよく分からなかったのだが。

 そんな高校生活を送っていた俺に、嵐が巻き起こった。いや、飛び込んだのかもしれない。近くにできた巨大台風に、自ら飛び込んだ。

 四月七日木曜日、本日はクラス替えの発表日だ。俺にとっては本当にどうでもいいかもしれない。でも、他の奴らにとっては結構大事らしい。あの子と一緒が良かっただとか、また一緒のクラスだねだとか、こいつと一緒にはなりたくなかっただとか。

 俺は、掲示板に掲げられた名簿を遠巻きに眺める。こうも離れていると、やはり見にくい。何とか目を細め、見ようとする。

 すると、何やら周りが俺を避けた。…また勘違いさせてしまったらしい。

「君、また勘違いさせちゃったね」

 わはー、と笑いながら俺の肩をバシバシと叩いてくるのは、『相浦紗霧』。俺にとっては数少ない気の置けない相手だ。

「この子、本当はいい子なんですよー?ゴミ出しには行ってくれるし、休日はマッサージもね?」

「何言ってんだ」

「あだっ」

 俺は、あることないこと話す相浦を軽くデコピンした。彼女は、別に友達が少ない訳でもないし、周囲の評価も見た限り低い訳でもないのに、何故か自分と関わり合う。ありがたい…。うん、ありがたい。周りに怖がられてる俺にとっては、本当にありがたいのだ。

 俺と相浦は、今年から二年三組。さらにもう一人、見知った名前が。

「よう!相変わらず目つき悪いねぇ!」

「うっせぇやい。友達一号」

「じゃ、相浦は友達二号だな!」

 この見るからに爽やか好青年な彼は、『榎原斗真』。彼こそが俺の友達第一号。榎原の紹介があって、相浦と俺は友達になったのだ。

 以前、こいつになぜ俺の友達になってくれたのか、聞いてみた。その答えは、偉く淡白で、呆気ないものだった。ただ、興味を持ったから、らしい。目付き悪くて、周りから怖がられる俺がどんな性格か、とても興味が湧いたのだとか。

「わはー、友達二号参上!」

「聞こえてたのか」

「現代に生まれた聖徳太子とは私のことだよ!たとえ十人の声だって、どんな遠くの声だって、聞き分けてみせる!」

 ふっはは!と笑い声をあげる相浦。しかし、唐突に何やら相浦は下卑た笑みを浮かべ出した。え?なんか怖い。

「それより奥さん方?今朝、小耳に挟んだのだよ。耳寄りな情報だぜぇ?」

「誰が奥さんだ」

「耳寄りな情報…?」

 小言を言う俺に比べ、榎原はその情報の方が気になるらしい。嫌な予感がするな。

「そそ!実はねぇ?ピンポンパンポーン!朗報です!美少女転校生が転校してくることになったそうな!それもこのクラスー!」

「マジ?おー、楽しみだな!俺の青春淡く色づいちゃうかも?なぁ、不知火?」

「そうだよねぇ!私もお近づきになりてぇぜ!」

「さっきからなんだよその口調」

「可愛いだけじゃ物足りないのだよ…!世の中!」

「私ってかなり可愛いけどさー」と、自慢げに続けた。確かに可愛い。だからだろうか、彼は口を滑らせた。違うな、故意に滑らせた。俺は、相浦が好きだ。だから察して欲しかった。臆病だから、直接には伝えられてないのだけど…。

「別に、それだけでいいんじゃないか?」

「んー?それはどういう意味かにゃー?」

「…なんでもない」

「そっかー」

 言えない…。うん、言えない。相浦は、深くは追求してこなかった。一方、榎原は何か言いたそうに微笑していた。

 そんなこんなで、本鈴まで時間を潰した。それから、体育館に集合し教師たちの長話を聞いた。にしても、転校生の話が全く出てこないのだが…。相浦が嘘をついてたのか、聞き間違いなのか、そもそも情報に誤りがあったか。

 とうとう、集会が終了した。転校生なんかいなかったのか?

「相浦ー、転校生なんて居ないんじゃないか?」

「この相浦紗霧に二言はないよ…!きっと、多分。…そう!寝坊してるんだよ!」

 どんどん自信がなくなっていくな…。というか、登校初日に寝坊って…、どんな肝の座った生徒なんだ。

 ついに、帰りのHRまでその転校生は来なかった。あれ?これマジで相浦が間違った情報を流してたのか?んー、でも一つ気になることが。

俺の前の席が空いているのだ。もうひとつ空いているが、それは一年前からずっと不定期に投稿してくる奴がいた。出席日数のギリギリのラインを狙い撃ちして、中間と期末では学年最高の点数をたたき出す変人だ。左前は相浦、その後ろに榎原なのだが、前が。

「じゃ、まだ委員長は決まってないから、相浦さん号令お願い」

 担任の渡辺先生が、相浦に声をかける。「ふぁい…」と、一方の相浦はげんなりしてる。どれだけ転校生のこと楽しみにしてたんだ…。

「きりぃつ…きをつけぇ…れぃ…」

 どこか気の抜ける号令をかけられ、俺たちは一瞬思考が送れた。少しあとから、ガタガタとクラスメイトが立ち上がりだし、挨拶をしようとしたその瞬間。勢いよくドアが開け放たれ、クラス全員の注意が引き寄せられる。

「おはよう…ごふぁいはふ…」

『…へ?』

 欠伸混じりにこちらに挨拶する少女に、俺は釘付けになった。そもそも、気になることが…。明らかに私服なんだけど!なんだよ、パーカーミニスカで初登校って!

「あ、あのぅ、なんで私服なの?」

「服を袋から出すのが面倒だったので」

 渡辺先生がそいつに質問するも、芳しい答えは得られなかった。眉一つ動かさずに、そんなことを口に出すそいつは、酷く異質に思えた。異質で、不可解で、不相応に思えた。先生はまだ思考が追いつかないのか、「あはは…」と失笑をしている。

「そ、それとね?遅刻する時は早めに連絡してくれると、こっちとしては助かるんだけど…」

「すみません。急いでたのでぇ…ふぁう」

 また大欠伸をひとつして、目を擦った。その様子からは、全くと言っていいほど誠意というか、反省の色が見えなかった。諦めたように、先生がため息をひとつついた。

「…じゃ、少し遅くなったけど、転校生からの挨拶ね。みんな、少し帰宅時間遅くなるわよ」

 他の奴らは、少々の愚痴を零しつつ、興味と期待を隠せない様子だ。相浦は元気を取り戻したようで、思いっきり手で机を叩いた。

「むふふ…!この相浦さんに二言は無いのだよー!」

「マジだったんだな」

 というか…。あいつ…。バサ着いた髪!ヨレヨレのパーカー!ホコリの着いたスカート!汚れの目立つ上履き!さらに目ヤニ!そして隈!あいつ、どんだけ不潔なんだ…!あぁ、今すぐあいつを風呂に入れて、服にアイロンかけて、スカートのホコリとって、靴洗って、それ以前に顔洗わせたい!そしてあいつに十分な睡眠を与えたい!

 正直に言おう。俺は潔癖症と言われるべき人間だ。このような性格になったのも、全ては姉ちゃんのせいである。俺の姉、胡桃はかなり自堕落な性格である。そんな彼女の生活を更生させるべく、両親は俺を姉ちゃんの家に送り込んだ。高校一年の頃から、俺はずっと姉と二人暮しだ。狭いアパートで。そんな姉ちゃんの家に初めて行った時、俺は愕然とした。積まれたカップラーメンと弁当箱の山!散乱した雑誌!流し台に広がる異臭を放つ謎の物体!おそらく生ゴミだろうが。更には、洗濯カゴから溢れ出すシワだらけの洗濯物!一言言った。「なぜこんな場所で生活できるのか」と。

 俺は、大して綺麗好きではなかった。でも、あんなのを見せられたら、掃除せざるを得ないのだ。だって、ここはもう姉だけの家じゃないのだから。そこから、俺の奮闘記が始まった。その過程で、俺は潔癖症に目覚めたのだ。いや、あんな経験したら嫌でも目覚めると思う。なんかこう、ひとつの汚れを見つけたら、そこからどんどんと侵食してきそうで怖いのだ。風呂場のカビとか。

「あの、不知火さん?何笑ってんの?」

「…え?笑ってた?」

「うん、こうやって、にへぇって」

 相浦は、目じりと口元を指で釣り上げた。こういうのって、目じりは下げるべきじゃないのか?俺、そこまで酷いか?

 すると、転校生はカツカツと黒板に文字を描き始めた。恐らく、彼女の名前だろう。

「春宮佳奈。よろしく」

 偉く淡白な自己紹介だ。俺たちは完全に呆気に取られていた。先生でさえも。一方で、春宮はこちらの反応を不思議に思ったのか、首を傾げた。

「あ、それなら、みんなから質問とか…」

 あまりに内容が無さすぎて、こちらに振ってきた。

「はーい!」

「はい、では檜山くん」

「春宮さんは、どうして不知火の前の席なんですか?」

 あ、確かに。本来なら春宮は檜山の前の席なはずだ。なのに俺の前の席が空いてて、檜山の前には波崎が居る。これは少し妙な話だ。

「あの、母親の旧名が春宮で、父とは先日離婚してしまって…、それでまだ学校に正式な手続きが…」

 あぁ、こりゃダメだ。これ以上進めては行けない話題だ。檜山の周りの奴らは、「お前後で謝っとけよ」とか、何とか言ってる。でも、彼を咎めることは無かった。まぁ、あいつは好奇心から聞いただけだからな。その結果古傷を抉るような感じになったけど…。

「は、はい!春宮さんの席は、不知火君の前ね!それじゃ、改めて!号令」

「き、起立、気をつけ、礼!」

『さようなら!』

 かくして、俺たち高校二年の春が始まった。謎の転校生、春宮佳奈の到来によって。

「あのさ、春宮。ごめんな、さっきは。俺、馬鹿だからさ。空気読めなくて。もしかしたら、他の奴らから俺がうるさいって噂聞いて、少しでも離れたいって先生に相談したんじゃないかとか妄想しちゃってさ…その理由が、どうしても知りたかったんだ」

 な、なんだコイツ。こんなに反省とかするやつだっけ?彼は、今まで本当に馬鹿なことしかしてないイメージだ。クラスのムードメーカー的存在で、相浦、榎原の次辺りに仲の良くなった友達三号だ。

「お前…、なんか悪いもの食べた?」

「なんで不知火にそんなの心配されなきゃならないんだよ!あー、もう!柄じゃないことってするもんじゃないな!俺、檜山裕二、よろしく!」

「うん、よろしく」

 檜山が差し出した手を、春宮は握り返した。少し、檜山の顔が赤くなる。その様子を見て、檜山の友人の正樹と橘がからかいだす。

「檜山ー、何鼻の下伸ばしてんだよー」

「いやらしー想像すんなよなー」

「そんなんじゃねぇって!ったく、じゃ、春宮、またな!」

 二人を追って、檜山は廊下に出た。その様子を、俺と春宮は眺めた。そして、今度はこちらを見つめてきたため、こちらも見つめ返す。その状況が、十秒は続いた。

「何?」

「…」

 春宮はだんまりだ。ん?俺何かしたかな?それとも、また勘違いしちゃったとか。

「お二人さんお熱いねぇ!紗霧ちゃん妬いちゃうぜぇ?」

 って、相浦!?もしかして誤解してるのか。

「そんなんじゃねぇよ。こいつが見てくるから」

「ふーん?あ、私は相浦紗霧だよ!アイちゃんさっちゃん正義の味方さぎりんお好きな呼び方で呼んでください」

「よろしく、紗霧さん」

 結局紗霧さんなんだ。すると、今度は榎宮の方を凝視し始めた。

「あ、俺は榎原辰馬よろしくな」

「榎原くん。よろしく」

 すると、先程まで笑顔を振りまいていた相浦が、何かを思い出したようにポンと手を打った。

「あっと行けねぇ!私たち先生に呼ばれてるんだった。二者面談でね!じゃ、お二人でごゆっくりー」

「そうだな、そろそろ行くか」

「お、おう」

 二人は、早歩きで廊下に出た。俺も帰るか。立ち上がり、かばんを持ち上げると春宮もかばんを背負いだし、俺が教室を出ると春宮も教室を出た。何だろう、なんかずっと追われてる気がする。気のせいだろうか?まぁ、校門までか。最長でも曲がり角まで。

 …何故だ。なんでこいつは校門抜けても、その次の交差点曲がっても追ってくるんだ。

「…家、こっちなのか?」

 信号待ちの交差点で、とうとう気まずくなり、振り返った。少しびくりと肩をふるわせ、春宮は俺を見つめる。

「あ、あのさ。怖がらなくても…、俺は別にお前をどうこうするつもりはないし」

「怖がってるってわけじゃない…。それと、この先に家はあるよ」

「そうなんだな…」

 気まずーい!すっげぇ気まずい!こいつ自分から話しかけるような性格じゃないからか、こちらから会話を振らないと何も話してくれない!しかし、何か言いたげにこちらを見つめてくる!だからすごく気まずい!

「あ、あのさ…!」

 春宮は、俺に向かって声をかけてきた。なんだ、話しかけてくれるじゃないか。俺は、別に人と話すのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。でも、俺から話しかけるとみんな逃げてっちゃうんだよなぁ。

「あの、ここ、私の家」

「そうなんだな。ちなみに俺の家はその横だ」

 結構大きめの家だな。見た限り二階建てか。表札の字は、掠れて読めない。でも、今まで人の出入りはなかったと思う。その奥に見える古ぼけたアパートが俺の家だ。

「じゃあな」

「…待って!」

「ん?」

 何だろう。まだ何か言いたいことがあるのだろうか。

「…私の名前は…、しゅ、春宮佳奈!春宮組の元頭領!あなたは、お隣さんだから教えてあげる!だから…、何があっても、友達で居てね!」

「春宮って、もしかして極道の?」

「…うん」

 春宮って言えば、俺らの歳でも知ってるほどの大ヤクザだ。仲間割れが警察沙汰になっただとか、白い粉を売りさばいたとか…。でも、最近はめっきり話題には上がらなくなった。だから、小学生ともなれば知らない子も多いかもしれない。一説には、頭領が殺されたとか、空中分解したとか。

「…でも、もう足洗った。そういうことからは」

「そうなんだな。まぁ、よろしく。これでお前は友達六号だ」

「えっと、なんでそんなに私を信じるの?」

「なんでって…。俺、友達少ないんだよ。だから、元ヤンだろうと元ヤクだろうと、友達になりたいんだ。だから、お前とも友達になりたい。その第一歩として、お前の言うことも信じたいんだ」

 すると、春宮はふっと笑った。とても、かわいい笑顔だ。うん、かわいい笑顔。かわいい…のだけど…。ダメだ、抑えられない。

「なぁ、春宮!お前の家少し行っていいか!」

「へ?いいけど…、一人暮らしだし」

「そうか、ありがとう!」

 俺は、ズカズカと春宮が鍵の開けた家の中に入った。その瞬間、脳裏にこびりついた嫌な臭いが脳裏に回帰した。思い出したくないような、思い出が甦る。

 玄関に入ってすぐ目に入ったのは…、無造作に積まれたゴミ袋の山!

「おい、春宮。お前これはなんだ?」

「3月下旬から溜まってたゴミ。ゴミ出しになれてなくて…」

 3月下旬から…?もう四月中旬だぞ…?

「火木は燃えるゴミ!第二、第四土曜は燃えないゴミ!水曜日は粗大ゴミ!資源ごみは月曜日!用紙包装プラスチックは金曜日!」

「お、覚えられない…」

「今度ゴミ出しカレンダー持ってくるよ」

 って!これ、まさか分別してないのか…?ペットボトルとプラゴミが一緒に入ってる…?

「それ以前に分別しろ。俺も手伝うから」

「ん…、わかった」

 俺たちは、二人で袋に纏められていたゴミを分別した。終わった頃には、もう一時を回っていた。

「はぁ…、今度からは、きちんと責任をもって分別して処理するように。一人暮らしなんだから、責任も自分にあるんだぞ?」

「うん。じゃあ、そろそろお昼にしよう。ご馳走する」

「そうか?なんか悪いな」

 春宮について行き、おそらくリビングに続くであろう扉が開けられた。

 俺は、反射的に鼻を覆った。なんだ、この臭い!まさか…!三角コーナー?俺は、キッチンに向かい、シンクを覗いた。これは…!三角コーナーが…決壊してる…だと…!?

「あ、これは…コンビニ弁当の残り…」

「残すなよ、色んな意味で。なるべく食事は残すな、そしてもし食べきれないなら保存でもしとけ、それが嫌なら捨ててもいいけど三角コーナーに溜め込みすぎるな」

 それから、俺は水周りの掃除を済ませた。何やら生物を腐らせたものとか、ヌメリとか、その他形容し難い何かが混沌と化していた。それを除去している間に、春宮はかなり散らかっていた室内を片していた。

 ん?そういやさっき、コンビニ弁当とかカップラーメンのゴミばっかりで、レトルトカレーのパッケージすら目に入らなかったな。あれ?こいつ自炊してる?

「お前、ご飯って…」

「じゃん、奮発して買ったとんかつ弁当、賞味期限今日まで。食べて」

「自炊してないのか?」

「うん。炊飯器もコンロも使ったことないよ。おかげでガス代はかなり浮いてる」

 マジか…。こいつ、まさか家事全般超苦手?これは、この先春宮苦労しそうだな…。

「別にコンビニ弁当を否定する気は無いけどさ。さすがに三食コンビニ弁当は体に悪いぞ?」

「…ご飯、作れない」

「俺が作るから、お前もある程度は料理できるようになれよ?とりあえず冷蔵庫の中身使わせてもらうぞ。有り合わせで何か…」

 え?あの、俺の目がおかしいのか?冷蔵庫にバターとジュースしかない?野菜室には…ここにもジュース!?さすがに冷凍庫には冷凍食品があるはず…え?アイス…だけ?

「お前よくこんなで生活できるな!」

「えへへ…」

「褒めてない!…はぁ、じゃ、俺ここでスパゲッティ作るから少し待てるか?」

「ありがと」

 そこからは、俺の家からパスタとミートソース、チーズを用意して、春宮の家で調理を始めた。その様子を、春宮が見つめている。

「あのさ…」

「ん?」

「どうして、そこまでしてくれるの?」

「ご近所付き合いの一環だよ。俺がしたいだけだから、あんまり気にすんなよ。っと、完成」

 茹で上げたパスタにミートソースをかけて、完成。それとチーズ。即席で作ったものだが、こればっかりは味の保証もクソもない。普段は少しアレンジはするが、今回は腹が減ってたから、時短を優先した。

「チーズはお好みでな」

「はむっ!」

 あ、俺が言うまでもなく食べ始めてるか。てか、結構食べるな。これ、ひょっとしなくても、俺の分ないんじゃない?

「おかわり」

 何食わぬ顔で、俺におかわりを要求してきた。俺は文字通り何食ってもないんだけどなぁ。まぁいいか。後で一人で食べよう。でも、春宮の満足そうな顔を見てると、こいつのもっと他の顔が見てみたくなった。もう一杯、食べさせれば見れるだろうか。

「ほい」

「ありがと」

 一方、春宮はほんとに詫びる様子もなくもう一杯のスパゲッティに手をつける。そして、食べ終わった頃には凄く幸せそうな顔をした。

「ぷはぁ…」

「お粗末さま」

「ご馳走様…。さて、次はこっちの番」

「こっちの番って…何やる気?」

 春宮は菜箸を持ち、キッチンに立つ。な、何をする気だ?コンビニ弁当とカップラーメンとお菓子そして少々のパンオンリーの食生活を送ってた春宮が、まさか料理を…?

「…教えて、やり方」

「うん、じゃ、まずはコンロに火をかけて…」

「どうやって?」

「押し込んで、中火に…それからは、これに書いてあるとおりに進めてくぞ」

 そこからは大変だった。吹きこぼれた鍋に水をぶっかけようとするわ、時間短縮と言って強火でパスタ茹でるわ。その度に俺の指示が飛ぶ。まぁ、本人も頑張ってるんだから、本人の意欲を削ぐような強い言い方は出来なかったけどさ。

『出来た…!』

 こんな即席の料理で疲れたのは初めてだ…。にしても、これで三杯目。こいつどんだけ食べるんだ。見た感じ、運動もする感じじゃないし…。一方、春宮はどこか自慢げに微笑んだ。

「うへへ、上手に出来た…」

「そうだな。早く食べな…」

 く、せめて早く食べろ!飯テロは時間が短い方が傷は浅い!そんな俺を、春宮は本日何度目かの不思議そうな顔を見せた。

「これ…どうぞ」

「いいのか?」

「うん。その…あなたにご飯を食べてもらいたいんだ。私が作った…。味見…じゃなくてその、グルメリポートして欲しいんだよ。私の初めて作った料理」

 差し出されたのは、ごく普通のスパゲッティ。だが、今の俺にはそれが輝いて見えた。

「…ありがとうございます、春宮大明神!」

「大袈裟。これは、私の家を掃除手伝ってくれたお礼。それと…、スパゲッティ食べちゃったお詫び」

「あ、あぁ、だから近所付き合いの一環だから気にすんなって」

 とまぁ、そんなことは言いつつ、俺はスパゲッティを口に運んだ。その時、俺に電流走る!美味い!空腹は最高のスパイスとはよく言ったものだ。

「うまいよ!二重の意味で!」

 やばい!フォークが止まらない!そんな俺を見て、春宮が笑った。

「凄くいい顔してる。それと、ありがと。お世辞でも嬉しい」

「お世辞じゃないよ。すごく美味い」

「えへへ…」

 自慢げに、春宮は胸を張った。そうだ、ずっとこいつについて気になることが…。そのゴワゴワした髪だ。

「お前さ、後で風呂入れよ。リンスして、ドライヤーもな。それと、二階もあるんだろ?そこも掃除させてくれないか?」

 こいつのスカート、かなり埃が着いてた。それは、きっと何か根源があるはずだ。それを叩き潰さなければ…!

「そこまで…私もやる」

「そりゃ、お前の家だからな…。まずは洗い物か」

 俺は、二枚。春宮は一枚。それぞれ皿を洗う。そこからも大変だ。階段に散乱する衣類を片し、埃を取り除き、その衣類にアイロンをかけた。その間に、あいつは部屋を掃除するとのこと。自分の部屋くらい普段から掃除したらどうなのだろうか。

 って、これって…、あぁ、見なかったことにしよう。何も見えてない。見えてない!俺は、服とズボンとスカート『だけ』をスチームでシワ取りした。出来れば洗濯もしたかったが…。それはまたの機会があればってことで。それより、この家少し変な匂いがするな、埃じゃなさそうだが…。

 一通り終わったし、一応報告しとくか。ガタガタ音が聞こえるし、この部屋かな?

「おーい、春宮。服の方は終わった…ぞ?」

「うん、お疲れ様」

 そこには、大量の本の中で寝そべる、春宮の姿が!

「な、何やってんの?」

「あ、カスタードガール。読む?」

 さっきの音は本の山から本を一冊取りだした音だったのか。にしても酷いな。足の踏み場もないぞ。

「読まない!それより掃除しろ。手伝うから」

 それから、漫画やラノベ、雑誌をまとめ、本棚に突っ込み、要らないと言われた物はビニール紐で縛る。というか、今日は家事しかしてない。姉ちゃんの家に来た時のことを思い出してしまうな。あの時は暇なんてもの無かった。

「そう言えば…」

「何?」

「名前何?聞いてなかった」

 あ、そういやそうだ。ほかの三人は自己紹介してたけど、俺のはまだだったな。てっきりした気で居たけど。

「不知火士郎。よろしくな」

「シロイヌ。よろしく」

「シロ…イヌ?」

「シロイヌ。なでなで」

 昔っから変な名前だから、シラズビだのミカンだの変な呼ばれ方はしてたけど…。こんなあだ名は初めてだ…。

「シロイヌのおかげで早く終わる。ご主人様に忠実なわんこ」

「わんこ言うな、それと春宮は俺の主人じゃない」

「そうだね。私の友達一号…。ほんとの、友達」

 ほんとの、友達…か。こいつのほんとの友達とは、多分極道の元頭領であるということを知ってて、なお友達であると誓った友達のことを言うのだろう。それでも…、シロイヌはやめて欲しいのだが…。

「まぁ、せめて二人でいる時だけな。その呼び方」

「ん、シロイヌ」

「あと制服、どこにある?」

「ここ」

 春宮はタンスの中から、真新しい制服を引っ張り出した。まだ袋に入ったままだ。朝こいつが説明してたこととも辻褄が合うな。

「一回着てみれば?」

「ん、分かった…、シロイヌ。外で待て」

「はぁ、言われなくとも出ていくさ…」

 なんで俺が犬のように扱われなきゃならないんだろう。

「よし」

「はぁ」

 ほんとに犬のごとき扱いだな。

「…どう?似合う?」

「目やにと髪型と隈がどうにかなれば、似合ってると思う」

「褒められた気がしない」

 ほんと、人って清潔感とかで印象って変わるよな。俺みたいな性格のやつだと余計だ。すると、何やら春宮は目をぐしぐしと手で擦り始めた。

「ものもらいできるぞ」

「目やに、取りたい」

「なら顔洗ってこい」

「ん」

 短く返事をして、春宮は洗面所に向かった。その間に、俺は今度は埃の大量に残っている床を掃除機で掃除した。ちなみに、掃除機は二階の廊下に転がっていた。

 埃を捨てようと中身を見てみたが、ほとんど埃が溜まってなかった。どんだけ掃除してないんだ。それに、これ結構最近出た掃除機だよな。王手メーカーの。確か、ジュースとかジャムとか零してもそれも拭き取れるとかいう新機能付きだ。俺もほしいけど、何分値段がな。宝の持ち腐れとはこのことか。

「おまたせ」

 おっと。戻ってきたみたいだな。

「うん、いいな…、でも…」

 髪がボサボサなのが気になってたが、縛ったら少しマシになったな。でも、髪下ろしてストレートにした方が似合ってるとは思うけどな。

「ストレートの方が好き?」

「あぁ…って!何言わせんだ!今のは忘れてくれ!」

「やってみる。ストレート。ちょっとしたご褒美だよ。忠犬への」

「そうかい、ありがとよ」

 はぁ、ご褒美…ねぇ。辞めてくんないかな…、イヌ扱い。この調子だと、あと一週間くらいは最低でも引き摺られそうだな。

「あのさ。風呂掃除の仕方も教えて…」

「風呂…だと?お前まさか、風呂掃除今までしてこなかったのか?ここまで家事苦手なのに、なんで一人暮らしなんて…」

「両親は鉄砲玉に当たって死んじゃった。組はもう解体したし」

 鉄砲玉って…。嫌なこと思い出させちゃったかな。これじゃ、檜山とおなじゃないか!檜山に失礼かもだけど!ここは…、話題を変えなきゃ。

「風呂掃除だったよな!さて、行くぞ!」

「うん」

 春宮は、少し暗い顔になっていた気がする。元々、無表情だからよく分からなかったけれど…。「早く」と、急かされた為、俺は階段を下り浴室に向かった。

「うわっ、カビ臭…!」

「カビバスターある」

「ならそれ貸してくれ。あとブラシ。用意しておいてくれよ。俺はちょっとゴーグル取ってくる」

「ゴーグル?」

「そ、ゴーグル。じゃ、行ってくるわ」

 相変わらず、春宮は、俺を不思議そうな目で見てきた。その目は、先程までとは違って見える。なんというか、吸い込まれるように真っ黒な瞳。相浦とは、また違った魅力のようなものがある。

 元ヤクザ頭領の箱入り娘。そんな作り話みたいな境遇を隠して、彼女は暮らしていくのだろう。いつか、俺以外にもたくさんのほんとの友達が出来ればって思う。でも、彼女の秘密を知っているのは俺だけであるという優越感に浸っている自分もいる。俺は、ゴーグルを取りに行き、春宮の家に戻った。

「ゴーグルなんて要るの?」

「かけなかったら目が見えなくなるぞ?」

「盲導犬…」

「冗談言ってる場合じゃないっての」

 俺がゴーグルを持ってくると言っていたからか、春宮もゴーグルをかけていた。俺は、そのゴーグルを引っ張りバチンと額に当てた。「あだっ」と、春宮は少しよろめく。

 あ、あれ?思いのほかカビが深いところまで…!これは…、不知火家直伝カビ駆除術その陸を使う時だ!

「くくく…一網打尽だ、降参しろ雑兵共ォ!」

 うし、落ちかかってきたぞ!もう一押しだ!観念しやがれ!

「楽しそう」

「あ、ごめん。うるさかったな。っつーか、結構日が傾いてきたなぁ。それと、こっちは大方片付いた。最後は浴槽掃除の仕方だな」

「うん、よろしく。知ってるけど、確認したい」

「つっても、水巻いて、バスクリーナーかけて、スポンジで擦って泡落とすだけだけどな」

「うん…?」

 うんとは言ったものの、どこかパッとしない返事だな。これは、目で見て覚えてもらう必要があるかもしれない。

「おーい、士郎ー」

 何やら、窓の外から聞きなれた声が聞こえてきた。浴槽掃除をしてる体勢で、顔を上げる。そこには、洗濯物を取り込んでる姉ちゃんの姿が。前に、「洗濯物を取り込むくらいはしてくれ」って言いつけたのを守ってくれたんだ。感心感心…じゃない!

 考えても見ろ、弟が他人の風呂洗ってるのを見て、姉ちゃんはどう思う?俺は、思いっきり下向いて、聞こえないふりをした。懇親の、誤魔化しだ。その時、俺の重心がずるんと前に移動した。年相応に育った俺の体は、浴槽に収まるはずもなく、珍妙な格好で下半身だけ飛び出る形となった。頭から、浴槽に突っ込んだのだ。

「士郎くん、しっかりー…!」

「し、士郎!?」

 春宮はびっくりした様子で、俺の足を引いて浴槽から引きずり出そうとした。あー、ブレザー脱いでてよかった…。って、姉ちゃんがすごい引きつった顔してる!

「春宮…、窓、閉めて…」

「がってん」

「っちょ、士郎ー!?」

 姉ちゃんの呼び声が聞こえたが、聞こえないふりをする以外手はなかった。恥ずかしすぎるよな、こんなの。他人の風呂の掃除をしてるのを見られただけならまだしも、こんな痴態晒して姉ちゃんの顔見れる気がしない!

 俺は、水揚げされたマグロのごとく浴槽から引きずり出された。

「さー、あとは泡を流したらしゅーりょー!排水溝はまた今度な!あっははははは!」

「空元気」

「あっはっはっは…」

 その通りだよちくしょー!今はそっとしておいて欲しいんだが…。やばい、姉ちゃんのあの顔がチラつく…!帰ってどういう風に会話すればいいんだ!

「あの、髪…、泡付いてる」

「いいよ、家で入るから。特に外に行く用事もないしな。じゃ、後はおいおい教えていくから。じゃな」

「あ、あのさ」

「ん?」

 何だろう。モジモジされると、こっちも恥ずかしくなる。俺は、頭を少しかいた。小さな時からの癖みたいなものだな。べっとりと、泡が手に付着する。うげぇ…。

「あなたは私の犬ってことは、二人の秘密にする。だから…、私が元ヤクザだってことも、ふたりのヒミツだからね」

「分かった。でも、俺は認めたわけじゃないからな。誰が犬になるか」

「犬に、飼い主を選ぶ権利はないし、離れる権利もない」

「横暴だな」

 少し、こいつの表情が和らいだ気がする。微笑程度には、笑ってると思う。そんなこんなで、俺の春宮宅初訪問は終了した。

 …さて、これからどうしたものか。「今日のご飯はハンバーグだぞー」…ちがうな。「はは!泡を洗い流すために慌てて帰ってきた!」…あほか。そんな寒いギャグと言えるかも分からない代物言えるか。

「た、ただいま」

「おかえり…あ、あのさ、さっき大丈…」

「あ、俺シャワー浴びるから!後で湯槽も張っとくからさ!」

「ちょ…」

 よーし、勢いでごまかせた!多分!俺はシャツを水で軽く洗い、洗濯機に放り込んだ。シャワーを浴びて、ちゃんと泡をおとした。その時は気が付かなかった。玄関のドアの開く音なんて。

「ふぃー」

「さっぱりした?」

「ああ、春…宮!?」

「ブレザー、忘れてた」

「あ、それはどうも…」

 てっきり忘れてた。わざわざ届けてくれたのか。ありがたいなぁ…。

「ご飯欲しい」

「士郎ー、可愛いねー、この子ー」

 姉ちゃんは、えらく春宮のことを気に入ったらしい。春宮を好き勝手に頭を撫でまくっていた。昔っから可愛いものには目がないからな。子供の頃、近所を散歩していた子犬を家に連れ帰ろうとしてたくらいだ。

「姉ちゃんまで…、つーかお前、トンカツ弁当はどうしたよ」

「よく見たら賞味期限一ヶ月過ぎてた」

「そんなの俺に食わせようとしてたのか」

 危なかったなぁ、俺が腹を下すとこだった。ったく、ほんと、今日初めて会ったってのに、俺はこいつに振り回されてばっかだな。

「ハンバーグ、作ろ?」

「はぁ、わかったよ。作るぞ」

 そこからだ。そこから始まった。俺の、ごく小規模な青春は、色付いた。その色が、他人の言う青春とは違う色かもしれない。でも、それは俺では分からない。正解は無いかもしれない。青春に正解なんて、実在しないのかもしれない。

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