第42話 帰還

 心を怒らせる事に成功した。以前の心なら殻に籠って精神的な自傷していただろうが、今の心は半分怪異だ。完全な怪異化とは違い、人だった名残がある変異化は、力以外では人の域から出ない。


 しかし、身に余る力は精神や性格を変化させる。力とは自分の可能性を信じられる自信だ。力があればある程、どんな事でも出来ると暗示してしまう。力量が足りていようが足りていまいが、自分に自信を持てるのは大きな利点だ。


 頬が裂けるような痛みを感じた瞬間、俺は波打ち際に倒れている事に気付いた。おそらく頬を叩かれたのだろう。ワザと攻撃を喰らうのはイラつくが、心が反撃してきた事を確認出来た。


 立ち上がって砂浜に戻ろうとした矢先、今度は腹部に強い衝撃が走った。見ると、心の右腕が俺の腹部を貫いている。視線を上げて心の顔を確かめると、彼女の表情には躊躇いがなく、ただ純粋に俺を痛めつけるのを楽しんでいるようだ。




「私が弱いと思って馬鹿にしてたでしょ? そうよ、私は弱い。いつだって、おかしくならなきゃやり返せないのだから!」




 心は俺の腹部を貫いていた右腕を抜き、俺の後頭部を掴んで地面に打ち付けた。痛みを感じさせる間もなく、俺の足を掴んだ心は乱暴に俺の体を振り回した。砂浜に投げ飛ばされた時には、俺の体はボロ雑巾になっていた。厄物が無ければ、六回は死んでいる。




「……ハァ。滅茶苦茶痛いな」




 服についた砂を払いながら立ち上がり、砂浜に戻ってくる心を捉えた。心は腕に生えてあるトゲを突出させ、今度は俺を刺し殺そうとしているようだ。


 


「俺を痛めつけるのがそんなに楽しいか?」 




「どうだろうね。でも、気持ちが晴れていくよ」




「悪い遊びを教えてしまったみたいで罪悪感が湧くよ」




「なら、あともう少しだけジッとしてて。どうせ傷は塞がるんでしょ?」




「痛みは感じるけどね。俺はサンドバックじゃないんだ。ただ打たれ続けるわけにはいかない」




「へぇ……じゃあ、化け物同士で殺し合いだ」




 心が腕のトゲを構えて近付いてくる。一方で俺には武器になる物が無い。例え武器があったとして、今の心の肌は鎧のように硬い。であれば、俺がとる行動はたった一つ。


 俺は砂浜を駆け出した。全速力で心から離れた。背後から迫ってくる心の気配を察知し、攻撃される瞬間に身を屈んだ。攻撃を外した心は勢い余って転がっていき、全身砂まみれになっていた。




「口に砂が、ペッぺッ! もう……どうして逃げるのさ!?」




「自分より強い相手が武器も持ってるんだから、逃げるのが最善手でしょ?」




「雰囲気がブチ壊しだよ! 逃げるなら、あんな風に格好つけないでよ!」




「意表を突く為ですよ。言葉の意図を理解出来ない、つまり馬鹿な奴ほど効果がある……あ、別に君が馬鹿だと言ってるわけじゃないから」




「相変わらず馬鹿にして! 二度と馬鹿に出来ないように、その喉掻っ切ってやる!」




「出来るものならやってみろー」




「だから逃げないでよ!」




 砂浜で追いかけっこをする男女。言葉にしたらロマンチックだが、実際は殺す者と殺される者の逃走劇だ。




「もう! 待ちなさいよ!」




「待てと言われて待つかよ!」




「どうせ疲れて追い付かれるんだから、早く楽になろうよ!」




「お前が疲れろ!」




「もう疲れてる!」




 駆ける足をそのままに後ろを確認すると、疲れ果てた心が砂浜に倒れていた。俺も徐々にスピードを緩め、荒くなった呼吸を整えながら心のもとへ戻っていった。


 心の隣に座ると、彼女は気だるげに俺の足を掴み、自分の頭を俺の足の上に乗せた。俺よりも疲労していたが、表情には一切の苦しみが無く、むしろ何かを達成したかのような喜びに満ちている。  




「ハァ、ハァ、ハァ……一生分、走った気がする!」




「たまには運動しなよ。俺より先に根を上げるなんてさ」




「私はインドア派なの。スポーツは出来た試しが無いし、マラソンも嫌。体を動かすより、ジッと風景を眺めた方がずっと良い」




「現代人だな」




「じゃあ冬美は原始人だね」




「原始人を甘く見過ぎ。あれは体力も知能も兼ね備えた無敵の種族ですよ。自分よりも何倍も大きい相手を槍一本で倒すからな」




「じゃあ……ゴキブリ?」




「心も俺に影響されてきたな」




 さっきまでの殺伐とした雰囲気が一転して、今は穏やかだ。心が悲観的に自虐する事も無ければ、俺を殺そうともしない。ようやく、落ち着いて話をする事が出来そうだ。


 話し始めようとした瞬間、何処からか音楽が聴こえてきた。オルゴールの音色と共に、夕方から夜に変わり、月の光で照らされた海が夜空に浮かぶ星空を映している。


 


「……冬美は、死にたいって思った事はある?」




「無いね。いずれ来る死を覚悟しているが、今すぐ死にたいわけじゃない」




「あんなに痛い思いをして、まだ生きたいと思ってる?」




「ああ。生きてれば良い事がある、なんて言葉を信じてるわけじゃない。生と死の過程を全て体験したいんだ。例え、痛みや苦しみに満ちた過程だったとしても、俺は俺の人生を踏破したい」




「何がそこまで……」




「もったいないからだよ」




 なんとなく、俺は心の額を指で撫でた。すると、心が俺の腹部に顔を押し付けてきた。ゆっくりと深呼吸をして、まるで赤子のように身を丸くする。




「……冬美が私を生かしてよ」




「嫌だよ。俺が死んだら、どうするつもりなんだ」




「私が死ぬまで生きてて……」




「じゃあ、明日までですね」




「それ笑えないから……でも、あっちに戻ったら前以上に隠れて過ごさないと」




「じゃあ、俺の家に隠れます?」




 その言葉を口にした途端、心は体を起こした。俺を見る目が、驚きから徐々に嫌悪に変わっていく。




「……そうやって何人も女をとっかえひっかえしてるの?」




「隠れるかって言ったろ。それに何で女限定なんだ」




「私、貧相な体だよ? まぁ、半分化け物になっちゃったけど」




「だからどうした? 体なんか関係無いだろ」




「……そっか。へぇ~……そっかそっか!」




 立ち上がった心は俺に背を向け、しばらく考え込んだ後、俺の方へ振り返った。




「うん。じゃあ、厄介になろうかな」




「おぉ。やっと帰る気になったか」




「ここ以外に帰る場所が見つかったしね。それに、そっちには冬美がいるし」




「じゃあ帰ろう。こっちに来る前にいた場所の事を思い浮かべれば、帰れるはずだ」




 心は腕のトゲを腕の中に戻し、パーカーのフードを深く被って顔を隠した。袖で隠した心の手を握り、彼女が目を瞑ったのを確認してから、俺も目を瞑った。


 再び目を開けると、俺達はバスの中に戻っていた。既にバスは帰りの道を走っており、疲れ果てたクラスメイトは眠りについている。俺達は片耳にイヤホンを着け、同じ音楽を聴きながら目を閉じた。

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