第13話 神隠し 二
神隠しに遭ってから三時間三十一分十七秒。上や下、茂みの奥へ進んでみたが、結局祠があるこの場所に戻ってきてしまう。体力的に余裕でも、同じ場所に居続けるのは精神が擦り減る。
特に、進藤先生が心配だ。十分も座りっぱなしの状態でいる。こういう怪異現象は初体験だろう。普通では考えられない不可思議から恐怖が生まれる。マトモであればある程、恐怖は色濃くなり、身を蝕む。
「先生。大丈夫ですか?」
「……大丈夫……とは、言えないね。門倉君の方は、なんだか平気そう」
「まぁ、慣れてますから」
「……私達、ずっとこのままなのかな? この山から出る事は出来ないのかな?」
「諦めの悪さが人間の良さです。諦めずに打開策を考えて、ここから出ましょう」
「先生失格だね。生徒を導いて、安全を優先するのが役目なのに……これじゃ、大人としても失格だよ……」
「またそれですか。相手を称賛するのは良い事ですが、それで自分を蔑むのは違いますよ。弱さを口に出せば、本当に弱い人間になってしまいます。俺は、そうはなりたくありません」
「……フフ。門倉君、俺って言うんだね。フフフ、アハハハ!」
進藤先生は笑った。明るくなったのは良いが、そのキッカケが俺の一人称なのが気に障る。俺だって精神的に疲れてきてるし、自分を僕と呼ぶなんて余裕が無い。
「先生に模範生として見られる為に僕と言っていましたが、そんなに面白いですか?」
「だ、だって! その顔で俺はないよ! せっかく可愛い顔をしてるんだから、僕でいいじゃない!」
「それだと、軟弱な男だと見られません? まぁ、演技として使ってますけど……結構、抵抗あるんですよ」
「そうだね。門倉君は男の子だもんね……本当に、男の子?」
「女の子に見えますか?」
「女の子にしか見えないよ?」
「ぐっ!? じゃ、じゃあ触ってみてくださいよ! 骨格や筋肉、肌の臭いまで男だよ!」
ここまで女扱いされたのは初めてだ。昔から、俺は女と間違えられるのが嫌いだ。女を馬鹿にしてる訳じゃない。俺が男として産まれたから嫌なんだ。
手を広げて待っていると、進藤先生が俺のすぐ目の前まで近付いてきた。指先で首筋を撫でると、今度は手の平で俺の胸を触ってくる。くすぐったくて、時折声が漏れそうになるが、必死に堪えた。
だが、脇腹を触られた瞬間、我慢の限界がきた。
「ンッ!」
「あら? 随分と可愛い声を出すじゃない」
「これは、くすぐったくて……!」
「ふ~ん」
「あ、あの! もう十分触ったかと!」
そう言っても、進藤先生の手は止まらなかった。左手は背中を撫で、太ももを撫でる右手が外から内へとくる。
「先生、もういいでしょう……?」
「ううん。まだ、男の子だと分かってないわ」
「でも、これ以上は!」
「ねぇ。ここは、誰の目にもつかず、誰の耳にも届かないんでしょう? なら、誰にも知られずに済むわよね?」
進藤先生は俺に抱き着くと、そのまま俺を押し倒した。俺の腹部に馬乗りになっている進藤先生の表情を見ると、蕩けた顔をしていた。頬は少し赤く染まっており、吐く息は何処か妖しい。
まさか、怪異に操られているのか? 気配を察知出来なかったが、稀に怪異の気配を持たない怪異が存在するとルー・ルシアンから聞いた事がある。
だが、幸運だ。怪異は進藤先生に憑りついているだけで、身体的な変化が無い。ファミレスの時のように、体を拘束されているわけでもないから、マウントを取られている状態でも対処が出来る。
俺は左手で進藤先生の胸を掴み、左手目掛けて勢いよく右手を叩きつけた。すると、進藤先生は胸を手で抑えながら倒れ込んだ。手応えは十分にあった。
「どうです? 正気に戻りましたか?」
「え?」
「あなたは恐らく、怪異によって体を乗っ取られていました。俺を押し倒し、妖しい表情で俺を見ていたんです。でも、今回は対処する事が出来ましたよ」
「……あー、うん。そんな記憶、無いな~」
「怪異に憑依されると、その間の記憶はありません。身に覚えの無い事件の当事者として苦しんでいる人もいるくらいですし」
「そ、そうなんだー……あの、門倉君。もうちょっと、警戒する事を意識した方がいいんじゃないかな?」
「まだまだ俺も未熟者ですからね。この道を極めるつもりはありませんが、ある程度は身に着けないとですね」
「いや、そういう事じゃ……まぁ、いいか」
そう呟くと、進藤先生は膝を抱えて座り出した。膝に自身の頭を押し当てながら、ため息を吐いている。生徒を危険な目に遭わせてしまった事を悔やんでいるのか。気にする事でも無いし、怪異の対処法なんて、普通の人が持っている訳ないのに。
俺は進藤先生の隣に座り、先生の背中をさすった。学校の先生の仕事内容は分からないが、抱えている責任の重さは知っているつもりだ。自分の行動や言葉一つが、生徒を良い方向に進ませる事もあれば、逆に悪い方へと進む事もある。なりたくない職業ナンバーワンだ。
「先生は、どうして教師になろうと思ったんですか?」
「……憧れてたから」
「どうして?」
「……私、中学の時にイジメにあったの。ある日、急にだよ? 周囲の人は見て見ぬフリをしていて、学校の先生も助けてくれなかった。誰も次の被害者になりたくないから。でも、すぐ後に、新任の先生がやってきたの。その人は教育実習生で、まだ教師じゃなかったけど、とても良い人だった。他の人とは違って、私の事を助けてくれたんだ」
「だから、先生に?」
「うん。私も、困っている生徒……ううん。困ってる人がいたら、助けられる人になりたいと思ったの」
意外だ。進藤先生みたいな綺麗な人が、イジメの被害者だった過去があるなんて。いや、綺麗だからこそ、イジメられたのか。
「それで、その先生は?」
「分かんない。私のイジメを解決してくれた後、何処か別の学校に行っちゃった。お礼も、まだ言えてなかったな。カッコイイ人だったんだよ? 見た目もそうだけど、他人を助ける所が特に」
「それも見返り無く。確かに、素晴らしい人だ。それに比べて、俺の恩人ときたら」
「門倉君にも、私みたいな恩人がいたの?」
「全然似てないんですけどね。顔は良いですが、俺にした仕打ちを考えると、善人というより悪人ですよ」
「恩人、なんだよね?」
「まぁ、命は救ってくれましたね」
俺の命を救ってくれた人が、進藤先生の恩人のような人だったら良かった。きっと俺の相談も聞いてくれるだろうし、今みたいな危険な状況に駆けつけてくれただろう。
さて、進藤先生の様子が元に戻った事だし、直面している問題に目を向け直そう。何処へ向かっても祠の場所に戻ってくるなら、安易に動き回るのは体力の無駄だ。怪異が姿を現す様子も無い。
となれば、やはり像の中に隠されていた緑色の石か。現象が発動したキッカケは分からないが、あの石に力が宿っていたのは確かだ。石の力で現象に遭ったのなら、戻る事だって可能なはず。問題は、その石が今どこにあるのかだけ。現象が起きる前、俺は確かにポケットに入れたが、現象が起きた後には無かった。
ちょっと待てよ? 現象が起きた後に無くなった? 違う、そうじゃない。俺は、認識出来なくなっていただけだ。
「……あった」
ズラしていた感覚を元に戻すと、ポケットの中に入れていた石を認識する事が出来た。盲点だった。こんな初歩的な所でミスをしていたなんて。
「その石は何?」
「これが神隠しを起こした元凶ですよ。俺達、帰れるかも―――」
その瞬間、背筋に悪寒が走った。まだ距離はあるが、間違いない。
怪異が、現れた。
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