第10話 特異性
美味しいコーヒーだ。スッキリとした苦味の後に、ほんのりと果実の風味がくる。どれだけインスタントコーヒーが発展しても、こういった味わい深いコーヒーは実現不可能だろう。
現実逃避はこれくらいにして、信じ難い現実に目を向けよう。俺は宮下さんの部屋に案内されたのだが、目のやり場に困っている。壁という壁に、俺の写真が貼られていて、全て隠し撮られた写真だ。学校で授業を受けている様子や、外を歩く姿、進藤先生の車に乗っている俺の写真。
これ程の量を宮下さん一人で撮ったとは考えにくい。おそらく、宮下さんが知人に頼んで撮ってもらったのだろう。なにせ、彼女は人気者だから。
「門倉君。コーヒー美味しい?」
そう言いながら、宮下さんが部屋に戻ってきた。部屋の扉には複数の鍵があり、全て電子ロックされたハイテクな物だ。いくつかは盗み見れたが、宮下さんの背中で隠された残りのパスワードは把握出来なかった。
宮下さんは俺の隣に座ると、肩に頭を乗せてきた。甘い香りがする髪の匂い。
「お父さんが淹れたコーヒー、結構自慢なんだ!」
「確かに。自慢しても良い出来だ。これ程の物なら、いっそ店でも構えればいい」
「私とお母さんもそう思ってるけど、お父さん現実的な人だから。コーヒーが美味しいだけじゃ、今の世の中じゃ儲からないって言うの。別に、趣味でやればいいのにさ」
「まぁ、気持ちは分かる。金が掛かり過ぎる趣味は、相当の熱意が無ければ続かない。儲かってしまえば、趣味じゃなくて仕事になってしまうしね」
「お腹空いてるでしょ? お母さんがもう少しで出来るって言ってたから、一緒に食べよ」
「献立は?」
「オムライスとインスタントのコーンスープ。冷蔵庫に残ってたのがタマゴくらいしか無かったみたい。そしたらお母さんったら、お父さんに食材を買いに行かせようとしてたんだよ? もうほとんどのお店が閉店してるっていうのに」
「夜分遅くに来た俺が悪いのに、随分と気を遣ってくれて。良い両親だね」
「自慢出来る両親で、私の大切な家族だよ」
てっきり、これから薬物投与か身体的な拷問が始まると思っていた。明らかに異常な部屋で、いたって普通の会話をするなんて。俺が一番苦手な相手の特徴である読みにくい相手だ。状況を悪化させるかもしれないが、単刀直入に言ってみよう。
「……それにしても、随分と手の込んだ内装だね。ご両親は、この事を知ってるの?」
「うん。初めは困惑してたけど、私が他人に興味を抱いたのが嬉しかったみたいで、色々と手配してくれたの。写真は私の知人が協力して撮ってくれた」
「宮下さんは俺の何に興味を抱いてるの?」
「う~ん……存在、かな? 中学の時、独りで廊下を歩いている門倉君を見かけたの。その頃、門倉君の事は全く知らなかったし、同級生だとも知らなかった。だから、興味を抱いたの」
「分からないな。何処に興味を惹かれる要素が? ただ独り者を見かけただけじゃないか」
「門倉君なら、もう勘付いていると思うけど。私は、私の瞳に見つめられた相手を操る事が出来るの。自覚したのは中学に入学する手前。ふと、どうして私の周りに人が集まるのかが不思議に思えたの。それで、試しに見知らぬ人の事を見ていたら、その人と目が合った。その途端、その人は笑顔を浮かべながら私に好意を向けだした。少し怖かったけど、それよりも高揚感の方が大きかった」
「支配欲ってやつか」
「そこから先は、門倉君が知っての通り。私は人気者になった。老若男女問わず、私の言う事に従順な良い人で私の周りを囲んだ」
いつか、ルー・ルシアンから聞いた事がある。成人前の若者にだけ発生する特殊な病、奇病。その特異性ゆえに表沙汰にならず、都市伝説として語られる空想のような現実の病。奇病の特異性は発症者によって違い、他者に影響を与えるものまである。
ルー・ルシアンは言った。奇病は発症者の願いを叶える歪であると。つまり、宮下さんの瞳に見つめられた相手を従順にする奇病は、宮下さんの願いだという事。
しかし、疑問だ。宮下さんは見た目も良いし、文武両道。奇病が叶えずとも、自然と人は寄っていく。そもそも、願いになる事すらおかしい。
「宮下さんに一つ聞きたいんですが」
「私に興味を持ったの? 嬉しいな~!」
「宮下さんの夢は何ですか?」
「夢?」
「将来就きたい職業ではなく、こういう未来を迎えたいと思う夢です」
「……教えたら、門倉君についても教えてくれる? 私や他の人に隠している門倉君の秘密を」
「でしたら、聞くのは止めておきます」
「フフ。やっぱり、話してくれないんだ。他人の秘密だけを知ろうなんて、虫が良すぎるよ?」
「……一つだけ、言える事があります。俺も宮下さんのように、普通の人が持っていない特異性があります」
俺はシャツのボタンを外し、胸元をさらけ出した。
「ヒャッ!? ど、どうしたの急に!? そういうのは、もっと段階を踏んでからで……!」
「見てください」
「見てって言われても、恥ずかしいよ……!」
「いや、見てもらわないと話を進められないので」
宮下さんは手で顔を覆いながら、開いた指の隙間から俺の胸元に見た。視線が左胸の方へ動くと、顔を覆っていた手が離れ、信じられないような表情を浮かべていた。
「傷が……無い」
宮下さんは俺の左胸に触れ、五つの穴があった痕跡を探すが、当然見つからない。
「俺は傷を負ってもすぐに治るんです。穴が開いた体、折れた骨、切断された体の一部。どうなったとしても、数秒の間に完治してしまう。死ぬような痛みを感じても、死ねないんです」
半分が嘘で、半分が本当の事。俺の特異性は自然と発症したものではなく、ルー・ルシアンに埋め込まれた厄物の影響。厄物が体内に寄生している限り、俺は死ぬ事が出来ない。
「さぁ、俺は自分の秘密を言いましたよ。次は、宮下さんの番ですね。まさか、秘密を聞くだけ聞いて、自分は言わないなんてしませんよね?」
「……同じ、なんだ……門倉君も、私と一緒なんだ! アハハ!」
宮下さんは俺を抱きしめると、そのまま押し倒してきた。でも、それだけだ。彼女は俺の胸に頬ずりをして、ただただ喜んでいた。
「やっぱり私の勘は当たってた! 門倉君は他の人とは何かが違うって!」
「それじゃあ、宮下さんの夢について教えてくれますか?」
「なんで?」
「なんでって……そういう約束でしょ」
「だって、私は自分の特異性を先に話したよ。ほら、お互い秘密を一つずつ教えあった事になるでしょ? そんなに聞きたいなら、門倉君の秘密をもう一つ教えてくれないと!」
「そりゃ後付けってやつでしょ……もういいや。第一、俺が宮下さんの秘密を知っても、何の得にもならないし」
「じゃあ、門倉君が私の秘密を知りたいって思えるように、これからはもっと仲良くなっちゃお!」
「あんまり学校じゃ話しかけないでくださいね。宮下さんは人気者なんですから」
思わぬ形で宮下さんが奇病持ちだと知れた。発症した原因はやっぱり気になるが、リスクが大き過ぎる。
でも、得た情報は多い。宮下さんは俺の秘密を把握していなかった。ルー・ルシアンという雇い主について、クロの存在について。そして中学の時、学校に隠されていた怪異を暴く為に潜入していた事も。彼女は俺の事を何一つとして理解していない。
宮下さんが知り、そして見ている俺は【門倉冬美を演じる偽物】だ。
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