第4話 油断大敵

 豊崎さんの案内のおかげで、無事に聖歌高校の近くまで来れた。まだ入学式が終わっていないのか、下校する新入生の姿が一人も見当たらない。それでも、俺が遅刻した事に変わりない。


 正門を通り、学校の入り口に向かっていくと、入り口前に誰かが立っていた。陽の光に照らされた金色の髪と瞳の男子生徒。品行方正という言葉が似合う彼は、聖母のような慈しみある視線で、ジッと俺を見つめている。


 俺はなるべく彼と視線を合わせないようにした。あの瞳で見つめられるのを本能が避けている。


 


「遅刻だよ」




 彼は俺に話しかけてきたが、それに返事はしない。これまで多くの怪異と遭遇してきた中で学んだ事は、無視をする事。触らぬ神に祟りなしと言うように、認識しなければいい。


 彼とすれ違いざま、肌を刺すような威圧感に顔を歪めてしまった。反射的に、彼の方へ視線を向けてしまい、目が合ってしまう。金色の瞳が、確かに俺を捉えていた。




「門倉冬美君」   




「ッ!?」




 俺の名を呟く彼の声は、宮下さんとは違う恐ろしさがあった。まるで、俺の全てを知っているような声色だった。


 俺は少しだけ足を速め、彼から逃げ出した。幸いにも、彼は追ってこなかった。二階に上がり、一年の教室前に来ても、まだ胸の動悸が止まらない。名前も知らない男に、俺は怯えている。怖くて怖くて、たまらないんだ。こんな気持ち、初めて怪異と遭遇した時以来だ。




「……後日、あの男について調べておこう。今は、当初の問題の解決法からだ」




 呼吸を整え、冷静さを取り戻してから、教室の扉を開けた。




「門倉君」




 扉を開けた先で待っていたのは、クラスメイトを後ろに整列させた宮下さんだった。もう既に、宮下さんは【人気者】になれたようだ。




「入学式から遅刻? 朝に弱いの? 良かったら、明日から私が起こしに行きたいな!」




「今日は訳あって遅刻してね。宮下さんは、もうクラスの人気者になれたみたいだね。まるで、宮下さんの奴隷みたいだよ」




「アハハ、奴隷だなんて! みんなが良い人なだけだよ! 私の頼み事を何でも聞いてくれる良い人なだけ」




「じゃあ、これからの高校生活は不自由なく過ごせるね。だって、みんな良い人だからね」




「私、門倉君とも仲良くなりたいな~」




「もう十分だと思うよ」




「駄目だよ。私と門倉君は、もっと仲良くならなきゃ」




 そう言って、宮下さんはゆっくりと右手を上げた。それと共に、クラスメイトは隠し持っていた縄を手に持った。




「あれ? 門倉君?」




 宮下さんの命令が下される寸前、俺の背後から若い女性の声が聞こえた。振り向くと、名簿を抱えたスーツ姿の二十代後半の女性が立っていた。あどけなさが残っている顔つきを見るに、新人教師か。




「ここは門倉君のクラスじゃないわよ? 門倉君は私が担当する二組。さっき体育館で校長先生が発表したでしょう?」




「……ああ、そうでしたね! ごめんなさい、まだ緊張してて……!」




「今日から高校生だものね。私も今日から本格的な先生になったから、少し緊張してる。あ、私は進藤恵。名前じゃなくて、ちゃんと進藤先生って呼んでね? さぁ、教室に行きましょう」




「はい! じゃあね、宮下さん。宮下さんと同じクラスじゃなくて、残念だよ」




「そうだね。本当に、そうだよ」




 思わぬ助け舟だった。あそこで進藤先生が来なかったらと思うと……想像するのは止めておこう。一先ず、宮下さんと別のクラスだった事に安堵しよう。


 


 その後、明日からの授業予定と簡単な挨拶を交え、新入生は先に下校する事になった。朝から色々と起きたが、いつだって物事はなるようになる。それを再確認出来た日だった。


 机の横に下げていた鞄を肩に掛け、教室から出ていこうすると、進藤先生が俺のもとへ近付いてきた。




「門倉君、ちょっと時間いいかな?」




「ええ、いいですよ」




「良かった! 実は、少し手伝ってほしい事があってね。職員室から書類をいくつか車に運びたいんだけど、一人じゃ持ちきれなくて……」




「そうですか。じゃあ、進藤先生も今日はもう帰るんですか?」




「そうだね。でも、明日から遅くなりそう……って、生徒相手に愚痴は駄目だよね?」




「いいじゃありませんか。同じ新人同士、助け合いましょう」




「本当にごめんね! それから、ありがとう!」




 そうして、俺達は教室から出た。廊下に出ると、嬉々として下校する生徒達の中、宮下さんだけが廊下の中央で俺を待ち構えていた。




「門倉君、一緒に帰りましょ」




「ごめんね。進藤先生の用事を手伝わないといけないから」




「駄目だよ。さぁ、帰りましょう」




「えっと……確か、一組の宮下さん、ですよね? ごめんなさい、門倉君は―――」




「先生、綺麗な眼をしてるね」




「え?」




「私に、よく見せて」


 


 フクロウのような眼をした宮下さんが、進藤先生に近付いてくる。嫌な予感がした。




「先生! 早く済ませましょうか! じゃあね、宮下さん!」




「―――えっ!? か、門倉君!?」




 進藤先生の手を握り、急いでその場から離れた。多分、宮下さんは同じ方法でクラスメイトを駒にしたのだろう。俺はそういった洗脳の類に耐性があるから効かないが、進藤先生や他の人達には効き目がある。現に、進藤先生は宮下さんから目を離せなくなっていた。


 


 その後、俺達は職員室から必要な書類を持ち出し、進藤先生の車に積み込んだ。車内には甘い匂いが漂っていて、後部座席に動物のぬいぐるみが並べられていた。




「ありがとう門倉君! おかげで手間が省けたよ!」




「いいんですよ。都合が良かったし」




「え?」




「こっちの話です。それじゃあ、進藤先生。また明日」




「ちょっと待って! 流石に何のお礼もしないまま帰しちゃうのは悪いよ」




「お礼なんて、いいですよ」




「そう謙遜しないで。恩に報いるのが、私のポリシーなの。どうせ私も帰るだけだし、車で門倉君の家まで送っていくよ」




 どうするべきか。進藤先生からは、宮下さんのような怖さは感じない。嘘を言っているような感じでもない。


 でも、進藤先生とは今日が初対面だ。頼るなら、他の生徒でも良かったはず。進藤先生の頼み事なら、みんな喜んで引き受けるだろうし。それなのに、彼女は俺を選んだ。まるで、最初から決めていたかのように、俺に近付いてきた。


 いや、深読みは止そう。今日は集中して観察する人が多過ぎた。その所為で、思考がまず疑う事を優先している。




「……それじゃあ、お言葉に甘えて」




「良かった! それじゃあ、助手席に乗って」




 車の助手席に乗り込み、進藤先生が運転する車で下校した。進藤先生は下校途中の生徒を見かけると、スピードを落として、わざわざ一声掛けていた。みんな進藤先生から声を掛けてもらえて嬉しそうにしていたが、助手席に座る俺を見るや否や、怪訝な表情を浮かべていた。


 公道に出ると、制限速度ピッタリの速度で車を走らせながら、進藤先生は鼻歌を歌いだした。




「なんだか、ご機嫌ですね」




「だって、夢見た教師になれたもの。クラスの子はみんな良い子そうだし。その中でも、君は特に良い子だしね!」 




「随分評価が高いみたいですね。でも、進藤先生が思ってる程、僕は良い子じゃないですよ?」




「ううん。門倉君は良い子だよ。先生、人を見る目は良いから」




「……そうですか」




 腐った目だ……なんて、言えるわけないよな。




「はい、着いたよ。ここでしょ?」 




「合ってますよ。送ってくれて、ありがとうございます」




「いいのいいの! それじゃあ、明日からよろしくね。門倉君」




 別れの挨拶を交わすと、進藤先生が運転する車は走り出した。車が見えなくなってから、俺は作っていた笑顔を解いた。




 俺は、進藤先生に家の場所を教えていない。

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