第2話 フクロウ
明日は入学式だ。ご丁寧な言葉遣いで語られる定番の祝辞を聞き終えれば、午後になる前に終わる。予定は無いが、不釣り合いな場所に長居出来る程、俺は無駄を好まない。
「そうだ、制服。届いてから一度も着てないな。入学前まで一度も袖を通さないんじゃ、恰好つかないだろ?」
ハンガーに掛けていた制服を手にして、クロの前で着替えた。本当はクロの目の届かない場所で着替えたかったが、何処へ行っても付き纏って来るし、ただでさえ狭い部屋の半分をクロのデカい体が占領している。三メートル近い身長だと、ただそこにいるだけでも容量を満たすもんだ。
制服に着替え、ダラけないようにピシッとしてから、クロに感想を求めてみた。
「どうだ? 男子生徒のように見えるか?」
俺の問いに対し、クロは首を傾げた。女のような顔は生まれ付いたものだから仕方ないが、誰一人として俺を男だと認識してくれないのは気色が悪い。言動も態度も、素行も行動も、全部を男らしくしてみたが、依然として効果は無かった。
「まぁ、服だけで解消できる程、楽な問題じゃないと分かっているけどさ」
制服から普段着に着替えようとした矢先、ハンガーにネクタイが残されているのに気付いた。明日から通う事になる高校の制服には、ネクタイがあるんだったな。
ネクタイを首に巻き、結ぼうとした時、俺は重大な事に気が付いた。
「……やり方分かんねぇな。お前、知ってるか?」
ネクタイの結び方について尋ねてみると、クロは頷いた。俺は手を広げ、クロの教えを乞う事にした。クロは長い手を俺の首元に伸ばし、ネクタイを結ぼうとしてくる。
そして、クロに触れられたネクタイは忽然と消えた。そうだった。クロは触れた物を何処かへ消す力があるんだったな。一緒にいるようになって、何度か色々と試してきたが、どうやら俺以外に触れる事は出来ないし、制御する事も出来ないらしい。
ショッピングセンターの二階にあるスーツやネクタイを売ってる売り場にやってきた。クロも一緒に行きたがっていたが、置いてきた。人や物が密集している場所で、クロが誤って触れてしまう可能性がある以上、安易に家の外に連れてくるわけにもいかない。
「力の制御さえ出来てれば、連れてきたんだがな」
棚に並ぶネクタイ一つ一つを体に当てて、置かれている小さな鏡で確認していく。似合う似合わない以前に、気に入った物が見つからない。派手だったり、色鮮やかだったり、明るすぎだ。
結局、棚に並べられていたネクタイから選べなかった。別の売り場から探そうとした矢先、マネキンが試着しているスーツに目がついた。
そのスーツは、主に葬式などで使われる喪服と言われるスーツ。結んであるネクタイは黒色で、普通のネクタイよりも若干細い物だった。
「……すみません」
「はーい!……えっと、レディースはあちらですが?」
「メンズで合ってます。このネクタイって在庫ありますか?」
「え? この、喪服のですか? ええ、ありますよ。お父様か、兄弟の?」
「いや、俺の」
店員から終始不思議そうな表情と眼で見られながら、なんとかネクタイを手に入れる事が出来た。校則には、派手なネクタイや装飾品を禁じると書かれていた。なら、今日買ったネクタイに文句はつけられないだろう。
目的の物を買えたが、このまま帰るには何だかもったいない。一階の食料品店で、コーヒーともやしを買おう。
「あ」
「あ?」
エスカレーターの上りと下りが交差する所で、一人の少女が目を丸くして、俺を凝視していた。記憶が確かなら、あれは中学で人気者だった茶髪と可愛い顔が取り柄の女子だ。名前は、宮下……宮下……さんだ。
しかし、どうして彼女はあんなに目を丸くしていたのだろうか? 俺の後ろには誰もいなかったし、俺と宮下さんに交流はない。
「門倉君!」
後ろを振り向くと、宮下さんがエスカレーターを早足で下りてきていた。さっき上に着いたばかりだったのに、もう追いかけてきたのか? というより、俺の名を呼んだ?
「門倉君だよね? そうだよね?」
「うん。宮下さん、だよね?」
「っ!? 憶えててくれたんだ! 嬉しい!」
「ハハ。憶えるもなにも、この前まで俺らは一緒の中学に通ってただろ? 忘れるにしては早すぎるよ。特に、宮下さんみたいな人気者の人物はね」
「私も、忘れてないよ。門倉冬美。あなたの事は絶対に忘れられない」
なんだろう。何故か、宮下さんが怖い。怖いという感情が薄まっている俺に、初めて恐怖を覚えた時と同じ鮮度を味あわせるなんて。今回が初めての会話だが、案外厄介な相手かもしれないな。
「門倉君、何か買ったの?」
「ん? ああ、ネクタイだよ。入学式が明日に控えてるってのに、駄目にしちゃってね」
「そうなんだ。それは災難だったね」
「消えたのがネクタイだけで済んで幸いだけどね」
「消えた?」
「いや、こっちの話。宮下さんは―――」
「麗香でいいよ。麗香って呼んでほしい」
「あ、そう。麗香は―――」
「ウフフ!」
あ、この人と関わったら駄目だ。過去に遭遇した怪異にも、存在を認識させようとしてきた奴がいたが、恐らく同じ類だろう。
「会話になりそうにないから、やっぱり宮下さんでいいかな?」
「あ……そうなんだ……うん……分かった!」
「うん、話が通じて良かった。それで、宮下さんは何か買いに来たの?」
「ううん。何も買わないよ?」
「え? じゃあ、何で?」
「門倉君に会いに来たの。明日からよろしくね、門倉君!」
そう言って、宮下さんは人混みの中へと混じっていき、姿を捉えられなくなった。明日からのクラスメイト全員に挨拶し回っていると思いたいが、それは非現実的な行動だ。俺個人を狙って会いにきたと考えた方が現実的だ。
彼女の一方的な言葉と、フクロウのような眼。入学式もまだなのに、早くも警戒すべき相手が同級生にいると知ってしまうなんて、憂鬱だ。せめて、別のクラスに振り分けられる事を願おう。
帰宅すると、玄関に立っていたクロが俺を出迎えてくれた。
「留守番させて悪いな。お前を外に出すには、俺もお前も、もう少し考えてからじゃないといけないんだ」
俺が手を差し伸べると、クロは俺の手を包み込むようにして握ってきた。恐ろしさは感じない。むしろ、安心感で満たされる。
しばらくそのままでいると、クロは俺の手にぶら下げていた買い物袋を指差した。どうやら、袋を運ぶのを手伝いたいようだ。なんというか、幼い妹みたいだ。微笑ましくて、ついつい俺も任せてしまう。
「……あ」
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