第14話 黄石山城(ハンスサンソン)の戦い 修正版
※この小説は「倭城(わそん)」の修正版です。実は、パソコンの操作ミスで編集中に保存できなくなり、新しいページで再開した次第です。文言や表現を一部修正しております。もう一度読み直していただければと思います。
空想時代小説
慶長2年(1597)7月、清正は1万の兵を連れて西生浦を出立した。残り1万は飯田直景が城代として西生浦倭城(ソソンポワソン)へ残った。
左軍は宇喜多秀家、右軍は毛利秀元が大将である。清正は右軍の先陣をたまわっている。右軍の総勢は6万5000である。
晋州(チンジュ)から北へ8里(30kmほど)行ったところの黄白山城(ハンスサンソン)に敵がたてこもっているとの知らせがあり、右軍はそこをめざしている。ここは慶尚道(キョンサンド)と全羅道(チョンラド)を分け隔てる要衝の地で、かつては百済(ペクチュ)と新羅(シルラ)の国境であった。それゆえに、どちらの地も見渡せる要害の地である。
8月、清正勢は南面に陣取った。鍋島勢は西面、黒田勢は東面である。
16日未明、月明かりの中、総攻撃が始まった。十兵衛は100名の鉄砲隊を任せられており、後方に位置している。敵が攻め込んできた時の一斉射撃を準備している。だが、敵は守るだけで、山城から下りてくる気配はなかった。隼人は配下を連れて山を登っていった。
守備は2000ほど。遊撃隊がいたが早々に裏山から逃げ出していった。伏兵になるかと思い、鍋島勢と黒田勢が追いかけていったが、散り散りに逃げていくだけだったとのこと。敵の士気は低い。
正門の南門を清正勢の亀甲車が打ち破った。亀甲車は改良されて上からの攻撃に耐えられるようになっている。いの一番に突入したのは加藤三傑の一人森本義太夫である。隼人とならぶ豪傑である。隼人は一番乗りを取られたと悔しがっている。
城内では、なで斬り状態だったということだ。十兵衛は清正の近くで鉄砲がすぐに撃てるように待つだけであった。だが、とうとう一発も撃つことなく終わってしまった。
城主の郭県監(※県知事)は長政勢の神田対馬に討ち取られた。昼前には戦は終わってしまった。
隼人が陣にもどってきて、十兵衛にぼやく。
「明の兵は一人もおらん。朝鮮の兵だけしかおらんかった。それも指揮官は文官だ。逃げていった遊撃隊の指揮官が武官のようだったが、指揮系統はなっていない。つまらん戦だった」
手柄を取られて、不満ありありのようであった。それを聞いた清正が
「いずれ明がでてくる。そうなれば、こんなものでは終わらん。その日のために兵を無駄になくすな。それが指揮官のつとめぞ」
と言い放つ。隼人は以前の晋州城(チンジュソン)攻撃で多くの兵を失っている。清正の言葉を聞いて恐縮している。
その夜、陣幕の中で弥兵衛が声をかけてきた。
「十兵衛さま、陣の外で妙な気配が・・」
と言うので、陣幕の外に出てみる。すると、そこに矢がとんできた。とっさに避けたが危なかった。
「敵襲!」
と大きな声を出す。夜襲をかけられてしまった。あの晋州城で眠れぬ夜を過ごしたことを思い出してしまった。しかし、飛んでくる矢は多くなかった。清正勢の本隊がでてくると敵は逃げ出していった。どうやら遊撃隊の生き残りみたいだ。
夜が明けてから山狩りが始まった。一日かけて見つけたのは、わずか5名であった。朝鮮の兵の中にも気骨のある者はいたのである。
翌日、右軍は全州(チョンジュ)に向けて進軍した。ここで宇喜多秀家率いる左軍と合流する算段である。ここで明・朝鮮合同軍を迎え撃つことになると、だれもが考えていた。
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