いさりびと時空を渡る
テクパン・クリエイト
いさりびと時空を渡る
7000万年前の北アフリカ。
涸れた川の側を力無く歩く、一頭の巨大な恐竜の姿があった。
細長い鼻面。
眉間を飾る小さなトサカ。
乱杭歯。
頑丈な3本指の前脚、鋭い爪。
短めだががっしりした後脚。逞しい趾(あしゆび)。
縦に平たい、しなやかな尻尾。
そして、背中を飾る屏風のような帆…。
後に人間達に【スピノサウルス】即ち【棘突起の爬虫類】と呼ばれる事になる、生物の歴史上最大の陸棲肉食動物である。
その老いたスピノサウルスは、飢えていた。
旱魃で川が干上がり、獲物である魚が居なくなってしまったからだ。
もう何日も食べ物を口に入れていない。
―何か食べなければ。
―このままでは飢え死にしてしまう。
スピノサウルスは本能でそれを感じ取り、必死になって餌を探していた。もう何日も乾いた川べりを彷徨って。
いつの間にか、スピノサウルスは嘗て湖があった場所に辿り着いていた。
その湖の中央。
僅かに泥を残し、湿り気を帯びた一角に、もやもやと輝く光の塊があった。高さ5メートルはあろうか。
スピノサウルスの目には、それが水の塊のように見えた。
―水の塊が嗚呼やって宙に浮くのは解せないが、若しかしたらあの水の塊の中に、食べ物になる何かが居るかも知れない。
意を決したスピノサウルスは、その光の塊の中に首を突っ込み、そのまま突進して行った。
✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽
同じ頃、現代の日本。
とある小学校。
灼熱の炎天下、ジャージ姿の中年男性が竹刀を片手にプールに向かって何か喚き散らしている。
どうやら水泳部の夏季特訓のようだ。
水泳部に所属する児童達はもう長い時間プールの中で泳ぎ続けているらしく、その顔には疲弊の色が濃厚に浮かび、泣き出しそうな顔をしている子供も居る。
その内ひとりの児童が青い顔をしてプールから這い上がり、泣きながら何か中年男性に訴え始めた。
中年男性は黙ってそれを聞いて居たが、突然その児童の頬を平手打ちした。そして耳障りな大声で何か怒鳴りつけ、プールに戻るよう強く促した。
児童は苦悶の表情を浮かべ、涙を流しながらプールに戻りかけた。
その時。
突然プールの水が高々と盛り上がった。
プールに戻りかけた児童も、まだプールに残っていた他の児童達も、慌ててプールから離れて逃げ出した。それに向かい中年男性が竹刀を振り上げ怒鳴りつける。恐らくはプールに戻るよう強要しているのだろう。
然し、最早中年男性の声に耳を傾ける児童は居なかった。
そして。
高々と盛り上がった水の中から水滴をしたたらせて姿を現したのは、何と、先程光の塊の中に身を委ねた空腹の老スピノサウルスだった。
中年男性は驚きのあまり腰を抜かした。
スピノサウルスは、キャーキャー叫びながら逃げ惑う児童には全く目をくれず、目の前でへたり込んでいる陰険そうな顔つきの中年男性を睨みつけると、しげしげとその体を検分した。
―脂ぎっていて腹持ちが悪そうだが、当座の空腹を充たすには十分な獲物だ。
スピノサウルスの首がぐいともたげられ、次の瞬間、矢のように射出された細長い顎が中年男性の足をしっかりと咥えて居た。乱杭歯が中年男性の脹脛を容赦無く刺し貫く。鮮血が飛び散った。
中年男性が痛みのあまり苦悶の叫びをあげる。
スピノサウルスはそれには構わず、中年男性を咥えたまま後ずさると、中年男性を咥えた顎を素早く水の中に突っ込んだ。
がぼごぼがぼ…
中年男性の鼻腔と口から大量に泡が出る。完全に溺れている。
スピノサウルスは暫く中年男性を水の中に押し込めていたが、暫くすると今度は乱暴に水の中から顎を引き抜いた。そして、間髪入れずに再び顎を水中に突っ込んだ。
暫く、それが繰り返された。
中年男性が意識を失い、ぐったりしたのを確かめると、スピノサウルスは顎を水中から引き抜き、プールサイドに中年男性の躰を乱暴に叩きつけた。
ゴッ
鈍い音がして中年男性の頸の骨が折れる。
スピノサウルスは中年男性が死んだのを確かめると、前脚の爪で器用に衣服を引き裂き、切り刻んだ。それらを咥えてはちぎり取り、すっかり衣服を剥ぎ取ってしまうと、スピノサウルスは中年男性の躰を今度は頭から咥え直し、何度もトスしながら嚥下して行った。
スピノサウルスの太い首を、最早ただの肉塊と化した中年男性の体がずるりと通り抜ける。
やがて、スピノサウルスの胃袋は中年男性の肉によって充たされ、スピノサウルスは一先ず、強い飢餓感から脱する事が出来た。
スピノサウルスは、次の獲物を探す為に再び水の中に潜って姿を消した。
騒ぎを聞きつけて、学校関係者や警察がプールに駆けつけた時には、激しく波立つプールと僅かな血痕、細かく裂かれた衣服の他は何も残されていなかった。
犯人の目星がつかぬまま、数年後、事件は迷宮入りした。
✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽✽
気がつくと、スピノサウルスは先程居た湖の跡に立っていた。
夢だったのだろうか、と彼は考えたが、然し口の中には血の味が残っていたし、胃袋は確かに何かの肉で充たされていた。
ふと、スピノサウルスは空を見上げる。
どうやら雨が近いらしく、東の空に厚い雲が垂れ込めて居た。
―やっと魚を狩る事が出来る。
―厳しい乾期が終わる。豊かな獲物に溢れた季節が来る。
スピノサウルスは低く唸ると、雲が垂れ込める東の方角へ、力強く歩き出した。
いさりびと時空を渡る テクパン・クリエイト @TechpanCreate
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