第22話 自覚してから覚悟する

 鈴木さんが妊娠したことに対してネガティブな感情はない。

 本当に嬉しいが安定期に入るまでに流産となってしまうケースは多いらしい。

 妊娠十二週までの早期流産が全妊娠の十二%程度とのことだ。

 先日十一%の確率を引き当てた自分としては決して低い確率には思えなくて、まだ過剰に喜びたくないという気持ちが大きい。

 子宝に恵まれなかった自分としては念願の我が子になる。だからこそ、既に失ってしまうことへのストレスを予見して防衛本能が働いてしまう。

 そのストレスが鈴木さんに襲いかかるかもしれないとなれば。

 不幸は幸せからの落差で生じると思う。

 金持ちが一夜にして全てを失えば、それは一般人が考えるものよりもショックが大きいだろうし、失うものが少ない人であれば第三者が思うほどには気にしないかもしれない。

 縁起でもないが最悪のケースを想定したい。


「今日検査にいったら心肺が確認出来たって言われたよ。全然実感ないけど」


「今度役所に行って母子手帳を貰うんだってさ。思ったより展開早いんだね」


「今週ぐらいから胃がモニョモニョしてて……。大丈夫な時もあるんだけど、冷蔵庫にあるもの食べてもらっていい?」


「何となく梅干しが食べたくなって買ってみたんだけど。めっちゃ美味しかった! 妊婦っぽくない?」


 日毎に鈴木さんの様子が変わっていく。

 つわりで辛そうではあるのでその変化に対して喜ぶのは呑気すぎる気がするものの、着実に親になる準備が必要になっていた。

 十二%の壁を越えられるかが、怖い。

 何事もなく育ってほしい、出来るだけ苦しまずに産んでほしいと願う中で、何かが自分を問い詰める気がしていた。


 お前は何食わぬ顔でその子の親になるのか、と。


 特別な信仰心は持ち合わせていないが、母子の健康を神に祈るぐらいの慣習は身に染み付いていた。

 人生で初めて、神に願ったのかもしれない。

 神を覗きこもうとした時、神に覗き込まれる。

 後ろめたい気持ちがあるのであれば、望む結果にならなかったとしてもしょうがないよな。それが罰が当たるということだ、とでも言うように。

 一年後に無事子供生まれてから今日を振り返れば、なんて馬鹿げたことを想像していたのだと失笑するだろう。

 人に話せば、なんて神経質で臆病なんだと呆れられるに違いない。

 俺が出来ることは辛そうな鈴木さんを思いやることぐらいだと思うし、それと十二%の確率に因果関係はないはずだ。

 しかし……。


「今日鈴木家に連絡を取ることがあったから報告しておいたよ。どうせ正月には言わなきゃだし」


 仕事をしているとまだ月曜か、と一週間の長さに嫌気がさす。

 鈴木さんが妊娠した途端に、もうすぐ性別がわかるかもしれないのかと気持ちが浮つく。

 両親に連絡を入れると当たり障りない喜びの電話がかかってきた。諦めかけていた初孫となる両親からすれば感慨深いものもあるはずだ。それにどうこう言うつもりはないが、そこまで喜ばれると何かあった時を想像してしまう。

 十二%は簡単に引けてしまうものなのに。

 俺がその籤を引くわけではないのかもしれないが、では誰が引くのか。

 鈴木さんか子供か、それとも超常的な何者かか。


「佐藤さん、何かありました?」


 喫煙所で田中に声をかけられる。

 親しくしている彼には子供が出来たことを報告したいところだが、会社の後輩に伝えるにはまだ早い。


「いや、早く今週が終わらないかなとか考えてるぐらいだよ」


「そうですか、何となく気合いが入ってる気がして」


「気合い? 月末だから、ぐらいには入ってるかもね」


 元々仕事一筋という人間でもないし、田中ぐらい近い間柄であれば、取り繕わなくても俺がそういうタイプでないのは知っている。

 だからこそ、そんなことを言われるとは思ってなかったし、彼も俺に違和感を覚えたのだろう。


「気合いとは違うのかな……。何かいつもと違ったので。変なこと言ってすみません」


 律儀で聡い彼であれば、含みを持たせるようなことを言えば答えに辿り着くのかもしれない。だが、それで気を遣わせるのは望むところではない。

 タバコを吸って煙を吐く。

 何度も繰り返してきたはずの仕草が、白々しくないか自問する。

 認めて、向かい合って、覚悟をすべきなんだ。

 俺は子供が出来たことを喜んでいるし、後ろめたいことなんて忘れて、純粋に、楽しみたい。

 仕事を頑張って、父親として社会人として一皮剥けたい。


「ちょっとさ、最近金使いすぎてるから自重しようと思ってんだよね」


 そこまで高くない金額であれば先輩風を吹かせて奢ってしまう悪癖があるものだから、田中は気まずそうに深くうなづいた。


「いつも付き合ってもらっちゃってすみません。実は僕もちょっと遊ぶペース落としたいと思ってたんですよ……」


 田中のバツの悪そうな顔を見て、ふと思う。

 俺だけが暗闇の中をじっとりと歩んでいたのかと思い込んでいたが、そうではないのかもしれない。

 結婚して共働きで、妻もバリバリ働いてくれている分、金銭的には余裕があった。

 しかし、独身で一人暮らしとくれば時間もあるし、社交的な彼であれば消費するペースも量も俺より多いかもしれない。

 全て田中の気遣いによる演技かもしれないが、疑い始めたらキリがない。


「お互い慎ましく暮らそうぜ。何か金のかからない遊びでも見つけよう」


 タバコを灰皿に捨て、田中と会社に向かう。

 実は最近友達とカードゲーム始めようとしてるんですけど、佐藤さんってカードやってました? と恐る恐る聞いてくる後輩の顔を見てつい笑ってしまう。

 小学生の時に遊戯王全盛期だった世代を舐めんなよ、と息巻いてみたが田中はデュエルマスターズ世代らしい。

 若いつもりでいたが、しっかり年の差があったことを痛感してお互い笑い合う。


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