第20話 良心に支えられて

 いつの間にか眠りに落ちていた。

 二日酔いであることと、帰りが遅かったこと、今日が土曜日であることの安堵が重なれば今朝の衝撃とは関係なく、横になっていれば簡単に眠れる。

 スマホに映し出されたLINEのトーク画面が、一連の出来事を現実のものであることを突きつけた。

 寝ている間に鈴木さんからも連絡が来ている。


『買い物行ってるね。何か欲しいものある?』


 鈴木さんの優しさが胸を締め付けた。

 時刻はちょうど十二時を過ぎた頃。

 あと十二時間でひとまず鈴木さんの顔は変わる。

 俺がした事が帳消しになる訳ではないのだが、このままではあまりにもいたたまれない。

 鈴木さんを裏切ろうとした罪に対しての罰なのかもしれないが、進んで苦しみたい訳じゃない。

 何か理由をつけて、苦し紛れに出かけてしまい今日が過ぎるのを待つことも考えるが、頭は重く胸焼けもひどい。

 悪あがきの為に出掛ける気にもなれず、流れに身を任せるように再び起き上がることにした。


『ありがとう。冷凍のうどんだけ買ってもらっていい?』


 鈴木さんから来ていたLINEの送信時間を見て、既に買い物を終えているかもしれないことに気がつくが送ってしまったメッセージを取り消すのも面倒になり、冷たい水を飲んで少しでも調子を取り戻す。

 寝室にいたのかミッシェルも階段を降りてきた。無言で台所に入ってきて呑気に辺りの匂いを嗅いでいる。

 飲み干したグラスにもう一度水を注ぎ、ソファーに座り頭を抱えた。

 さて、どうするか。

 考えたところで打開策など浮かばないのだが、開き直ったところで数秒後には後悔と焦りが次々と生えてくる。

 あと何分で鈴木さんは帰ってくるのだろう。

 想像するのは買い物袋を持っている妻の姿だが。その顔は中村さんのものだ。

 中村さんと結婚した世界線にでも迷い込んでしまったのかと自分に都合の良い解釈をしてしまう。

 それであれば中村さんに浮ついたことにはならない。高校時代からの大恋愛を経て夫婦になったのであれば自暴自棄になるような必要はない。

 なす術がない状況で、くだらないことを考えては自己嫌悪に陥って、その情けなさを何処かで贖罪としている自分がいた。

 中村さんと何があったのかは分からないが、一夜を共にした訳ではない。

 深夜ではあるものの帰宅しているのは事実なので、飲み過ぎてしまったことを怒られたとしてもそれ以上のことを鈴木さんは考えないだろう。

 鈴木さんの顔が中村さんにしか見えない、という状況は俺以外の誰にも分からない。誰かに話して楽になりたい気持ちでいっぱいだが、それを出来る相手はせいぜい山田ぐらいだ。とても笑い話にできる心境ではないものの、とりあえず自分の胸の内にしまっておく心の強ささえ持てば、誰かに何かを咎められるものではない。

 自然と、自分の過ちを隠し通すように思考した。

 しかし、謝って楽になりたいとは言ってもどこから何を謝ればいいのか。

 鈴木さんに「実は毎日違う顔に見えていたんだ」と告げるのか。

 それは彼女を傷つけるだけだ。

 十数年の付き合いで結婚までしている相手が、自分の顔を認識していなかったという事実を知って、今後まともな家庭を築けるとは思えない。

 家はどうする。ミッシェルはどうする。

 俺の罪に対する罰があるのだとすれば、一連の出来事を誰かに話して許されようとする事ではなく、自分で抱え込み共感を得られないまま墓の下まで持っていくことじゃないか。

 たかだか数時間。ほんの一日我慢すれば明日にはいつも通り鈴木さんの顔は変わり、見覚えのない誰かの顔になる。それでいい。

 再び中村さんのLINEを見直した。

 何度読み返し、記憶を辿っても何があったのか思い出せない。

 とりあえず、よく分からないスタンプを送るだけ送ってみた。

 これが正解かわからないが、無視するのも気が引けたのだが、とにかく思い出す為の時間稼ぎがしたくて。

 高橋と田中にLINEを送った。昨日の記憶がないことを正直に話し、店を何時に出てどう解散をしたのか。

 それがわかれば何かを思い出せるかもしれない。

 のんびりと床に寝そべっていたミッシェルが飛び起きて階段を駆け降りていった。

 玄関の鍵が開く音がする。

 心臓が高鳴るのを自覚した。

 どんなに自分を騙す言い訳で塗り固めたところで、二日酔いを心配してくれた鈴木さんに不義理を働いた事実が変わる訳ではない。

 出迎えてくれたミッシェルに話しかけながら妻が階段を上がる足音が聞こえてきた。

 LINEの画面が閉じてあることを確認し、白々しくも二日酔いに苦しむ様子を演じてみせる。


「大丈夫? うどん買ってきたよ」


「ありがとう……。ごめんね、買い物付き合えなくて」


 まるで、中村さんと結婚をしたかのように。

 すぐにうどん食べる? と買った食材を冷蔵庫に移しながら聞いてくれる姿に喜んでしまう。

 中村さんと再会する前だったら、こうは思わなかったかもしれない。

 いや、どうだろう。俺は高校時代から今に至るまで中村さんを嫌いになった訳じゃない。

 中村さんへの思いをセーブしたファイルを消したのではなく、新しく鈴木さんへの思いを二つ目のファィルとして作っていたというだけの話。

 十数年振りの再会で、どこでセーブしたんだっけ? と忘れていた道程をここ最近で思い出したのだ。

 諦めていなかった。諦める為の努力なんてしていないのだから諦められるはずはない。


 あっという間の半日だった。

 いつものように鈴木さんと変わらない土曜日を過ごす。

 くだらない話をしながら散歩をして、家でアニメを見たりYouTubeを見たり。

 強いて違いがあったとすれば、約一年振りにセックスをした。

 芽生える罪悪感を快楽で踏み潰すように、妻を抱いた。

 中村さんの顔を見て身体が喜ぶ。

 果たして俺は誰としているのだろう。

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