第9話 春琴と佐助

『春琴抄』という小説がある。

 作者は谷崎潤一郎。舞台は明治で盲目の春琴という名の女性がメインに据えられた話だから『春琴抄』。

 文体が古く、句読点などが大胆に省略されているので読む人を選ぶかもしれないが、是非読んでみてもらいたい。

 俺は目が見えないの人の気持ちがわかる、なんて大それたことを言うつもりはないものの、愛する妻の顔が見えなくなっても想いが変わらないという自信はある。

 笑顔やむくれた表情まで見えなくなるのは寂しいが、顔立ちで人を選んでいないという意味では説得力があると思うのだが。

 身近に視力を失った人がいる訳でないので軽率な意見かもしれないが、とにかく『春琴抄』に心を大きく動かされ、登場人物に共感してしまう。

 乱暴な説明をするのであれば、盲目の春琴という美少女とそれに付き従う佐助という男の話である。

 春琴は琴の腕前が素晴らしいが性格はキツく、周りはその厳しさについていけないでいた。

 しかし、佐助だけは彼女の側を離れず、身の回りの世話をし続ける。

 ある日、春琴は恨みを買った人の手により熱湯を顔にかけられてその美貌を失ってしまう。

 春琴は醜くなった自分を見せたくなくて佐助を近づけないが、佐助は自分の眼に針を突き刺し、共に生きていく。


「別に嫌いじゃないけど、結局春琴ちゃんが可愛かったから成り立つ話ではあるよね」


 小林を散歩に誘い、読んだばかりの『春琴抄』について歩きながら語る。

 そして、あいつはこちらの熱を冷ますようなつまらない言葉をかけてきた。


「そんなこと言ったら『もののけ姫』だってアシタカとサンが美男美女だから成り立つ話だろ。フィクションってのはそれでいいんだよ」


「そういうことじゃないんだよ。『春琴抄』にはそれが真実の愛なんです感があるじゃん。『もののけ姫』は物語が動く為の装置として美男美女だったって話でしょ」


 日付が変わろうとする甲州街道沿いを小林と歩く。

 高校二年生で同じクラスになってから幾度となく開かれた夜の散歩は大学に入ってからも行われている。

 さすがに頻度は減ったものの、やれ大学でこんなやつがいただの、やれ面白い映画を見つけただの喋りたいことを一方的に相手にぶつけていた。主に小林が。

 五回に一回ぐらいの割合で俺から声をかけていたが、その晩は俺が声をかけただと思う。

 なぜなら、非常に感銘を受ける小説を読んだのであれば、俺が小林を散歩に誘わないわけがない。


「春琴ちゃんの気持ちになってみろ。その心意気に胸を打たれたとしてもすぐに気づくぞ。佐助は視力を失って私の世話ができるのか?って。佐助の行動を男気だと言うのは勝手だけど浪漫は浪漫。そりゃあ火傷した直後なら気が動転して佐助に会いたくないだろうけど、陰ながら世話をするとか出来たんじゃないかな」


 小林の言い分もわかる。自分の眼に針を刺すというショッキングなシーンが印象に残っているだけ。愛する人の為にそこまで出来るかという強調された佐助の行動に賛否があっても文句はない。

 ただ、小林と話をしていて痛感した。

 好きな人の顔が変わってしまうことの恐ろしさを、記憶が上書きされてしまい昔の顔が思い出せなくなる悲しさを、小林は知らないのだと。

 千円札の肖像画と言えば、夏目漱石だった。気がつけば野口英世が定着し、今では北里柴三郎。

 見ればどれが誰だかわかる。調べればどの千円札を使っていたかは推測できる。

 しかし、あれだけ見て触れていた千円札であっても、すぐに北里柴三郎しか思い出せなくなるのだ。

 佐助は美しい春琴の記憶を、醜くなってしまった火傷で上書きしたくなかったというエゴ。

 今でこそ美容整形で火傷を目立たなくしたり、元の顔に近づけることは出来るかもしれないが明治の人達にとってみれば、そんな魔法のようなものはない。

 俺もあと何十年か生きていれば、鈴木さんの本当の顔が見られるようになるのかもしれない。


「たとえ美少女じゃなくても佐助は目を潰したと思うけどな」


「美少女じゃなかったら、そもそも佐助は春琴を好きになってないんだってば。盲目で性格のキツい女だぞ? 目が見えないなら自分の美貌から来る優越感で性格がキツくなったわけじゃないだろうし、きっと彼女は美形で無くても周りに当たりが強かったと思うよ」


 小林が春琴に対して辛口なことに触れると余計に面倒くさいことになるのは間違いない。

 だから、ここは佐助が甘い蜜に引き寄せられた虫だったかのように春琴の美貌を肯定し、男の虚しさを嘆いて話をまとめるのが無難だ。

 だけど……


「佐助は醜くなってしまった春琴に『昔の方が綺麗だったな』と思いたくなかったんだと思う。好きな人に対して失望したり諦めたりするのって悲しいし、そうなりたくなかったんじゃないかな」


「やけに佐助の肩を持つじゃん。それに、そうだとしたら結局佐助は自分のことしか考えてないやつだぞ」


 そうだと思う。自分の眼を潰すことが人の為になるわけがない。あくまで自分のエゴでしかない。

 春琴を元気づけよう、目を潰してでも一緒にいたい、そういった額面通りの感情もあったとは思う。

 しかし、人間の感情はそんなに均一なものじゃないだろう。

 一見して美しそうなその献身性も、見方によってはダウングレードさせて他人の評価を得ているだけだ。努力や成功とは真逆の位置にある。それが果たして褒められるものなのか。

 自分自身が醜くなった春琴を見たくない。眼を潰すことで周りからそこまでするかと一目置かれる。愛する春琴の横を誰にも渡さない。そんな感情が無かったと言い切れるのか。


「自己満足で眼を潰すような男だから、嫌いになれないんだよなぁ」


 他人事だから、フィクションだと思っているから。

 それでも、美しい春琴の像を瞼の裏に留める為に自分の眼に針を刺すのは常軌を逸している。

 なるほど、すごい美人な時の鈴木さんを最後に視力を失えばいいのか、と思いはしたものの行動に移せるわけがない。

 だけど、今日は可愛くないなと思ってしまうこの感情が無くなるのであれば、俺も何かを失ってもいいのかもしれない。

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