第4話 鈴木愛との出会い
立川にある都立曙高校に入学した理由は今思えばしょうもない。
中学三年生の時に通っていた学習塾の友達に誘われたから、という主体性のないものだった。
もう少し家から近く偏差値も自分より少し上ぐらいの目標とすべき高校は別にあったが、地元の八王子駅が最寄りという変わり映えのなさに辟易し、通学時間を無駄に増やしてしまった。
三年間の合計時間を考えると、貴重な青春時代を無駄にしたという考え方もあるが、結果的にその選択は間違いではなかったと自信を持って言い切れる。
友人に恵まれ、恩師に出会い、何より愛する妻に巡り逢えたのだから。
改めて自分の高校時代は輝かしいものだった。
色々な誤解があり、曙高校に通うことになった友人とは仲を違えてしまったり、学年の人気者としてスクールカーストの上位に君臨した訳でもないが、後悔のない三年間を過ごせたと胸を張って言える。
当時の自分が抱えた悩みを正当化しているようで身勝手だと嗜めたくもなるが、大人になってから振り返って思う。利害関係のない友人と下らない話で盛り上がれるだけで素晴らしい。
もっとも、高校生には高校生なりの人間関係のもつれや、常に異性の目に触れ格付けをされるストレス、気の合わない同級生から逃げられない窮屈さがあり、それはそれで地獄のような瞬間は多々あったことを否定はしないが。
鈴木さんとの出会いを思い返す。
覚えている一番古い記憶ではピンク色のカーディガンを着た少し派手な女子で、俺と同じ陸上部である渡辺さんと二人一組で行動を共にしていた。
俺が一年四組で、鈴木さんが一年五組。
一年五組にはたまたま陸上部の生徒が複数いたこと、威張り散らした生徒がいない平和なクラスだったこともあり、行き来することが多く、その時にその存在を認識したはずだ。
渡辺さんはいつも違う子と一緒にいるな、と呑気なことを考えていた。
鈴木さんが微妙に制服を改造していたり、私服での登校をしていたこともあり、彼女の顔が毎日違って見えるなんて馬鹿げた現象に気づくのに時間を要する。
最初に気がついたのは確か……
「なぁ、佐藤はこのクラスで誰が一番可愛いと思う?」
流れは覚えていないが野球部の山本とこんな話をしたのが記憶にある。
高校一年の時にクラスが一緒だったという縁が社会人になってからも続き、今でも二年に一度は酒を飲むような友人だが、思えば山本と仲良くなったきっかけも覚えていない。
ただ、俺の中で山本のことを親しく感じたきっかけはその女好きな性格だった。
「可愛いかぁ……。中村さんかなぁ……」
女子と話すことが恥ずかしい、といったウブな男ではなかったものの、まだ彼女の一人も出来たことのない告白をしたことのない童貞の俺は堂々と可愛い女子の名前を挙げる勇気も度胸も待ち合わせてはいなかった。
高校に入学する前の春休みに、もう高校生になるのだからと半ば義務的に自慰行為に臨んでみた自分はあまり性欲も無かったのだと思う。三十歳を過ぎた頃に思い返せば、男子高校生の可愛らしい一面だと一笑に付するが、同級生の山本だけは俺のその時の表情を見ていたことになる。
恥ずかしくて次に会うことに抵抗感が生まれてしまう。
「中村さんかぁ……。そうだよなぁ、可愛いもんなぁ……」
しかし、俺がこの時のやり取りを覚えているのと同様に山本も覚えている気がしてならない。
なぜなら、この時山本は既に中村さんに好意を寄せていたらしく、ピンポイントで同じ人を特別視していたのだ。
結論から言うと山本は高校二年時に別の女子生徒と付き合うことになり、俺は高校三年間は中村さんを思い続ける。
幾度となく告白を断られ、最終的に一度付き合うことが出来るのだが、ちょうど二ヶ月が経った頃に中村さんから別れを告げられた。
それはどうでもいい。
山本とのそのやり取りは印象に残っているが、その続きが俺には衝撃的だった。
「じゃあ五組の鈴木さんも好みのタイプ? たぬき顔っていうのかな、何となく系統が一緒じゃね?」
「鈴木さんって、あのピンクのカーディガン着ている子だろ? 全然タイプが違くね? 吊り目でシュッとしていてキツネ顔じゃん」
「はぁ? 誰かと勘違いしてるだろ。ほら、五組に行くぞ。むしろ、佐藤の言うキツネ顔の女子が誰のことか気になるわ」
何の時間だったのか、おそらく理科室などの実習室からの教室移動だったのだろう。
廊下からわざわざ隣の五組を覗いたのを覚えている。
「ほら、あの子だよ。ストーブに座っているピンクのカーディガンの子。ちょっと派手だけど、ああいう顔好きなんだよなぁ」
「あれが……誰に似てるって?」
「だから中村さんに似たたぬき顔だから可愛いよなって。俺もお前もああいう顔がタイプなんだなって話だよ」
山本は普段から冗談を言い、俺がそれにツッコミを入れるということでお互い会話のテンポが心地良く、それもあって気が合い、社会人になっても付き合いが続くほどに高校一年生で共につるんでいた。
だから、最初は山本のボケか何かだと思っていた。
しかし、その声色はボケとは程遠く、だからこそ俺も真正面から受け止めてしまい面食らう。
ストーブの前にはたぬき顔でもキツネ顔でもない初めて目にすら女子生徒がいた。
少し目が小さいものの、いわゆるロリ顔と言われるような幼さを感じさせる顔だった。
自分の記憶を疑うのは簡単だったが、目立つピンクのカーディガンと横にいる同じ部活の渡辺さんの存在が、以前に出会ったキツネ顔の鈴木さんと符号的に一致してしまい訳がわからなくなる。
こちらの存在に気がついたそのロリ顔の女子生徒が渡辺さんの肩を叩き、俺達を指差した。
渡辺さんは自分に用があると勘違いをし、俺に対して手を振ってくれる。
それぞれの距離感やカーディガンを着ている時期だということを考えると、高校に入学して間もない十五歳のある日だと思う。
単純な見間違いや勘違い、記憶違いとは言い切れない気味の悪さ。
確かにあのキツネ顔の女子生徒が鈴木さんだったはずで、こちらを見ているロリ顔は全くの初対面であるという確信。
妻になる彼女とのその出会いを一目惚れと言ってしまうのは結果論でしかなく、当時の俺は自分と彼女のどちらに原因があるかわからない恐怖にその後頭を悩ませることになる。
親しくない男子生徒に見つめられ、居心地を悪くして髪を触る癖は、確かに今の妻も時折している。
それが彼女を鈴木愛たらしめる仕草だと言えるが、この記憶すらもどこまで正しいものかわからなくなってきた。
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