第5話 悪魔の主食

 降りしきる雨の中、彼女はそこに立っていた。


 視界がボヤケているのでよくわからないが、かなりの美少女。背も高いしスタイルもいい。どこかの海にでも繰り出せば野郎どもの視線を集めること間違いなし、そんな美女がいた。


 真っ黒な服を着ていた。真っ黒な髪だった。そのとちらも吸い込まれそうな、光をまったく反射させていないような漆黒だった。


 彼女は笑顔だった。楽しそうというより、それが彼女の基本の表情なのだと思った。


 不思議なことに、彼女は濡れていなかった。こんなにも雨が降っているというのに、空調の効いた屋内にいるかのように悠々としていた。


 彼女は倒れる僕を見ながら、


「なんでやりかえさなかったの? その気になれば殴り倒せたでしょ?」

「……」

「声が出ない? そりゃそうか、死にかけてるもんな」言って、彼女は指を鳴らした。「これでどう?」

「どう、って……」少しだけ声が出た。とはいえかすれていることに変わりはないが。「あれ……? なんで……」

「血が詰まってたから取り除いてやっただけ。別にダメージが回復したわけじゃないから、死ぬ可能性だって残ってるよ」


 なんだ……生き返らせてくれたわけじゃないのか。


 ともあれ、


「ありがとうございます……」

「お礼なんていらないさ。別にアタシはキミを助けるつもりはないし。このまま放置するつもりだからね」正義の味方、ってわけじゃないらしい。「で、なんでやり返さなかったの?」

「……できなかっただけですけど……」

「そんなことないでしょ。あんなクズのザコども、殴り倒すことは簡単だったはずだよ」


 口が悪いなぁ……


「……なんででしょうね。殴ったら……寝付きが悪いと思ったから、ですかね」

「ふーん……」


 興味なさそうな口調だった。


「あなたは……」


 言葉の途中で僕はせきをした。そのせきには血が混じっていて、


「重症だね」彼女は笑顔のまま、「このまま放っておかれたら死ぬかもね」

「……かもしれませんね……」かなり体温も下がってきた。「まぁ……自業自得ですよ……」


 勝手に首を突っ込んで勝手に殴られただけだ。誰のせいでもない……強いて言うなら僕のせい。


「さてと……死にかけてる若人さん。キミに1つ質問がある」

「……なんですか?」

「もしも1つだけ願いが叶えてもらえるとしたら、なにがいい?」僕が答える前に、「ただし……奇跡的なことは対価が必要になる」

「……対価……?」

「そう。たとえば死んだ人を生き返らせるとか……死ぬ運命の人を助けるとか。その場合は……その人物の大切な人の命と引換えに、ってこと」


 命の等価交換か。

 

 つまり……


「もしも僕が……助かりたいって願ったら……?」

「キミにとって最も大切な人が死ぬことになる、かもね」……どこぞの幼馴染が死ぬのは嫌だな……「でもわかんないよ。キミは案外軽症で、願いなんて使わなくても助かるかもしれない」

「……逆に願いを叶えても、死んでしまう可能性もあるんでしょう?」

「そういうこと。大金持ちになりたいと願っても……すぐ死んだら意味ないもんね」


 じゃあ完全に無意味になる可能性がある願いなのか……


 他にも聞きたいことがある。


「……なんであなたは……僕の願いを叶えるんですか?」

「絶望を食いたいから」変な答えが帰ってきた。「キミ、悪魔の主食がなにか知ってる?」

「……人間の魂とか……」

「それは閻魔様の主食」閻魔様は実在するのか……? それとも冗談か? 「悪魔の主食はなの。生き物が大きく絶望した瞬間……生み出される絶望を食べるの」


 絶望を食べる。彼女はそう言ってから続けた。


「悪魔が絶望を食べても人間の絶望が消えてなくなるわけじゃないよ。その人間はずっと絶望したまま。立ち直れるかはその人間しだい」あくまでも食事として楽しむだけ、ということか。「場合によっては天使が助けるかもな」

「天使……?」

「そう。天使の主食はだから。だから天使は人を助けて、その希望を食べるの」

「希望を食べる……」

「そう。天使だの悪魔だの……そもそも人間が勝手につけた名称だよ。アタシたちからすれば、ただ食の好みが違うだけ。朝ご飯がパン派かごはん派か……それくらいの差だよ」


 彼女はかなり饒舌な人物らしく、語りを続けた。


「キミたち人間と同じさ。家畜を大切に育てたり、あえてストレスを与えてみたり……そうやって味を熟成させて食べるってだけ。キミの中の絶望という食材を、アタシは育てようとしてる」


 彼女にとって人間は……食料に過ぎない。ただそれだけ。


 ……


 彼女は続ける。


「キミが絶望してそうだったから来たんだけど……思ったより絶望してなかった。だから一度助けて……その後に絶望してもらうの」

「まどろっこしいですね」

「そうだよ。希望を感じてから急転直下絶望する……それがもっとも美味しい絶望なの。だからアタシはキミの願いを叶えてあげるの」


 そういう熟成方法なわけだ。


 ……


 そこで僕はようやく……彼女にその質問をした。


「あなたは……悪魔なんですか?」

「そうだよ。キミたちが言うところの悪魔だ」彼女はあっさりと答えた。「だからアタシには……願いを叶える力がある。どんな願いでも1つだけ叶えてやるよ」

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