正体

 滝のような汗が、剛の身体に噴き出てくる。

 彼は、棺桶の壁をコンコンコンと叩きながら、闘犬のような顔で客を待っていた。




「今日、今シーズン最多とか言ってたくせに全く来ないね」

「ホント、ずっと待たされてめちゃめちゃ退屈なんだけど」

「俺なんか、天井の空調の管に隠れとかなきゃいけないから、暑くてしゃーないよもう」

「普段は冷房効きすぎてヤバいぐらいなのに、今日は無性に汗かくわ」

 昼食休憩の合間、一番端の剛と対角に集まったバイトの学生は大声で話していた。


 ダンッ


 剛は普段通りのむっつりした表情でラーメンを啜っていたかと思うと、突然机を拳骨で強打した。

「っ?!」

 賑やかな食堂が、水を打ったように静かになった。聞こえる音は、コトコトと何かを煮ている音だけ。

 剛は、全く表情を変えることなく、ラーメンを一口啜った。

「何、急に……」

「言いたいことがあるなら言えばいいのに」

 ヒソヒソと話す若者にも全く目をくれず、彼はスープを一気に飲み干し、席を立った。




 エネルギーを補給し、マイナスな感情の発散させて、剛は棺桶の中に、目を鷲のように鋭く開けて寝ている。

 荒い息もつかず、ただ静かに。


 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ


 コツコツと、棺の中を叩く指が止まった。

 鷲の目が、獲物を狙うそれに変わった。


 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ


 静かに、ただ静かに、その人は歩いている。足音は一人だけで、しかも草履のようだった。小さな吐息がするだけで、それ以外には何も聞こえない。


 ガランガランガラン!


 農具が落ちた。

 が、外からはそれ以外のどんな音も聞こえない。

 剛の額に、僅かな皺が刻まれた。

 本来、ここで標的が悲鳴を上げ、そのタイミングで棺を開けて登場するのだが、彼はしばらく身体を動かさなかった。

 その時。


 コン、コン、コン


 乾いた木をノックする音。まさに、先程まで剛がしていたのと同じ音だ。

 だが、剛の指は両足にぴったりと貼り付いている。


 コンコンコンコン


 眉間の皺が、より深くなる。唇がゴワゴワと閉じられる。両拳が、固まった。


 コン、コンコンコン、コンコンコンコン


 リズミカルに棺を打つ音。

 剛はそっと、蓋に片手を伸ばした。

 その時。


 ッ……ギイィィィィィィィィィィィッ


 微弱な光と、冷たい空気が一気に棺桶へ流れ込んでくる。

 細まっていた剛の目が、じわりと広がる。

 棺の外には、一人の少女が立っていた。

「……どうして、ここが分かった?」

 呻るような、自慢のバスが裏返った。


「当たり前でしょう?」


 少女は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて答えた。

 スラリと、モデルと言われてもおかしくないほどのスタイルに、藍色の、天の川がデザインされているらしい着物。白すぎず黒すぎない肌色に、金に近いショートの茶髪。垂れた前髪が左目を隠していて、顔にはそばかすが散らばっている。

「君は……何者だ?」

「ええ? おじさん、怖い格好しときながら、面白い質問するじゃない」

 ますます悪い笑みを浮かべて、彼女は顔に手を当てて、ククククク、と声を出した。

「ねえおじさん。アタシね、お金が欲しいの」

「……それがどうした」

 険しい顔を崩さず、剛は返した。

「いっぱい遊ぶためのお金がね。だから、ここに雇ってくんない?」

「君、何歳だ? 親と、管理人の許可がいるが」

「そう、つまらない男なのね。なら、二人でどこまでも飛んでかない?」

「どういうことだ? 少なくとも、俺はここを世界一にするために働き続けるつもりだ」

 彼女は笑みを引っ込めたと思うと、気だるげに大きな溜息をついた。

「……あー、ホント、つまんないのね」

「君は誰なんだ?」


「アタシ? アタシは、理想郷ユートピアを永遠に追って彷徨い続ける、実態が無いようで在る、虚構の存在」


 剛は何かを言おうとしたところで再び口をつぐみ、黒目が下を向いた。

「分かったでしょう? アタシについてこれば、超リアルで、ホラーを感じられる、恐怖のどん底に落ちるような、世界一のお化け屋敷が作れるかもよ?」

「本当か?」

 剛は棺から身を乗り出した。

 少女はその反応が意外だったのか、舌をチョロリと出して、

「当ったり前じゃん」

 と言い放った。

 剛は少し逡巡したが、最後に言い切った。

「せっかくの誘いだが、俺はここを世界一にして骨を埋めることにする」

 少女は、一瞬唇を尖らせたが、やがて、クク、ククククク、と、額を押さえて笑い出した。

「面白いね、おじさん。気に入ったよ」

 少女は、わざとらしく地面の札を踏みしめ、出口へ向かって消えていった。




 結局、ほとんど人が来ないまま終業を迎え、岡林にメイクを落としてもらう。

「なあ」

「え? どうしたんですか? 珍しい」

 それには答えず、剛は言った。

「他のやつらから、スラリとして藍色の着物を着た、一人の少女の話を聞いていないか?」

「えぇ? いや、別に……?」

「そうか。ならいい」

 ちょうどその時、スタッフ歴二年の若い男、舟岡俊次ふなおかしゅんじがこわごわと入ってきた。

「廣野さん」

「何だ?」

「あの、いつも廣野さんが入っていらっしゃる棺って、どこかやりました?」

「回りくどい言い方をせずに、まず何があったのかを言え」

「は、はいっ、じ、実は……」

 言い淀む舟岡を剛はギロリと睨んだ。

「早く言え」


「棺がぽっかりと消えていて、そこに一着の藍色の着物が畳んで置いてあったらしいんです」


 ククククク


 部屋の中に、乾いた笑い声が響いた。




(了)

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ゾンビの剛さんと迷い込んだ少女 DITinoue(上楽竜文) @ditinoue555

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