ゾンビの剛さんと迷い込んだ少女

DITinoue(上楽竜文)

屍役

 廣野剛ひろのごうの朝は早い。

 五時に起きて、まずシャワーで全身を丹念に洗い、自分の顔をよくチェックする。

 次に、白米二杯を平らげ、ホラードラマを一本見てから、旅行でも行くのかというほど大きなリュックサックを背負って電車に乗る。

 電車内では恐ろしい配色の装丁の為された単行本にかじりつき、周囲の人からこわごわとした目線を送られる。

 そして、仕事場の事務所に到着すると、ドカッと荷物をロッカーに入れ、すぐに本業の場所へスタスタと向かう。

「あ、剛さん、おはようございます……」

「今日も、朝早くからお疲れ様で……」

 朝食を頬張っていたり、他愛のない会話を楽しんでいた者たちも、目を凍らせ、直立不動で剛を迎える。

「おはよう」

 地を這うような、ドスの効いたバス声に、彼らは身体を震え上がらせ、険しい顔をして歩いていく剛の大きな背中を、ごくりと唾を呑んで見守るのだった。




 剛は、機械室に入り、それぞれに異常が無いか、実際に動かしてみたりして確かめる。

「廣野さん、そんな、そっちはわしらの仕事なんですから、自分は自分に専念していただければいいのに……」

 黄色いヘルメットを被った、ぽちゃぽちゃしたウシガエルのような身体の老人、藤森芳造ふじもりよしぞうが微笑みながら諭しても、剛はまるで聞こえていないように、黙々と作業を続けていた。

「もうこの会話、毎日のようにしているのに……。だから、デスマスクとか、ラスボスとか、鉄仮面仁王像とか言われるんですよ」

「どう呼ばれようが、私には関係の無いことです」

 じきに穴を開けてしまいそうなほどの眼光で機械を点検しながら、剛は言った。

「で、機械の不調が無いことを確認すれば、今度はまた一から回るんでしょ?」

「お客がより震え上がるような墓場を作るためです」

「……やれやれですな」

 藤森は、白けた笑みを浮かべて、水色のハンカチで額を拭った。




 入り口にある、昭和のお茶の間にあるようなモノクロテレビに、ザザザザザッと砂嵐が起こった後、どこからともなく、少し掠れた機械声が聞こえ始める。

『明治時代、コノ地デハ、或ル“禁断ノ行為”ガ行ワレテイタ。一人ノ風変ワリナ男ガ、呪文ヲ唱エルト、墓地ニ大量ニ埋葬サレテイタ、社会的ニ差別サレテイタ者ドモガ蘇ッタノデアル。スグサマ、男ハ処刑サレ、蘇ッタ者ドモモ、地中ニ封印サレテイタ。ガ、コノ令和ノ時、何者カガ、其ノ者ヲ復活サセタノダ……コノ修羅ヲ無事、突破出来ルコトヲ祈ル』

 ガタン! と音がしたかと思うと、いきなり背後のシャッターが閉まった。

 前方の細い道は真っ暗。

 剛は、何も臆することなく進む。

 キャストがいないので、通路の装飾と、機械で水が落ちてきたり、音声の流れる仕掛けくらいしかないため、ササッと通路を脱し、メモ帳に何かを書くと、事務所へ向かってスタスタ歩き出した。




 全国最恐のお化け屋敷トップテンの常連であるこのお化け屋敷、『穢レノ墓地跡』は、特にお盆の時期を迎えると、入場整理をしなければならないほどの賑わいを見せる。

 無駄に冷房がガンガンなお化け屋敷の中で、キャストたちは「標的ターゲット」を眠れなくなるほどの恐怖に引きずり込むことに日々精を出している。

 開園時間の一時間前、九時ちょうどに、剛は様々な色の塗料が飛び散った、ボロボロの茶色い浴衣を身に付けて、メイクルームに入った。

「いやぁ、今日すごい人になるみたいっすよ。今年一番くらいの」

 メイク担当の、岡林須見おかばやしすみが言った。

 剛は返事をせず、目を閉じている。魂が、『穢レノ墓地跡』に吸い取られてしまっているようだ。

 彼のワイルドでゴツゴツした顔に、血やシミ、土埃などがなされ、額には小刀が突き立てられる。当然、赤いものも。

 大きく太い指には何本かの釘を打たれ、髪型は、今日はパンチパーマ風になった。

「よし、出来ましたよ。では、今日もどうぞ行ってらっしゃいませ」

「ああ」

 剛は小さく頷き、最後に鏡で浴衣の崩れ具合を確認してから、裏の通路を利用して持ち場へ向かった。




 今日、最初の標的は大学生くらいのカップルだった。

「ねえ、もうあとちょっとで終わりよね?」

「ああ、まあもう、全力ダッシュすればすぐ出てるようなとこだろうから安心しろって。俺のことをもっと頼れよ」

 男の方はピアスに参つほどのネックレスにサングラスと、いかにもちゃらけた見た目と口調だった。

「じゃ、走るぞ。せーの」

 彼らは、剛が隠れている棺の前をドタバタと走っていった。が、最恐のお化け屋敷はそれでは終わらせない。


 シャリッ!


 二人ともが一度、立ち止まった。

「え……?」

 恐る恐る振り返ってみれば、床には大量のお札が落ちている。

「なにこれ」

 お札には、『屍蘇生 生屍狂襲』などと書かれているのだ。

「しかばねそせい……? 生きた屍が狂って襲う……」

 二人は一度、顔を見合わせた。

 その時。


 ガチャンガチャンガチャン!


 お札を見つめていたカップルの背後に、物が落ちる。

 彼らはビワンと身体を震え上がらせ、すぐさま振り返る。

 そこに落ちているのは、農具だ。

 持ち手の木の部分に虫がうじゃうじゃ湧いてボロボロに腐った、くわすき、斧など。そこには、薄っすら血飛沫のようなものが付いているものもある。


 ギィィィィィィィィ


 そこで、また彼らの背後で音がした。

 お札のもう少し入り口側の脇に置いてあった、古びた棺桶。

 そこから、つぎはぎだらけの浴衣を着た茶色っぽい腕が伸びてくる。

「うああああ、うぅぅがああああ」

 ゾゾゾと地を這うような低音が、狭い通路にこだました。

 棺の中から出てきた者が、一歩、一歩、近づいてくる。

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああっ!」

 彼らは一度腰を抜かしてずってんと転んだかと思うと、飛ぶような勢いで、喚き散らしながら屋敷を走っていった。

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