6 善意からの行動
温井は何も言わずに根岸を見ていた。
「俺は幼いながらに、それが悪いことだと分かっていました。ですが、兄を責めようという気にもなれませんでした」
ただただショックだった。殺された鳩が可哀想でならなかった。しかし、話はこれで終わらない。
「それから数ヶ月も経たないうちに、兄の通っていた中学校で事件が起きました。中学二年の男子生徒が休み時間に殺害されたんです」
察した温井が視線をそらし、苦々しい顔で息をつく。
「場所は校庭でした。他の生徒たちが見ている中、その生徒は突然胸から血を流して倒れたそうです。兄もその場にいて見ていたと話しました。それで、直感したんです。おそらく、兄が……」
どうしても言葉にできなかった。兄が殺したと、言いたいのに言えなかった。
「……俺は怖くなりました。自分にも同じことができると思うと、怖くて、たまらなくて」
ごまかすようにチューハイを流し込む。ただ冷たいものがのどを通っていくだけで、まったく味がしなかった。
兄への恐怖はいつしか形を変え、魔法そのものを憎むようになった。けっして使ってはならない力だと強く思い、恨み、呪った。
「兄はその後、別の事件を起こして少年院へ送られました。両親は不仲になって離婚し、俺は母子家庭で育ちました。
母親を悲しませたくなくて、絶対に兄のようにはならないと、捕まるのではなく捕まえる側の……傷つけるのではなく、守る側の人間になるのだと決めました」
それが警察官を志した理由だった。
「当然ですが、兄とは一度も連絡を取り合っていません」
話は終わった。
根岸は落ち着いて割り箸を手にしたが、唐揚げをつかみそこねた直後に感情の堰が切れた。箸を持つ手が震えだし、視界がじわりと涙でにじむ。
温井は手を伸ばすと、優しく根岸の手を下ろさせた。
「ずっと怖かったんだな。話してくれてありがとう」
うつむく根岸の頭を大きな手でぐしゃぐしゃと撫でる。
根岸は眼鏡を外すと、これまで我慢してきた涙を流し始めた。人前で泣くなど恥ずかしくてたまらないが、自分にはどうしようもなかった。
やがて気が済むまで泣いてから、根岸は小さな声で言う。
「俺、自分が嫌です。情けなくて、わがままで、弱くて……」
「それなら、根岸はこれから、どうしていきたいと思う?」
温井が問いかけ、根岸は初めて考える。
「克服したい、です。今のままじゃ、ダメだから」
温井はにっこりと微笑んだ。
「そうだな、そうしよう」
居酒屋を出て駅まで歩いている時だった。人気のない道へ入り込んだ時、急に温井が立ち止まって「やべぇ」とつぶやいた。
直後、どこからか気配を感じて根岸も足を止める。目の前に何者かが飛び出してきた。
「危ない!」
葉沢だ。彼は伸ばした両手の先で、約六十センチ四方の防御壁を張っていた。
「根岸さんは自分が守ります!」
バチッと一瞬光が見えて、葉沢の防御壁に魔法が衝突したのが分かった。
呆気にとられる根岸の隣で、温井が両手を大きく振る。
「ストップストップ! そういう茶番いらないから!」
はっとして葉沢が振り返り、前方から菱田が姿を現した。
葉沢は防御壁を消失させながら振り返る。
「あれ、作戦中止ですか?」
「すまん、連絡するの忘れてた。もういいんだ、もう解決した」
申し訳なさそうに温井が両手を合わせ、菱田が「どういうことですか?」と駆けてくる。
あいかわらず根岸を置いてけぼりにして温井は言った。
「根岸は魔法がトラウマなんだ。でも、自分で克服したいとも思ってる。だから、根岸に必要なのは荒療治じゃなくて、じっくりやっていくことだったんだ」
菱田と葉沢は顔を見合わせ、苦笑した。
「そうでしたか、すみません。オレが間違ってました」
「すみません、根岸さん。でも、それならそうと連絡してくれなかった温井さんも悪いですよ」
「ごめんって。二人とも待たせて悪かった」
温井が頭を低くして謝罪し、根岸は冷めた目で菱田を見つめた。
どうやら根岸の魔法嫌いをどうにかしようとして、彼らは茶番を計画していたらしい。実際に魔法を使用した戦闘に巻き込むことで、根岸の心情に変化があることを期待したのだろう。
状況を把握できたところで、根岸は少々の苛立ちをあらわに問う。
「なぁ、菱田。俺がそんなことで心を動かされるような、単純な人間だと思ったのか?」
菱田はとっさに引きつった笑みを浮かべた。
「すみません、提案したのはオレです。温井さんもちょっとは悪いんですけど、責めるならオレにしてください!」
潔く菱田が頭を下げ、根岸は呆れてため息をついた。
「別にいいよ。みんな、俺のことを心配してくれたんだろう?」
善意からの行動であることは分かりきっていた。
三人が照れたように視線を動かしたり、そわそわと落ち着かない様子を見せる。
そして根岸は後ろを振り返った。
「野上さんも、ご心配おかけしました」
居酒屋を出た時から尾行には気づいていた。ビルの陰からそっと野上が顔を出し、気まずそうにへらりと笑った。
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