魔法捜査一課の事件簿

晴坂しずか

第1話 狛犬騒動

1 魔法捜査一課

 魔法は嫌いだ。

 野上のがみが意気揚々と語るのを聞きながら、根岸ねぎしは内心で何匹もの苦虫を噛みつぶしていた。

「というわけで戦前、魔法使いの存在は人々にとって身近なものだった。それが戦後の欧米化やら高度経済成長で影が薄くなっちまってな、今やおとぎ話の住人だ。

 だが、魔法使いの血は途絶えていない。この令和において、魔法使いの存在を世間に広め、認知させることが決まった。手始めに新設されたのが魔法捜査第一課だ」

 初日であるにもかかわらず、野上の顎にはわずかな無精髭が見られた。三白眼気味の目がらんらんと輝いており、ツンツンのベリーショートに男らしい体格がいかにも刑事といった風体だ。

「俺たちの仕事は魔法および幻獣が関わっている犯罪の捜査だ。未解決事件も扱うが、優先するのは現在進行中の事件だ」

 野上の話を聞いているのは根岸を含む四人だけだった。いずれも二十代、三十代の若手である。新設に伴い、都内の警察署から警視庁本部に集められたのだが、たった五人しかいないのでは先が不安だ。広すぎる部屋がなおさらそう思わせる。

 また、係長の野上が課長を兼任していることも異例であり、本来報道されるべき新たな課の設立は非現実的として非難されることを恐れてか、極秘裏である。

 すると根岸の左隣に立っていた童顔な青年が口を開いた。

「あの、魔法ってそもそも何ですか?」

 根岸はまた苦虫を噛みつぶしたが、野上はよくぞ聞いてくれたとばかりに片眉を上げてみせる。

葉沢はざわ、君は何も知らないんだったな」

「はい、すみません」

「ちゃんと説明するから謝らなくていいぞ」

 葉沢は平均的な背丈の細い男だった。ぱっちりとした目に丸みを帯びた輪郭で中性的な顔立ちだ。まだ二十代前半だからか、新卒の社会人のようにスーツが似合っていない。

 野上が咳払いを一つしてから言う。

「魔法とはすなわち気だ。空気をさまざまな形に練り直して使う。風を起こして早く移動することはできるが、空は飛べない」

 うんうんとうなずくのは、根岸からちょうど一人分空けたところに立つ小柄な男だ。年齢は二十代半ばで根岸と同じか年下だろう。前髪を真ん中で分けていて額が広く、地味な顔立ちながら知的な空気をまとわせている。そして何故か訳知り顔だ。

 野上は説明を続ける。

「残念ながら何でもできるわけじゃないんだ。ただし、人によって得意不得意はあるし、使い方によってはいろいろなことができる」

 小柄な男の隣に並ぶのは、背の高い男だった。髪が短く温厚そうな顔にがっしりとした分厚い体の、典型的なスポーツマンタイプだ。年齢は三十代半ばだろうか、根岸より五歳か六歳程度上に見えた。

「さらに魔法使いの中でもごく一部の者は、世界に干渉することができる」

「世界?」

 葉沢が首をかしげ、野上は小柄な男へ目を向けた。

菱田ひしだ。どんなことができるのか教えてやってくれ」

「はい」

 菱田はにこりと笑いながら葉沢へ視線を送る。

「オレは時間に干渉することができるんだ。具体的には三分前の状態に戻せるんだけど、怪我をしても三分以内であれば怪我をする前に戻せるというわけ」

「すごいな」

 つぶやいたのは背の高い男である。

「もしかして、魔力量は七百五十マル以上か?」

「ええ、八百八十です」

 根岸は耳に懐かしい単語だと思いつつ、黙って口を閉じていた。

「ちなみに」と、野上が口を開く。

「俺は体内に流れる気に干渉することができるぞ。相手の意識や記憶に作用して、動揺させたり動きを止めることができる」

「うわ、怖そう」

 葉沢が本能的な恐怖を覚えると、野上はにやにやと笑いながら言った。

「心の中にひそむトラウマを引きずり出すこともできるぞ」

「ひいっ。で、でもすごいです! 自分にもそうしたことができるようになるんでしょうか?」

「いや、それは分からない。訓練を積めば魔力量は上げられるが、さっきも言ったように得意不得意があるからな。葉沢に向いているのがどういった魔法なのかは、今後の訓練で見極めていくしかない」

「なるほど。分かりました」

 少しがっかりしたように肩を落とす葉沢を、根岸は横目に見つめる。彼は本当に何も知らなかったようだ。魔法使いの血を引いておきながら、これまで無知のまま生きてきたなんて信じがたい。

「話を戻すが、魔法は使い方次第だからな。それで犯罪を起こした例もあるってわけだ。俺たちはそうした事件を追うんだが、近年は幻獣の密輸が問題になっている」

「幻獣の密輸?」

 再び葉沢が首をかしげると、今度は菱田が説明した。

「架空の生物だと思われてるけど、実際に存在するんだよ。魔法生物とも呼ばれていて、それらを管理保護しているのが日本幻気術協会なんだけど、そっちで問題になっているのが密輸というわけさ」

 野上は彼の説明に満足した様子で言う。

「幻獣は人に害をなすものも少なくない。万が一密輸された幻獣が野生化したら危ないからな、未然に防ぎたいんだ」

「でも、幻獣なんて見たことないですよ?」

 おどおどと葉沢が口にし、根岸は我慢できずに小さくため息をついた。

「認識していないからだ。いると認識すれば、途端に目に見えるようになる」

「そういうものなんですか?」

 不安がる様子で葉沢は上目遣いに根岸を見つめ、野上が明るく言う。

「大丈夫だ、葉沢。今日はこれから、根岸と協会へ行ってもらう。そこで魔法使い登録を済ませ、魔力量の測定をしてもらってこい。すぐ近くに幻獣の保護研究施設もあるから、ついでに行って勉強すれば見えるようになるよ」

 そして野上はポケットから一枚のメモを取り出し、根岸へ差し出した。

「というわけだから、よろしくな」

 メモに書かれていたのは日本幻気術協会、通称魔法協会の所在地だ。視線をやりつつ、根岸は無表情に問う。

「何故、俺に?」

「根岸は行ったことあるだろ、魔法協会」

 野上がにっこりと笑い、根岸はしぶしぶとメモを受け取る。行ったことがあると言っても、もう二十年以上も昔だ。まったく知らない場所ではないが気が進まない。

 牽制するように、根岸は眼鏡のレンズ越しに野上へ冷めた目を向ける。

「言っておきますけど、俺は魔法なんて使いませんよ」

「おう、知ってるよ。魔法の知識があって捜査さえできればいいんだ。無理強いはしない」

 野上の目をじっと見つめてから、根岸はため息をついた。初日から上司とやり合っても仕方がない。

「分かりました。行ってきます」

「気をつけてな」

 根岸がさっそく背中を向けて歩き出し、葉沢は野上へ軽く頭を下げると慌てて後を追った。

 初々しい後ろ姿を見送る間もなく、野上は残った二人へ視線を向ける。

「さて、菱田と温井ぬくいにはさっそく現場へ行ってもらう。都内で起きてる連続変死事件、知ってるよな?」

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