平安貴族は暇を極めていた

山田たか

0.暇を極めた平安人と、時間に追われる現代人

ひとつ前置きしておきたいことは、決して平安貴族が働いていないニートであると歴史的事実を曲解してこのタイトルをつけたわけではないことだ。そして、このタイトルは、エッセイぽいタイトルをつけたいという願望と私が書きたい内容との擦り合わせの産物だということだ。


平安時代は文化的に隆盛を極めた時代である。が、科学が未発達であるので、現代より娯楽は少ないはずだ。我々現代人からすれば、ゲームやテレビ、JpopやKpopのない世界など暇を持て余して仕方ない、苦痛だと感じるだろう。しかし彼らは違った。彼らは綺麗な景色から取るに足らない日常の些事を歌に詠んだのだ。そこには間違いなく、日常の些事を「面白い」「いいものだ」と感じる感性があったはずで、これは我々現代人に失われつつあるものだ。


まさに、平安貴族は暇の楽しみ方を熟知した、暇を極めし者たちだったのだろう。


対して、現代人はどうだろうか。日中は仕事か学業にいそしみ、家に帰ればSNSを見るばかり。そうでないにしろ、テレビやゲームに時間を吸われるばかりで、かつての暇を極めし者たちの影はどこにもない。いや、ある意味時間つぶしの娯楽を多く作り上げた現代人も、暇を極めた者たちと呼べるかもしれないが...


と、ここまで書いてビジネス書のような雰囲気になってきたのだが、平安人と現代人の違いとかなんだかを論じるつもりは全くない。面倒くさいから。


私はここに、現代でも平安人が感じていたような「おもしろさ」を感じるようになれれば、どんなにみすぼらしい生活でも幸せにいられるのではないかと考えた。時間に追われる現代人だからこそ、日々の走りの途中にある一輪の花を見逃さぬよう生きていきたい、そう思ったのだ。


これはあくまでも序文に過ぎない。これから私が紡いでいく文章は、私の日常の中で起こった、感じた些細なことで、みんなにとってはつまらないものかもしれない。それでも私が感じたことをここに紡ぐ。かつて清少納言が枕草子に記したようにね。


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