2章 見送り握手チャレンジと貴方のこと

《誰かのために自分に鞭を打つ主人公タイプ》小春視点

第5話 新たなチャレンジ

「小春様。今日から見送りハグチャレンジはやめましょう」

「へ?」


 私が雅さんを避けないと決意した翌日。朝ごはんの最中に突然雅さんはそう言った。


 形も味も良い玉子焼きを食べていた私は停止してしまう。


「やはりハグはハードルが高い気がします」

「ああ、なるほど…」


 一緒にこのマンションで暮らし始めてから日課になっていた見送りハグチャレンジ。

 提案したのは桜花なのだが、一度もクリア出来てない。


「では今日からやめましょうか」

「はい。ですがその代わり別のものをやりましょう」

「ん?」

「握手です」

「握手……」


 私は雅さんと握手をしたことがあるか思い返す。しかし記憶の中にはその思い出が全く無かった。


 今日からハグではなく握手チャレンジ。接触することには変わりない。

 何だか震えてきた。


「勿論、小春様が嫌ならやりません。あくまで提案です」

「いっいえ!やります!昨日決意したばかりなので!」

「…わかりました。それでは今日からまたよろしくお願いします」

「こ、こちらこそ」


 そんな会話をした数十分後。私は学校に行くために玄関で靴を履く。

 雅さんもいつも通り綺麗な姿勢で後ろに立っていた。


「小春様。今日は何時頃の帰宅になりますか?」

「ええっと……いつもの時間です」


 この流れも恒例となっている。しかし私は雅さんの……妖怪の目を見ることは苦手だ。

 一応会話は出来ているのだけど視線はお互いに合わないままだった。


「それでは小春様、どうぞ」

「は、はい…」


 準備が終わった私に雅さんは片手を差し出してくる。

 細くて真っ白で女性なら憧れるような手に、整えられた黒い爪。

 

 桜花に聞いた話だと、雅さんの爪の色は生まれつきらしい。雅さんのご両親も同じ色をしていると教えてくれた。


「………」


 何も考えずに見れば黒いマニキュアをした美人の手。


 ハグとは違って手さえ視界に入れれば良いのだからハードルは低いはず。

 けれど私の手は上がることなく震えている。


「やはりダメそうですか?」

「………」


 いつもならこのタイミングで頷いて逃げるように家を出る。しかし今日の私は違った。

 頑張りを更に重ねて震える手を、握りしめていた鞄から離していく。


「へ、変なくらい震えてますけどっ、見なかったことにしてください…」

「かしこまりました」


 指先は制御を失ったように動く。力を入れて耐えようとしても無駄だった。


「小春様」

「は、はい」

「握手はやめましょう」

「……え?」

「その代わりに」


 すると雅さんは手のひらをこちらに向ける。そのまま震える私の指先にちょんっと付けた。


「しばらくはハイタッチにしましょう。これなら一瞬で終わりますよ」

「あ……」

「初めて触れられましたね。ありがとうございます」

「い、いえ」

「それではいってらっしゃいませ。車には気をつけてください」


 本当に一瞬だった。さっきまで怯えていた指先の震えは止まっていて私は力無く腕を下げる。


「行って、きます」

「はい。今日も頑張ってください」


 私は思考が停止したまま玄関を開けて家を出た。

 ボーッとした頭でマンションから降りると見慣れた姿が私を待ってくれている。


「お姉ちゃん!」

「桜花……」

「え?何?またなんかやらかしたの?」

「……」

「雅お姉ちゃんに何したの」

「……雅さんの手」

「んー?もう少しハッキリと」

「雅さんの手、冷たかった」


 外に出ても残っている雅さんの手のひらの感触と体温。

 初めて触れた許嫁の手は私の記憶に深く刻まれたような気がした。


「さ、触れたの?」

「うん…」

「おめでとう」

「うん…」

「もっと喜べよ!!」


 突然、私の耳に響いた桜花の声に肩を上げる。


 今までボーッとしていたのがクリアになって目が覚めたような感じだ。

 やっと自分の指先から目を離せて桜花を見つめる。


「えっ見送りハグチャレンジ成功したってこと!?」

「ううん。それはハードルが高いから別のものにしようって」

「手ということは握手だ!」

「その予定だったけど……出来なかった。だからハイタッチを雅さんがちょんって」


 ハイタッチと言えるのか怪しいけど触れたことには変わりない。

 桜花はコロコロと表情を動かした後、私の肩を掴んだ。


「昨日余計なことしちゃったかなって心配だったんだけど、キッカケになってくれたなら良かった」

「桜花…」


 もしも昨日桜花が私にあの強い指摘をしてくれなかったら今日のことは出来なかった。

 また身の丈に合わないハグチャレンジを逃げて自分を責めていただろう。


「ありがとう桜花」

「ふふん。でーも!油断は禁物だよ?お姉ちゃん」

「どういうこと?」

「あたし、雅お義姉ちゃんとは呼びたくないなぁ」

「今も雅お姉ちゃんって呼んでるじゃん」

「まぁまぁ。とにかく雅お姉ちゃんを傷つけたらあたしが容赦なく殴るよって話」

「怖っ!」


 桜花は私の肩から手を離すと満足した笑顔で歩き出す。

 この妹は破天荒な発言も実現させようとするから冗談で流せないんだよね。

 そんなところも可愛い妹なんだけど。


「あっ、お姉ちゃん!今日お店来てくれない?お母さんに頼まれたの手伝って」


 ……でも突然私にとっては大事おおごとの誘いを言ってくるところは直して欲しい。

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