悪役令嬢ですけど、すでに義弟をいじめた後でした。

餡子

悪役令嬢ですけど、すでに義弟をいじめた後でした。



 入学式を控えた魔法王立学園の前に降り立った途端、思い出してしまった。


(嘘、でしょう……?)


 目の前の大きな門と、学園へと続く白い石造りの広い道。

 なぜか懐かしい。見たことがある。そう、かつてどこかで見た絵画と同じだと感じる。

 覚えのない郷愁が押し寄せてくると同時に、脳裏に断片的にだが不思議な映像と物語が浮かんでくる。

 そこで私は、恐ろしいことに気づいてしまった。


 どうやら私は、かつてプレイした乙女ゲームの悪役令嬢だと!


 そんな私のすぐ傍らには、義母の連れ子の攻略対象である義弟がいる。

 どうしよう。

 もうゲーム開始直前だけど、すでにいじめた後だったわ!?



 ***


 自分を落ち着かせるために、話は少し遡る。


 今朝はガタゴトと揺れる馬車の中から見えてきた魔法王立学園の姿に、思わず感嘆の息を飲んだ。

 朝日が煌めく中、聳え立つ白い瀟洒な建物に興奮と期待でドキドキしてくる。


(今日からここが、私達の通う学園なのね)


 16歳から18歳までの貴族の子女や、平民でも魔法の素質を見出された者が入学を許される場所。

 侯爵家の娘である私グローリアと、その義弟ネイトも今日からこの学園の生徒になる。

 私の魔法の素質は貴族の中では上の方だけど、ネイトはもっと魔法の才に溢れている。悔しいけれど、こればかりは持って生まれた素質だから仕方がない。


(せめてネイトが確実に入りそうな特級には私も入りたいわ)


 チラリ、と向かいに座るネイトを見る。

 義弟とはいえ、私の生まれが数ヶ月早いだけなので学年は同じ。ネイトは2年前に再婚した義母の連れ子なので、私とはまったく似ていない。

 ネイトは魔法の素質を深く受け継いだことがわかる漆黒の髪と、感情を読みにくい淡いグレーの瞳を持っている。ちょっと冷たい印象を受ける通り、得意な魔法は氷型。

 しかし、魔法は全般的にたやすくこなしてしまう。


(指先一つ弾くだけでお湯が沸かせてしまうのだから、ずるいわよね)


 本来は火型を受け継ぐ私ですら、お湯を沸かしたければ精霊に願うやたらと長い詠唱を必要とするのに。はっきり言って、侍女に頼んだ方が圧倒的に早い。

 それが悔しくて、今まで散々この義弟にティーポット用の湯を作らせたりもした。


「なに?」


 視線に気づいたのか、淡いグレーの瞳と簡素な問いを投げかけられる。

 相変わらず愛想のない子である。元々あまり愛想が良い方ではなかったので、そんな態度も今更だから怒りは湧かない。

 ただ、もうちょっといろんな顔を見せてくれたらいいのに、と思って悔しくなるだけ。たとえば弱みとか。


「私たちも出会ってもう2年になるのね、と思っただけよ」


 自分の赤みを帯びた茶色の癖毛を指先でくるくると回しながら答える。

 母を亡くしてから10年目にして、父が義母と義弟を我が家に迎え入れた。元子爵夫人だった義母は未亡人になってから難しい立場にあり、同じ年頃の子を持つ遠縁の私の父に相談したことが切っ掛けだったらしい。

 もう母が亡くなって10年も経っているのだから、父が新たに伴侶を迎えたことに反対はない。

 義母は苦労してきたのか、穏やかだけどしっかりされた方だった。だからといって我が物顔で振る舞うことはなく、父を支える立ち位置を崩さない謙虚な方でもあった。幸い、私に対しても親切にしてくれる。


(ネイトも、素っ気ないけど親切ではあるのよね)


 私は今まで、ネイトに嫌がらせばかりしてきたのに。

 父の再婚は歓迎できたけど、年頃にいきなり出来た同じ年の義弟はやはり家族とは認めがたかった。

 それまでは自分が侯爵家の後継者になると思っていたし、自分より遥かに才能を持った相手が現れれば焦りも湧いた。


「リアに姉上と呼ぶなと言われてから、2年経ったわけだ」


 感慨深いのか、ネイトが目を細めてそう言った。

 そう、私は初めて「姉上」と呼ばれた時にネイトを突き放した。


『姉上なんて呼ばないで。いきなり出来た同じ年のあなたを弟だなんて思えないわ』


 そう言ってしまったのは、たった一人の家族であった父を取られそうな嫉妬もあったかもしれない。


『では、お嬢様?』


 ネイトはそんな私に対して顔色も変えなかった。予想していたのか、あっさりと敬称で呼んだ。元子爵子息だったから、侯爵家の娘を立てようとしたのだとも思う。


『あなたね、もうあなたも侯爵家の人間なの。そんなに卑屈にならないでちょうだい』

『でしたら、どのようにお呼びすれば良いですか。グローリア様?』

『リアよ!』

『……リア』

『親しい人は皆、愛称で呼ぶわ。それから、敬語もやめてちょうだい。弟とは思えないけど、あなたも侯爵家の一員なのだから。誇りを持ちなさい』


 はっきりと言い放った時の、ネイトの驚いて唖然とした顔といったら。

 いま思い出しても貴重だわ。

 ……ちょっと可愛い、とも思ってしまったわ。

 だけどそれからも、やっぱり出来が良すぎる義弟を素直に認めたくなくて、嫌がらせを繰り返した。

 難しい魔法を強請って、やたらと頭を使わせたり。高度な魔法書を手に入れて、解読してほしいと無理を言ったり。

 ネイトは文句を言わずに黙々と解いていたわね。魔法を披露された時は凄すぎて、悔しがるのも忘れて感動してしまったわ。

 あとは『似合うわ』と言って、やたら飾り立てた堅苦しい服装を押し付けてみたり。

 いえ、似合っていたのは悔しいけれど本当よ。

 出会った頃のネイトはまだ顔に愛らしさが残っていたのよ。今はもう随分と大人の顔に近づいてきて、シンプルな服装が似合うけど。今の礼装もよく似合っているわ。

 他にも、領地の広大な森の中で大きなカブトムシを発見した時は、都会育ちのネイトを驚かせてやれると思って、捕まえて贈ったこともあったわ。

 予想に反して、『すごいな。黒いダイヤじゃないか』と違う意味で驚かれて、しばらく飼われていたみたいだけど。

 あまりに嬉しそうだったから、つい飼育方法まで教えてしまったのよね……。

 それ以外にも、細々と意地悪をしてきた。

 ティーポットのお湯を魔法で沸かせさせたり。『将来、旦那様にお茶を上手に淹れてあげられるようになりたいのよ』という名目で、練習で淹れたまずいお茶に付き合わせたりもしたわね。

 私も飲んだけど。

 練習と言った手前、飲まないわけにはいかないでしょう? おかげでかなり腕が上がったわ!

 普段は何も言わないくせに、美味しく淹れられた時にネイトが微かに笑うのが、ちょっと嬉しかったせいもあったりして……


「リア、着いたぞ」


 ぼんやり考え込んでいたせいで、馬車が止まったことすら気づかなかった。向かいに座るネイトに声を掛けられて、ハッと顔を上げる。

 馬車から降りたら、新たな生活が始まる。

 ほんの僅かな不安と、それを上回る期待と興奮。ドキドキと胸を躍らせながら、先に降りたネイトに手を取られて馬車を降り立った。


 ーーその時だった。


 目の前の景色に、なぜか懐かしさが急激に込み上げてきた。初めて訪れた場所なのに、知っている、という感情に囚われる。

 同時に脳裏に蘇る、様々な人の映像と断片的な物語。軽やかに頭に流れるオープニング曲。

 そうだわ。私、このゲームが大好きだったの。

 そんな感想が蘇ってくる。

 平民の少女が魔法の素質を見出され、色々な人達と関わっていく魔法と愛のストーリー。

 定番の頼れる王子様、幼馴染の誠実な騎士の少年、おちゃらけながらも実はすごい先輩、大人の色気を醸し出す先生。

 そして。

 ヒロインと同じく、魔法の才に溢れた同級生。気難しくて、攻略が大変だった……


(次期侯爵と言われていた、侯爵子息)


 ギギギギ、と油を差さなければ動けないブリキの人形のような動きで、私の手を取るネイトを見上げた。

 待ってちょうだい。

 外見は脳内の画像と一致してしまうけど、まさか本当にネイトがその攻略対象ならば。


(その子息が他人に心を開けなくなるようにいじめていた、悪役令嬢は)


 赤みの深い茶色の髪は見事な巻毛で、勝ち気そうな琥珀色の瞳が印象的な少女。

 そう、今の私。

 …………。

 えっ!? 私なの!?

 いじめていた? ええ、いじめていたわね! 紛れもなく、色々と嫌がらせしてしまっていたわ。

 どうしよう。

 もうゲーム開始直前だけど、すでにいじめた後だったわ!?

 悪役令嬢の末路ってどうだったかしら。死刑や国外追放なんてなかったはずよ。健全な少女向けゲームだったはずだもの!

 ただ最悪の場合、修道院送りになっていたような淡い記憶がある。

 そうよね、侯爵位を継ぐのは男子が優先されるとはいえ、本来の直系である私は邪魔者よね。

 せめて、良い場所に嫁がせるくらいにしてくれないかしら!? 私の立場、政略結婚としては役に立つはずよ! 勿体無いでしょう!?


(今から謝れば、もしかしたら、ちょっとは許してもらえる……?)


 心臓がバクバクと壊れそうに脈打っている。取られたままの手に嫌な汗が滲みそう。


「リア? どうした。具合でも悪いのか」


 動かない私を不審に思い、ネイトが僅かに眉を顰めて覗き込んでくる。


「今朝、また食べすぎたんじゃないのか」


 そうだった。今朝も、わざわざネイトの部屋に出向いて朝食を取った。

 今日はクロワッサン。サックサクに焼けた香ばしいパンは食べるのが難しく、ネイトの部屋にパンくずをパラパラ落としてしまっていた。

 なんたる悪行! しかも、一度や二度ではない!


「あのね、ネイト。今まで、悪かったと思っているわ。私、いつもあなたの部屋で食べこぼしていた……」


 パンとかクッキーとかクラッカーとか。食べにくいものを食べる時は、ネイトを道連れにしていた。


「リアが食べるのが下手なのは今更だろ。外では選ばないように気をつければいいだけだ」


 ネイトは何を言い出すんだと言いたげに、呆れを滲ませた。人をなんだと思っていたの。失礼ね。

 とは思い掛けたけど、迷惑をかけたことに変わりはない。


「他にも、昨日だって、今日提出する書類を汚してしまって、書き直しさせたわ……っ」


 うっかり爪にオイルを塗っていたのを忘れて、提出書類を汚して書き直しさせる羽目になったのは、つい昨日。

 あれはわざとじゃないけど! でも悪いことをしたわ。


「リアが抜けてるのも今始まったことじゃないだろ。書き直して済んだ話だ」

「さっきから失礼ね。……いえ、言いたいことは、そうじゃなくて」


 一体なんなんだと言いたげにネイトが小首を傾げる。それでも話を切り上げないあたり、実はネイトは人が良いのかもしれない。

 あなたを弟だと認めないとまで言った私に、ちゃんと向き合おうとしてくれる。

 いつだって、私がやることに呆れはするけど怒ったことはなかった。冷静に、誠実に向き合ってきてくれた。

 今更だけど、ならば私も誠実さに応える時だ。

 本当は、もう、ずっと前からネイトのことは侯爵家の人間として認めていた。

 将来は任せても大丈夫だと、そう思っていた。

 どちらかといえば今も弟とは思えないし、ライバルだと言いたいけれど。でもいつしかそれだけではなくて、友人のように素の私を見せられる相手になっていたのだから。

 こくり、と緊張した喉を嚥下させる。

 ゆっくりと顔を上げると、意を決して琥珀色の瞳でネイトをまっすぐ見つめた。


「私、あなたこそ侯爵に相応しい人物になると思っているわ」


 告げた私を見下ろし、ネイトが珍しく驚きに目を瞠った。

 こう言いつつも悔しい気持ちはやっぱりあって、ちょっとだけ顔が泣きそうに歪んでしまったかもしれない。

 それでも胸に掲げた意思を伝えたくて、重なったままの手に力を込める。


「だからこれからは、あなたを弟だと思えるように努力するわ」

「それは困る」


 けれど私の決死の告白は、なぜか不機嫌そうな表情になったネイトに一蹴された。


「なぜ!?」


 やはり、もう許せないというの? 私の修道院行き決定!?

 愕然とする私を見て、ネイトは深々と嘆息を吐き出した。


「そんな顔して何を言い出すかと思えば……なんで俺が侯爵家を乗っ取らなきゃならないんだ」

「だって、ネイトの方がふさわしいのは一目瞭然だわ」


 悔しいけれど、それでも密かにあなたを誇らしくも思っていたのよ。

 いつしか意地悪するのが目的じゃなくなっていて、ネイトと過ごすことこそを目的としていた程に。


「それはリアが精力的に俺に魔法を学ぶようにしてくれたからだ」

「それは、……それは、ネイトを困らせたかっただけよ」

「でもそのおかげで、今の俺がある」


 驚いてまじまじと見上げれば、ネイトが「それにもっと簡単な解決法があるだろ」と真顔でぼやいた。

 どういうことなの。やはり修道院直行が手っ取り早いとでも!?

 思わず首を傾げ掛けたところで、不意に強く手を引かれた。


「!?」


 バランスを崩してネイトの胸に倒れ込む。慌てて離れるより早く、額に柔らかくて温かい感触を感じた。

 ぎょっとして顔を上げれば、驚くほど近い位置にネイトの顔がある。

 とても、姉弟とは思えない距離に。

 この位置から考えて、さっき私の額に触れたのは、まさか。

 まさか……ネイトの唇!?


「今更、弟だなんて言われても困る。これでわかっただろ?」


 素っ気なく言うと、ネイトは私の手を引いて先に歩き出した。黒髪の合間から見える耳が、なぜか赤くなっているような。

 見ていたら、じわじわと自分の頬まで熱くなってくる。顔だけでなく、繋がれた指先まで熱が回りそう。

 なんということでしょう。



 もしかしたら未来の私の役割は悪役令嬢ではなくて、幸福な花嫁なんじゃないかしら。



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