第四十六話 雷火の女帝

「だからお姉さんは言ったんだ。気を付けなさいって……」


 ランは腰に手を当て、シュウの元へ歩み寄る。


 フィオナはその姿を見て口を開いた。


雷火の女帝フルゴラ……ね」


 ランは意識を失っているシュウの頭を撫でた。その眼差しは母親のように優しい。


「よくやったじゃないか。力強く……健気なマナだったよ。愛おしいくらいね」


 チェンが駆け寄ってくる。氷に足を取られながら懸命に走り、そのままランに抱きついた。


「フルゴラの姉貴! 兄貴を助けてください! お願いしまス!」


 ランはチェンの頭を撫でながら、その後方に目をやる。リンとシャーロットは浮いたままである。ニブルヘイムの被害を免れていた。


「ふふ。あんたも二人を浮かせたままで……。大義だったね。後はお姉さんに任せて寝てて良いわよ」


 その言葉を聞いてチェンは、ほっとしたように微笑むと意識を失った。マナが枯渇したらしい。懸命に気力で耐えていたのだ。リンとシャーロットは緩やかに落下した。


 ランはパチンと指を鳴らした。すると電気を帯びたマナの球体がチェン、リン、シャーロット、そしてシュウを包み込み、彼等の周りの氷を溶かしていく。その光は温かい。


「さて……と。ギフター相手では、ちょっとキツかっただろうねぇ。しゅうちんは」


 ランは南とフィオナの方へ顔を向けた。笑顔だが、その目は笑っていない。


 南は雷火の女帝を前にしても気圧される気配はない。フィオナも同様だ。


 森の中から男女の警備員が姿を現した。木村と高橋である。二人とも金蛇警備に所属するストレンジャーだ。いつもシュウに向けている笑顔とは異なり、静かに殺気をみなぎらせている。


 ランは二人に視線を送らずに、片手でその動きを制した。


「なるほど、雪を降らすか。天候まで変えるとはね」


 雪を見上げ、そう呟くと、改めて南を見る。そしてランは大きい金色の瞳をぱちくりさせた。


「……そっかー。きみ、禁忌の魔女アリアンロッドの弟じゃない? 絶対零度に到達したって言われている天才。こりゃちょっと相手が悪かったかなー」


 ランはランウェイを歩くモデルのような所作で二人のギフターへ向かって歩いて行く。その歩みに気負いも迷いも警戒心もない。


「そうだ、きみのお姉さんって怖いよねー。 どうやったらあの魔女を殺せるの? きみ、弱点知ってる?」


 ランの接近に南が反応した。臨戦態勢に入る。


「フルゴラとは関わるなって亜梨沙姉さんに言われたけど……。まあ、いいか」


 冷気のマナを纏った足でタンッと地面を踏む。――すると、巨大な氷柱が凄まじいスピードでランに向かって伸びていく。先刻、シュウの足を貫いた氷柱の五倍はある。


「久々だねー。私に弓を引く異人は……」


 ランは右手を天にかざすと笑顔で<放電>と呟いた。


 木々がざわめき、一瞬でランの右手に多量のマナが集約され――、バリバリッと音が夜の森に響き渡った。刹那、ランの右手に巨大な電気の球体が出現する。辺りが昼間のように明るくなった。


「勇気ある行動に褒美をくれてやろう」


 ランの目に狂気が宿り、右手を振り切った。ゴオと風を切って雷球が南へ向かって放たれる。


 伸びる氷柱を粉砕し、そのまま南に直撃して雷球は爆発した。轟音が響き、凄まじい黒煙が立ち上る。


 ランは歩みを止めず黒煙の中を進んでいく。南にとどめを刺すためである。


――その時、ランの視界の隅で、微かに煙が動いた。


 粉塵を切り裂いて鋭い突きが放たれる。フィオナのレイピアが狙ったのはランの眼球だった。


 ランはひょいと回避すると、<発電>と呟く。その瞬間、青白い電気がバリバリッと左拳に集約される。ランは冷酷に微笑むと、神速のボディーブローをカウンターで叩き込む。


 閃光が破裂し、肋骨が砕ける鈍い音が響いた。フィオナは思い切り吹き飛ばされ、遙か遠くの大木に叩き付けられる。女帝の<電拳>はフィオナに致命傷を与えた。


「アルテミシアの騎士か。なかなか良い突きだ」


 ランは相変わらず笑顔だが、愛弟子がやられて胸中穏やかではない。


 圧倒的な力の差――。二人のギフターに勝ち目はないと思われた。


「……うん?」


 ランは歩みを止めた。降雪の量が増えている。


 突如、ブリザードが吹き荒れ黒煙を散らした。その中心で膝をついていた南が静かに立ち上がる。彼の周辺に螺旋状のマナが放出され、再び地面が凍結していく。


「へー。殺すつもりで撃ったんだけど。マナ量が桁違いだね」


 ランは冷酷な笑みを浮かべながら南の方へ歩いて行く。


「……やっぱりフルゴラは強いね。まったく……面倒くさいな」


 南は氷のような目で、近付いてくるランを見ている。――距離を測っているのだ。


 ヒュウウ……と風が吹き、南の周辺に変化が現れる。ジジッと不気味な音が鳴り、空間が歪んでいるように見えた。


 ランは歩みを止めた。目を細めてマナの動きを見極める。


「ふぅん? なるほど。凄まじい濃度のマナだ。でも……それ発動したら、きみ死ぬよ?」


「……あんたが実験台になってくれよ。初めて人間に使うんだ」


 南から動く気配はない。いや、ダメージが大きく動けなかった。ランの雷撃で重傷を負っている。


 完全に迎撃の態勢だ。静かに……マナを溜めている。ランが近付いてくるのを待ちながら――。


 ランは長いブロンドをかきあげ、不敵に笑った。再び南へ向かって歩き出す。


 南が微かに動いた。右手をランに向けてかざした瞬間――。


 フィオナが間に飛び込んできた。致命傷を受けているとは思えない身のこなしである。


「南は……私が守る!」


 いつものポーカーフェイスではなく、激情に駆られ、鋭い連撃をランに向けて放つ。その中の一閃がランの頬をかすめた。


 ランは表情を変えずに、フィオナの首を掴み、力任せに地面へ叩き付ける。そして先刻、拳を叩き込んだ腹部を思い切り踏みつけた。


「かはっ!」


 フィオナは吐血し、力なくレイピアを手放した。


 ランは冷徹な瞳でフィオナを見下ろす。


「銀髪と銀色の瞳……。お前がアルテミシアの銀槍の乙女ヴァルキリーか」


 美しい銀色の髪は血で染まっていた。雪のように白い肌は血と土で汚れている。


「……南は……私が、守……る」


 ぼろぼろになりながらも、フィオナの目は死んでいなかった。血だらけの手でランの足を掴む。


「普通なら死んでいる傷なんだけど、あんたもタフだね」


 フィオナの手にマナが集約され、目映い光が辺りを包み込んでいく。


「……あなたの右足もらうわよ。雷火の女帝フルゴラ


 キィィ……と不協和音が響き渡る。フィオナは死を覚悟して最後の一撃を繰り出そうとしていた。


「……はあ」


 ランは冷めた目で見下ろし、足にしがみついているフィオナを南の方へ蹴り飛ばした。


「……フィオナ!」


 南はマナの展開を解きフィオナを受け止める。しかし、衝撃を吸収しきれず、後ろに吹き飛び、そのまま木に叩き付けられた。


「ギフターってのは、若いのに無駄に死のうとするんだね。お姉さんには理解できないわよ」


 ランは溜息をつくと、折り重なって倒れている二人を見る。


「まあ、ここで絶対零度と銀槍の乙女を殺して、奴等の戦力を削いでおくかな」


 再び右手を上にかざすと、空に巨大な雷球が発現する。ランの<放電>は全てを焼き尽くす無慈悲な雷火である。


 木々がざわめき池の水面が踊り狂う。広域凍結能力(ニブルヘイム)の雪は既に止み、雨蛇公園を雷風が吹き荒れていた。


 その時、ランのパーカーを引っ張る手があった。


「お師匠……。待ってくれ」


 腹部から血を流しているシュウであった。意識を取り戻し、ランの横に立つ。


 南がその様子を驚いた顔で見ている。腕の中では血だらけのフィオナが意識を失っていた。


 ランは南から視線を外さない。シュウに顔を向けずに答える。


「……しゅうちん。動くと内臓が出るわよ。おとなしく寝ていなさい」


 シュウは青白い顔でランにしがみつく。今にも意識を失いそうだが、目には力があった。


「お師匠、奴等を殺さないでくれ……。頼む」


「なんで? あんたを殺されかけて、私が許すと思う?」


 ランの声音はいつもと違っていた。本気で怒っているのが伝わってくる。


「あいつらには……聞きたいことがある……んです。……げほっ」


 シュウは沢山の血を吐きながら、南の方を睨み付けた。シュウと南の視線が交差する。


「……何故! シャーロットが殺された……のか。……知らずに俺は死ねない……!」


「……」


「頼む、お師匠! 奴等を……見逃して……くれ」


 そこまで言うと、シュウは再び倒れた。もう意識はない。シュウは瀕死であった。


「はぁー……ったく」


 ランは深く溜息をついた。右手をくるっと反転させると、巨大な雷球が霧散した。大量の排マナが放出され、木々を揺らす。


 木に背中を預け、フィオナを抱きかかえている南を一瞥すると、ランはこう言った。


「黒川亜梨沙に伝えなさい。これは貸しだと」


 そこでフィオナが意識を取り戻した。血だらけの手で南の頬を撫でる。自身も瀕死だが、南のことだけを心配していた。


「……南。無事ね。……良かった」


 ランはフィオナにも声を掛けた。


「銀槍の乙女よ。騎士団長に伝えなさい。これで借りは返したと……」


 ランは足下で倒れているシュウを抱きかかえ、二人に背を向け歩き出す。


――その時、遠くでオオカミの遠吠えが聞こえた。


 木村と高橋が駆け寄ってくる。木村はリンとチェンを背負い、高橋はシャーロットを抱えている。


 木村は大きな声を出す。


「社長! 犬型のダーカーです! あそこに!」


 ランは木村が指差す方を見た。大きな池の向こう岸、森の中にダークブルーのマナを纏った獣がいた。ぼうっと発光していて、禍々しい雰囲気を放っている。


 四メートルはあるかもしれない。巨大なオオカミのような獣がこちらを見ていた。


 ダーカーはマナを食らう化け物である。その発生率は低いが、最近目撃情報が増えているらしい。


「……」


 ランの視線を感じたダーカーは、もう一度遠吠えをすると、静かに闇の中へ姿を消した。


「……帰ろうか。木村。しゅうちんが死んだら、あの人達に叱られるわ」


「そうですね。社長。シュウ様に何かあったら一大事です」


 ランが後ろを振り返ると、既に南とフィオナの姿は無かった。


「神聖な雨蛇公園がぼろぼろだね。明日、スタッフを寄越そう」


「社長……。シュウ様は大丈夫でしょうか」


 高橋がランの腕の中にいるシュウを心配している。


 ランは高橋に優しく答えた。


「……大丈夫だろ。それより彼女の方は?」


 高橋はシュウの上着に包まれたシャーロットを抱えている。その上着には多量の血が染みこんでいる。


「……あの……えっと。……はい」


 高橋の表情は暗い。ランはその反応で察した。


「……そうかい。ま、仕方ないね」


 無言のまま歩いて行くと、公園の入り口の方で赤い警光灯が見えた。シュウが呼んだ救急車である。


 救急隊員が担架を持って走ってくる。


「あれま。タイミング良いね。全員乗れるかしら?」


 木村が手を振って隊員を誘導する。深夜の公園内に人はいなかったが、入り口付近には野次馬の姿があった。


「今夜は飲んでも……酔えそうもないね」


 ランは夜空を見上げ、呟いた。


 雨蛇公園には季節外れの雪が降り積もっていた。

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