第四十三話 天空で語らう

 シュウはプリンスタワー・AMAHEBIのエントランスで完全に萎縮してしまった。


 入り口に飾られた巨大な装花。これは造花ではなく本物で、季節によって変わるらしい。天井の三百枚以上のガラスで作られたシャンデリアが眩しい。


 大きな柱が立ち並び、大理石のフロアと、赤いカーペットが敷き詰められた階段が見事なコントラストを演出している。


 正装したスタッフがきびきびと接客している。そう、隙が全くなかった。ここは異人街ではない、どこかの別世界だと思った。


(こ、これは! 俺の知っている世界ではないぞ? 逃げ出したい!)


 シャーロットは慣れているのか、女優スマイルを浮かべながらエレベーターまで歩いて行く。高級フレンチ「ザ・グラン・雨蛇」は二十五階にあるのだ。


 シャーロットは落ち着かないシュウに耳打ちをした。


「殿方は堂々としていてください。大丈夫ですから、私に合わせてついてきてくださいな」


 一見すると、腕を組んだ男女が歩いているように見えるが、その実、主導権を握っているのはシャーロットであった。シュウはシャーロットに導かれ、ただ歩いているだけである。


(シャーロットさんは俺と同じ未成年のはずだが……。この差は……。これが階級の差か!)


 シュウは生まれて初めて育ちの違いを感じたのである。スラム流では通用しない階層がある。シャーロットと釣り合うためには、これらの作法を身に付けていかねばならない。


(フィルもソフィアちゃんも大丈夫なんだろうな。こんなシチュエーションでも……)


 思えば先日の誘拐事件で救出したソフィア=エリソンにも、そして父親のフィルにも「品」というものを感じた。あの時は違和感だったが、今この場で確信した。


(俺には品性が圧倒的に欠けている!)


 二人はレストランの入り口に到着した。これまた無駄に豪勢な装飾である。ロビーに置いてあった物ほどではないが、色鮮やかな花が置かれていた。


(こんなに花必要? いらんだろ! だって、これすぐ枯れるんじゃ……)


 シャーロットは受付にいるオールバックのギャルソンと会話している。予約を入れたのは彼女なので名前を告げているのだろう。


 受付を終えるとシャーロットはそっとシュウの後ろに下がった。そして軽く背中を押す。


(え? 俺が先頭? そういうこと?)


 ギャルソンはシュウの顔を見て、一礼すると「こちらへどうぞ」と店内へ入っていった。


 店内は更に豪勢だった。ガラス張りのホールに丸テーブルがいくつも置いてある。ムーディーな照明と、二十五階から見える夜景が美しい。


 ギャルソンは窓際の席まで行くと椅子を引いた。


(……?)


 立ち尽くすシュウの背中をシャーロットは指で突っついた。


「……シュウさん。座っても大丈夫です」


 ギャルソンは笑顔である。フレンチに不慣れなシュウを見下すわけでもなく、待ってくれている。彼は一流のサービスマンだった。


「あ、どうも。すいません」


 シュウは慌てて席に座った。絶妙のタイミングでギャルソンは椅子をすっと戻した。そしてシャーロットは向かいに座る。


(えーっと。肉か魚か選ぶんだっけ……。ダメだ、分からん!)


 緊張しているシュウの様子を見てシャーロットは笑顔で言った。


「シュウさん。もうフルコースで予約しています。飲み物はペリエをもらいましょう。爽やかで美味しいですから、それで乾杯しましょうね」


「あ、はい」


 シャーロットはギャルソンに何かを伝えている。


「承知しました。それではカットレモンをお入れしましょう。ワイングラスでお持ちいたします」


 ギャルソンは笑顔で一礼すると去って行った。どうやら「儀式」は終わったらしい。


「ペリエって何ですか?」


「フランスのガス入りミネラルウォーターです。お酒は飲めませんが、乾杯の雰囲気だけでも味わおうと思いまして」


 シャーロットは笑顔で答えた。よく分からないが、彼女に任せた方が良さそうである。シュウはほっと胸を撫で下ろした。そして思っていたことを口に出す。


「いやぁ、シャーロットさん。凄いですね。やっぱり上流階級は違うなぁ。気後れしちゃいます」


 シャーロットはシュウの言葉に目を丸くした。


「いえ、私は恵まれた環境ではありませんでした。無価値な女でしたから。このようなお店に来るようになったのは歌手になってからですよ」


 今度はシュウが驚いた。


「ええ? てっきり金持ちの家柄かと! 佇まいからして俺とは違うし……。別の世界の人みたいな感じがします」


 シャーロットはおかしそうに笑った。


「あはは! 私は貧乏でしたから。シュウさん、気後れしないでください。本当の私を知られたら幻滅されちゃうかもしれませんね」


 卓上にはキャンドルと、花が置いてある。周囲を見渡す余裕が出てくると、思いのほか客数が多いことに気が付いた。それでも馬鹿騒ぎをしている人はいない。各々、優雅に食事をしているようだ。


 窓の外を見ると遠くに一際高いビルが見える。氷川駅の西口の方だ。シャーロットが口を開いた。


「あのビルが特殊能力者協会の本部ですね。ここから見ると奇麗です」


「まあ、派手なビルですよね。儲かっているのかなぁ」


 シュウの反応にシャーロットは笑う。


「シュウさんはギフターにならないのですか? お強いのに勿体ないですよ。色々優遇されるみたいですしね」


 シュウは協会(トクノー)に良い印象を抱いていない。大きな理由があるわけではないが、ストレンジャーの多くはギフターを嫌っている。


 過去には協会が原因で便利屋の案件を受けられなかったこともあるのだ。


「俺の師匠が協会と仲良くないんです。協会に所属すると仕事に支障が出そうですし。今のところは考えていませんが、リンのことを考えると悩みます」


「リンさんの?」


 シュウはシャーロットへ視線を戻した。


「あいつのことを考えると協会に登録して安定した生活を送った方が良いかもしれないです。それに訓練校にも通わせてやれる。リンは友達が少ないんで心配しているんですよ。俺が生きている間に結婚して幸せになって欲しいです」


 異人街の便利屋は危険が多い。死と隣り合わせの案件もある。


 シュウはある程度のことを覚悟している。自分に何かがあった時、ランにリンのことを頼んであった。


「……シュウさんはマナが美しいですね」


 シャーロットは目を細めて言った。


「そ、そうですか? 自分では分かりませんが……」


「金色のマナです。いつも澄んでいて濁ることはありません。……それに」


「それに? 何でしょう」


 シャーロットは少し時間を置いてこう答えた。


「希にですが……。マナが蛇とか龍のように視えることがありますよ。それ自体が意志を持っているような……。ごめんなさい。感覚的なものなので表現が難しいです」


 シュウにとってこれは初耳である。召喚術の一種だろうか。


「蛇とか龍ってことは、なんかこうニョロッとした細長いものですかね? 何か嫌だなぁ。変な妖怪が憑いているみたいですね」


「ふふ、シュウさんったら。もっと神聖なものだと思いますよ!」


 会話が盛り上がったところでギャルソンが戻ってきた。


「お待たせいたしました。ペリエでございます」


 テーブルにペリエが入ったワイングラスと焼きたてのパンが入ったカゴが置かれた。その横に自家製バターも添えてある。


 二人はグラスを持って、静かに乾杯した。


「シュウさん。この度はありがとうございました。私……、シュウさんと出逢えて良かったです」


 シャーロットは顔を赤らめている。


 夜景を背景に美少女と食事をする……。恋愛ドラマのようなシチュエーションが訪れるとは思ってもいなかった。


「私……歌手を引退して普通の人に戻りたいって言いましたけど……。あれ本気だったのです」


「え?」


 シャーロットの突然の告白にシュウは焦った。シャーロットはシュウの目を見詰めている。


「……私、当分は東銀にいます。シュウさん……今日が終わっても、また会ってくれますか?」


 シュウの心拍数は上がるばかりである。気の利いたセリフが出てこない。それを誤魔化すようにペリエをぐいっと飲み干した。


「勿論です! これで終わりなんかじゃないですよ。もっとお互いのことを知って仲良くなりたいと思っています」


 その言葉にシャーロットは本当に嬉しそうに微笑み、そして「この人なら……私の……」と小声で呟いた。


「何か言いましたか?」


 うまく聞き取れなかったシュウはシャーロットに聞き返す。シャーロットは慌てて答えた。


「い、いえ! 何でもありません……」


 二人は美しい夜景を眺めた。まるで夢のような時間である。現実感が遠のいていく。


 次々と高そうな料理が運ばれてくる。シュウは生まれて初めて見るような料理を心の底から楽しんだのである。

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