第3話

チヤは戸惑っていた。

ジンイへの謁見の後、食事や風呂などをひとしきり済ませ、夫婦の寝室だと自室の隣の部屋に案内された。

豪華な調度品に囲まれ、中央にはデン!と大きなベッドが一つ。そう、一つである。


『まあ、夫婦の寝室だもんな………』


どこか遠い目をしてチヤは納得した。



「どうした。石のように固まって」


風呂を済ませ寝室にやってきたウォンイが、ベッドの上でカチコチになって座っているチヤを見つけた。


「あ、ウォンイ、いや、なんでも……」


ベッドを見たりウォンイを見たりしながら、チヤは落ち着きなく答える。


「?疲れただろう?先に寝てて構わなかったんだぞ」


そう言いながらウォンイがチヤの横に座る。

ベッドが沈む感覚にチヤがビクッと反応してしまう。


「あ、いや、えっと……」

「本当にどうしたんだ?ベッドの寝心地が悪いか?シュリを呼んでシーツを変えさせるか?」


『寝心地以前に君と同じベッドなのが問題なんだよ!』


とは言葉にできず、「ううん。大丈夫…」とだけ答えてチヤは布団に入った。

隣にウォンイが横たわる。

ベッドは2人寝ても十分な広さがあるので体が触れることはなかったが、ウォンイが「おやすみ」と頭を撫でてきた。

そのまま穏やかに微笑みながら目を閉じる姿に、チヤは心臓が飛び出すかと思った。


『ダメだ。僕、このま心臓が破裂して死んじゃうんじゃないかな』


うるさすぎる心臓の音を聞きながら、チヤはそんなことを考えていた。




翌朝。

こんな状態で絶対に眠れないと思っていたチヤだったが、さすがに疲れが溜まっていたらしく心地よいまどろみの中で目を覚ました。


「起きたか」


目の前に昨夜と同じ微笑みを浮かべるウォンイの顔があった。


「ウォ!イ!あ!え⁉︎」

「どうした。変な顔をして。変な夢でも見たか?」


『起きたら君の顔が目の前にあったからだよ!』


心の叫びはややマイルドな表現になってチヤの口から飛び出た。


「僕が起きるの待ってたの⁉︎てか、寝顔見てたの⁉︎なんで!」

「いや。可愛いなと思って」


シレッと言うウォンイにチヤはわけがわからない。


『可愛いって何?僕のこと?え?ペットかなんかだと思ってるのかな?』


頭の中で勝手に愛玩の枠におさまっていくチヤを放っておいて、ウォンイは布団から出ていく。


「さて、今日は忙しくなるぞ。お前にもしっかり働いてもらうからな」


振り返ったウォンイの顔はニヤリと笑っていた。



「今度のご結婚、心からお祝い申し上げます」


チヤは妃仕様に仕立てられてウォンイの隣に座り、次々とお祝いの言葉を述べては帰る人達に笑顔を向けている。

人々の行列は朝早くから昼になるまで途切れることはなかった。


「う〜。顔の筋肉が悲鳴あげてる〜」

「お疲れ様です。昼食を用意していますので、着替えたらすぐお持ちしますね」


張り付いた笑顔をはがそうと、顔を揉んでいるチヤの横でシュリは相変わらずテキパキと働いている。


「妃の仕事ってこんなに忙しいの?」

「いえ。これで挨拶はあらかた終わりましたので。午後からは王妃様への挨拶だけで終わりますよ」


そっか〜と項垂れるチヤにそっとお茶が差し出される。


「ウォンイ様はしばらく忙しいでしょうから、困ったことがあれば私にご相談ください」


ありがとうとお茶を受け取りながら礼を言う。シュリがいてくれて良かったなぁとチヤはしみじみ思った。


昼食を済ませ王妃への挨拶のため身支度を済ませすと、扉をノックする音が聞こえた。


「チヤ様、少々お待ちください」


そう言って来客の応対にでたシュリから驚きの声があがる。


「王妃様⁉︎どうなされたのです!今からそちらへ向かう予定だったのですが」

「待ちきれなくて来てしまったのよ。午前中の挨拶三昧でお疲れだと思ったしね」


そんなやりとりが聞こえたと思ったら扉が開かれ、亜麻色の髪と緑の瞳を持った美しい女性が部屋に入ってきた。


「あなたがコクヒね!まあまあ、ジンイ様のおっしゃる通り可愛らしいお方」


女性はチヤを見つけると嬉しそうに駆け寄り、手を握った。


「私はリョクヒよ。妃同士、仲良くしてね」


周りがパッと明るくなるような笑顔がチヤに向けられる。


「あ、えと、チ……コクヒです。よろしくおねがいいたします」


驚きで棒読みになりながらも、チヤはなんとか声を出す。


「そんなに緊張しないで。ああ、でも疲れてるわよね。ごめんなさいね。私ったら浮かれてしまって」

「いえ、そんな………」

「今日はこれで帰るわね。会えて嬉しかったわ。明日は私の部屋でお茶会しましょうね」


そう言うとリョクヒはさっさと部屋を出て行ってしまった。

残されたチヤは「なんか、嵐みたいな人だったなぁ」と呟くと、どっと疲れが押し寄せてきた。



「はっはっは。リョクヒ様らしい」


夜。ウォンイが「ずっと放ったらかしにしていて申し訳なかった」と、今日あったことを聞くためにお茶を持って寝室にやってきた。

テーブルに向かい合って座り、昼間あったことを話す。


「王妃様っていうからもっと厳しい人なのかと思ってたよ」

「リョクヒ様は明るく親しみやすくて、臣下にも慕われている素晴らしい人だ。お前のことも心配して見にきてくれたのだろう」

「優しい人なんだね。………明日、お茶会に誘われたんだけど……」

「うん?どうした?」

「僕、大丈夫かな。お茶会の作法なんて全然わからない」


不安そのものの顔になるチヤにウォンイは大声で笑う。


「ただ一緒にお茶を楽しんで話をするだけだ。なにも心配することはない」


さて、あまり遅くなってもいけないなと、ウォンイに連れられベッドに向かう。

横に並んで寝るのはまだ心臓がドキドキするが、たくさん話をできたおかげか昨日よりは心地よさを感じられるようになっていた。

「おやすみ」と頭を撫でるウォンイに「おやすみ」と笑顔を返してチヤは眠りについた。




「でね。ジンイ様ったら『民の暮らしを知る者との婚姻は王族にとっても利益になろう。そんな考えも持てぬ者がどうして国を治められようか』って私との結婚を強引に押し進めちゃったのよ。かっこよかったわぁ」


翌日。お茶会のためにリョクヒの部屋を訪れたチヤは、ずっとジンイとの馴れ初めを聞かされていた。

どうやらリョクヒは城下町の商家の娘で、城へ納品に来た際にジンイにみそめられたらしい。


「ジンイ様は本当にリョクヒ様を愛しておられるのですね」

「そうねぇ。まあ側室を持たないでいてくれるのは嬉しいわね。でもジンイ様はお忙しいし、王子達の子育てもほとんど私は関われないから、ずっと話し相手が欲しかったのよ。だからウォンイ様が結婚されると聞いて大喜びしたのよ」


リョクヒはギュッとチヤの手を握ってくる。


「ウォンイ様がなかなか結婚されないのを心配してたから、お相手ができたことそのものも嬉しかったのよ。でも何より私は話し相手ができたのが嬉しくて。しかもこんな可愛らしい方なんて。部屋に突撃したと言ったらジンイ様に怒られてしまったわ」


ふふふと眉を八の字にしながら笑うリョクヒに、チヤはどこか寂しさを感じ取る。


「私こそ、不安ばかりだったお城での生活に、リョクヒ様のように優しくしてくださる方がいてくださり喜んでいます」

「まあ!コクヒったら。辛いことがあれば何でも言うのよ。私のことは姉のように思ってくれたら嬉しいわ」


「ありがとうございます」とチヤはゆるく微笑む。その笑顔に「もう、本当に可愛いわぁ」とリョクヒは頬をつついて笑った。



その日の午後は結婚式の衣装あわせがあった。

王弟とはいえウォンイは王位を継ぐ予定もなく、妃であるチヤも王妃になることはないだろうということで、式は身内だけの簡素なものになる予定だという。

それでも立ち振る舞いの練習など、式までの1ヶ月間は忙しくなると言われた。


「リョクヒ様は本当に素敵な人だね。ジンイ様が結婚したがったのもよくわかるよ」

「そうだな。兄上の結婚には最初こそ反対の声もあったが、今は誰もが認める立派な王妃だ」

「でも少し寂しそうだったな。話し相手が欲しかったって。僕、お役に立てるかな」

「先程リョクヒ様に会ったら、お前のことを可愛い可愛いと褒めていたぞ。チヤならきっとリョクヒ様の寂しさを埋めてあげられるだろう」


ウォンイにそう言われ、チヤは「僕、頑張る!」と張り切っている。

その姿を微笑ましく思いながらも、ウォンイはチヤのこの先を思って暗い気持ちになっていた。



式までの1ヶ月間は、聞かされた通り作法の練習などでとにかく忙しかった。

必死に学ぶ日々の中、時間を見つけてはリョクヒとお茶をしたり、夜はウォンイと話すことでチヤはなんとか乗り越えていく。

そして式まであと2日と迫った、ある午後のこと。


「やってしまった……」


休憩しながらお茶を飲んでいたら、溜まった疲れでうつらうつらしてしまいカップを割ってしまったのだ。


『あああ。高そうなのにもったいない。あとで謝らないと。でもとりあえずは片付けないと。誰かが怪我したら大変』


慌ててシュリを呼びに部屋を出る。たしか菜園に行くと言っていたはずだと向かう途中、通りかかった部屋から聞こえた話し声に思わず足を止めてしまう。


「しかし、ウォンイ様もやっとご結婚か」

「これで王子が産まれれば、我らの後ろ盾となっていただきジンイ様を玉座から引き摺り下ろすことも可能ですな」


高官らしき男達が話す内容にチヤは驚きを隠せない。


「だが、あのように細く小柄な妃で無事にお子が産まれるのか」

「なあに、お子ができなければ側室を迎えさせればいいだけのこと。口実はいくらでも作れる」


下卑た笑いをあげる男達の会話が耐えられず、チヤは部屋に戻ってしまう。

扉を閉じたところで泣き崩れてしまった。


『なんであんな酷いことを。ジンイ様は立派な国王なのに。ウォンイはあんなにもジンイ様を尊敬して支えているのに』


その時、ジンイに言われた言葉を思い出した。


『色んな声に晒されるって、傷つけられるってこういうことだったんだ』


そして、なぜ自分がウォンイの妻に選ばれたのかも。


『式をあげる前から側室の話をされるなんて。これで子ができなければどんな酷いことを言われるのか。僕は男だから子供ができないのは当たり前だと流せるけど、女の人だったらきっと耐えられない。………だから僕だったのか』


ウォンイの顔が脳裏に浮かぶ。

きっと彼は生まれた時からこのような声に晒され続けてきたのだろう。結婚も、子を持つことも諦め、それでも国のために尽くそうとしている。

そんな彼を支えたいと、守りたいと強く思った時に、チヤは自分の中にある気持ちに初めて気づいた。


『……ああ。僕、ウォンイのことが好きなんだ』


しかしその恋は気づいた瞬間終わりを迎える。


『この結婚はウォンイが子を持たないためのもの。ウォンイも僕が里を出るための手段だと考えている。気持ちを伝えてウォンイの重荷になりたくない』


涙を拭い、チヤは立ち上がる。

切ない気持ちを胸の奥に押し込めて、大切な人のために闘おうと決意した。




2日後。王族だけを集めた小さな結婚式が、城の奥で密やかに行われた。

伝統的な花嫁衣装に身を包み、チヤがウォンイの横に並ぶ。

見上げてくる瞳は切なさと憂いを含み、漂う色気にウォンイはドキッとした。


一方のチヤは溢れでそうな想いを必死に押し込め、立派に花嫁の役目を果たす。


そして、行き場のない愛を抱えた残酷な結婚式が終わった。

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