第2話

いつもの小屋で、ウォンイとチヤは並んで正座している。

その向かいには、後ろにシロを従えてクロがあぐらで座っている。

………怒りで恐ろしい形相になりながら。




衝撃の妻発言の数秒後。停止から回復したチヤは怒涛の勢いでウォンイに質問する。


「妻って!僕、男だよ!」

「そんなことは見ればわかる。言い方が悪かったな。妻のふりをしてくれということだ」

「いや、それでもわかんないよ!何でそんなことしないといけないのさ!」

「む。そこからか。俺はこの辺一帯を治めるクダリという国の王子なんだが」

「王子!なに!聞いてないよ!」

「言ってなかったか?」


興奮しまくりのチヤの背中をウォンイがさすり、いったん落ち着かせる。


「話を続けるが、王位は兄が継いでいてな。子供も王子が2人いる。兄は王に相応しい人物だし、王位も子供が継げばいいと俺は考えている。だから俺に子供ができるのは困るのだ。権力を欲しがる奴らが俺を担ごうとするかもしれないし、城に余計な不和を持ち込みたくない。だが兄が最近、いい加減お前も結婚しろとうるさくてな。このままでは適当に女をあてがわれて結婚させられそうなんだ」


流れるような説明にチヤはついて行くのが精一杯だ。

なんとか頭を整理してウォンイの言いたいことを理解する。


「つまり、そうなる前に僕と結婚してしまえばいいと言うこと?」

「そういうことだな。安心しろ。妻のふりと言っても手はださん。国の行事なんかに出てくれるだけでいい。衣食住は保証するぞ」


あっけらかんと言うウォンイにチヤは頭が痛くなってきた。


「何で僕なのさ」

「お前が里を出たいならちょうどいいかと思ってな」

「逃げたり、ニセの妻だってバラすかもしれないよ」

「そんなことしないだろ。お前は信頼できる」


本当に頭が痛くなってきた。

たった数回しか会ってない人間にそんな重要なこと頼んでいいのだろうか。一国の王子が。

チヤはそう思いつつも、裏表のない信頼に嬉しさも感じていた。


「本当に僕でいいの?」

「お前がいい」


プロポーズのような殺し文句に、いよいよチヤは心を決めた。


「わかったよ。妻のふりでも何でもするよ」




話は冒頭に戻る。

チヤから結婚したい相手がいると言われて、クロは天地がひっくり返るくらい驚いた。

可愛いチヤをどこぞの馬の骨になんぞやれるかと、ひとまず相手に会うことになってこの小屋に集合したのだ。

しかし、怒りに満ちたクロを見てウォンイが放った第一声が問題だった。


「これがチヤの言っていた人か。なるほど、恐ろしく美しい人だな」


ウォンイにしてみたら単純な感想だったのだが、チヤを奪う相手としてはなから気に入ってなかったクロの怒りは頂点に達した。

ドカッとあぐらをかいて2人の前に座り、睨みをきかせる。


「で、なんだってうちのチヤに手を出しやがったんだ、このヤロウ」


クロはその美しさに反して物凄く口が悪い。動作も粗野だ。しかも常人離れした美しさのせいで迫力が段違いになる。


「手は出してない。出す予定もない。チヤには妻のふりをしてもらいたいだけだ」

「あ?」


話の見えないウォンイにクロがキレそうになるのを、チヤが必死に止める。なんとかして事情を説明した。


「つまり子供を持ちたくないコイツのために、チヤが妻を演じるってことか?」


はあ〜っとクロがため息をつく。


「チヤ。ダメだ。とてもじゃないが認められない。お前が幸せになるとは思えない」

「でも、クロ……」

「なるほどな。チヤが里を出たがるはずだ」


クロの言葉にチヤが口ごもるのを、ウォンイが助け舟をだす。


「なんだと?」

「チヤは苦しんでるんだ。お前達に甘やかされ守られて。まるで羽をもがれた鳥だ。飛び立つ力があるのに地に縛り付けられてる」


ウォンイの言葉にクロの表情が変わる。

すると、それまで黙っていたシロが口を開いた。


「チヤは彼についていきたいのか?」

「うん。行きたい。里から出て、自分に何ができるのか試してみたい」


チヤの目には強い意志が込められている。

シロがクロの肩に手を乗せると、クロは仕方なさそうに頷いた。



「いいか。絶対に手を出すなよ。絶対だぞ。あとチヤを泣かせたら俺がお前を殺してやるからな!」


殺伐とした言葉を残して、クロはシロに引き摺られて帰って行った。

残されたチヤにウォンイが声をかける。


「お前があの人に憧れる理由がわかった」


ひたすら暴言を吐いてただけのクロを見て、どうしてそんなことを言えるのかチヤにはわからなかった。


「あの人は本当にお前を愛してるんだろう。本気で心配して、守ろうとして。なかなかできることじゃない」


だからお前を泣かさないようにしないとなと、ウォンイは穏やかに笑う。

チヤはなぜか涙が出そうになった。




保護者の許可も出たということで、チヤは正式にウォンイのもとへ行くことになった。

初めて里から出る人間ということでまずは長に話をしに行ったが、長は許可するどころか応援までしてくれた。糸や手脚のことは話してないと伝えると、「チヤの判断に任せます」と長は終始穏やかに話を聞いてくれた。


トアには「困ったらすぐ助けに行くから呼べよ」と言われ、センには「チヤは我慢し過ぎるところがあるから、無理なことは無理って言うんだよ」と諭された。

2人と離れるのは寂しかったが、自分で決めた道だ。チヤは笑顔で「ありがとう」と別れを告げた。

シロとクロはウォンイと待ち合わせてる小屋へ向かう途中まで見送ってくれた。

「いつでも帰ってきていいからな」とまだ納得してない感じで言うクロを宥めて、シロが「体に気をつけて」とチヤの頭を撫でる。

少しの不安を滲ませながら去って行くチヤの姿を、2人はいつまでも見送っていた。




小屋につくとウォンイが待っていた。

寂しそうなチヤの顔を見てウォンイが頬を撫でる。


「不安かもしれないが、お前のことは俺が守る。しばらくは無理かもしれないが、里帰りもできるようにする。だから信じてくれ」


チヤは大きく頷く。

ウォンイは満足した顔で、「よし!じゃあ行くか」と笑った。


そのままチヤは城の近くまで連れて行かれた。

城は赤を基調にした中華風で、外からは大きな門に連なる塀しか見えない。ウォンイの話では中にいくつかの建物があり、王族が暮らす建物や執務を行う建物など用途に分かれて使われているらしい。

ウォンイは城へは向かわず近くの木の影にチヤを連れて行く。

不思議な顔をしているチヤに「少し動かないでいてくれ」と言うと、ウォンイは顔を近づけてきた。


「………!」


突然のことにチヤがかたまっていると、近くでガサっという音がする。


「なんだ。覗き見とは品のない」


ウォンイが音の方に声をかけると兵士が慌てた様子で立っていた。


「も……申し訳ありません!ジンイ様からウォンイ様を探すように言われまして!」

「兄上が?そうか。ちょうど私も話したいことがある。このまま向かおう」


そう言うとウォンイはチヤの肩を抱いて歩き出した。チヤには何が何だかさっぱりで、ただウォンイに連れられるまま歩くしかなかった。



ウォンイは、兄である国王ジンイの玉座の前に来ていた。膝をつき頭を下げている。

ジンイはウォンイより10歳年上だが、髪の色も瞳の色も同じで、ウォンイをそのまま歳を取らせたかのようによく似ている。

兵士からチヤとのことを聞いたジンイはすこぶるご機嫌だ。


「頭をあげろ、ウォンイ。聞いたぞ。お前に良い仲の者がいると。どれだけ結婚を勧めても首を縦に振らんはずだ。言ってくれればいいものを」


上機嫌のジンイに対して、頭を上げたウォンイは神妙な顔をしている。


「申し訳ありません、陛下。紹介せねばと思っていたのですが、少々話しにくい事情がありまして」

「ほう。なんだ?言ってみよ」

「………彼女は子供が産めない体なのです」


ジンイが息を呑む。悲痛な顔でウォンイに語りかけた。


「それは……そうか。それはさぞや辛い思いをしただろう。安心しろ。私には王子が2人いる。お前に子ができなくとも問題ない。お前が望むなら彼女との結婚を認めるぞ」


ウォンイが見えないようにニヤリと笑う。


「陛下の優しさ、身に余る光栄です。すぐに彼女と話をし、2人で挨拶に参ります」

「今は兄上で構わんよ。私もお前に添い遂げる相手ができて嬉しい。しかも互いに想いあっている者だ。早く相手に会いたいものだ」

「そう言っていただけると、彼女も安心するでしょう」


「では」とその場を去りかけて、ウォンイはふと思い出したことを口に出す。


「そういえば、私に話とはなんだったのですか?」

「ああ。お前にちょうど良い結婚相手が見つかったので報告しようと思っていたのだが、もう必要ないな」


カラッと笑うジンイに、ウォンイは「危なかった」と心の中で呟いた。



その頃。チヤは城の1室で一人、途方に暮れていた。

城につくとウォンイは特に説明もないままチヤをこの部屋に放り込んで、王のところへ行ってしまった。

部屋の調度品はどれも豪華で、座っている椅子すら落ち着かない。どうしようとソワソワしていると、先ほどの木の下でのことを思い出した。


『あれは何だったんだ……ウォンイが顔を近づけてきて……キ……キスされるかと思っ』


わーと手を振り回して頭から先ほどの光景を追い出す。

ちょうど部屋に入ってきたウォンイがなんだ?という顔で話しかけてきた。


「どうした?城はおちつかないか?」

「あ、ウォンイ!いや、何でもない!お兄さんと話はできた?」


見られた恥ずかしさで顔を赤めながら、チヤは話を逸らす。


「ああ。お前のおかげで結婚の許可がでたぞ」


そこでチヤは初めて、兄と話をするためにチヤとの密会をわざと兵士に目撃させたのだと聞かされた。


「そういうことはちゃんと教えておいてよ!」

「すまんすまん。ちょうどよく兵士が来たので説明する時間がなくてな」


はっはっはと笑うウォンイをチヤがポカポカと叩く。

すると、部屋の扉がノックされた。


「お。来たか。入れ」

「失礼いたします」


入ってきたのはウォンイと同じくらいの歳の女性だった。

赤い髪を後で結い上げ、薄い水色の瞳にキリッとした目元は厳しさを感じさせる。


「チヤ。こいつはシュリ。お前の侍女をしてもらう」

「シュリです。よろしくお願いいたします」

「侍女⁉︎」


王弟の妃なので当然かもしれないが、先ほどまで一般人だったチヤに侍女など驚きしかない。


「安心しろ。シュリはお前の事情もお前が男であることも知っている。生活面は全てこいつが担当するから窮屈な思いをすることはないぞ」

「着替えなどは必要な範囲しか手伝いませんので。お望みなら全て手伝いますが」

「いや、いい!自分で着替る!」


青ざめながら首をふるチヤに、ウォンイはまた笑い声を上げる。


「チヤ様も苦労されますね。ウォンイ様のわがままに振り回されて」

「なんだ、シュリ。俺のわがままだけで話を進めたわけじゃないぞ。チヤの希望もきちんと聞いた」

「でもウォンイ様の望みありきでしょう。チヤ様が困ることがあれば、私はチヤ様の味方ですからね」


フンっと鼻を鳴らすシュリにウォンイは「お前は手厳しいな〜」と口を尖らせる。


「あの。二人はどういう関係なの?とてもただの従者には見えないんだけど?」

「ああ。私の乳母がシュリの母なのだ。お互い赤子の頃から知っている」

「ウォンイ様の子供の頃からの全てを見てきましたからね。ウォンイ様に無理を言われたら私に言ってください。弱みならいくらでも握ってますから」


頼もしい一言にチヤからやっと笑いが溢れる。その姿を見てシュリは嬉しそうに微笑んだ。



「陛下。お待たせして申し訳ありません。我が妻となる者を連れてきました」

「ああ。待ち侘びたぞ。さあ、早く顔を見せてくれ」


ウォンイとチヤは並んで玉座の前にいた。

チヤはシュリによって王弟の妻として相応しい姿に飾られ、うやうやしく下げていた頭をあげる。


「ほう。これは珍しい。絹の髪にルビーの瞳か。しかし、これほどに美しい娘を連れてくるとは、ウォンイは面食いだったのだな」


弟の結婚に浮かれ気味のジンイはとにかくチヤを褒める。

だが自分を美しいなどと思ったこともないチヤは、シュリの化粧の腕前はすごいなぁなどと見当違いな感心をしていた。


「チヤと申します。陛下にお目通りさせていただき光栄でごさいます」

「はっはっは。そう畏るな。我々は家族になるのだから」


チヤは付け焼き刃の敬語でなんとか挨拶をする。


「チヤは田舎出身ゆえ礼儀には疎うございます。陛下には温情をいただけたら幸いでございます」

「うん。構わんさ。初々しくて可愛らしいではないか。出身はどこなのだ?」

「西のサラハ地方の山奥でございます。たまたま街に出ていて、不埒な輩にからまれているところを助けた縁で知り合いました」

「そうか。では城での暮らしに慣れるのも時間がかかるだろう。しばらく公務は最小限にするから、ゆっくり慣れてくれたら良い」

「感謝いたします」


捏造した経歴をペラペラ話すウォンイに、チヤは呆れた目をむける。

だが、ジンイはその目に気づかず、チヤを大切に扱うウォンイの姿に満足そうにしていた。


「さて、そうと決まれば妃としての名前を考えねばな」

「それについては、もう考えてあります。コクヒが良いかと」

「コクヒ?ハクヒではなく?」

「はい」

「……まあ、お前が考えたならそれで良い。城の者にも周知しよう」


ウォンイの提案に少し不思議な顔をしながらも、ジンイは笑顔で頷く。だが、その顔が急に曇った。


「コクヒよ。王族との結婚となれば、様々な声に晒されるだろう。時には深く心を傷つけられることもあるかもしれん。だが、どうか耐えてほしい。我々は常にそなたの味方だ」

「……ありがとうございます」


ジンイの言葉の意味を、その時のチヤは深く理解することはできなかった。



「あ〜。疲れた〜」


チヤは初めに通された部屋に戻ってくる。ここがチヤの部屋になるそうだ。

ウォンイは用があるとどこかへ行ってしまったが、シュリがお疲れ様でしたと出迎えてくれた。


「国王との面会なんて、緊張するし、服も重いし苦しいし。偉い身分の人は大変なんだね」


時々クロが飾りたてられていたのを思い出す。あの姿で平気な顔で走り回ってたクロはやっぱり凄かったんだなと、チヤは改めて尊敬の念を抱いた。


「慣れれば楽になりますよ。着替えを置いておきますね。着替えたら声をかけてください」


普段着をおいてシュリは隣の部屋に移動する。テキパキと仕事をこなしていく姿にチヤは感心していた。



「そういえば、妃としての名前は何になったのですか?」


着替えを終えて寛ぐチヤに、お茶を用意しながらシュリが質問した。


「コクヒになったよ」

「コクヒ?ハクヒではなくですか?」

「……うん?」


ジンイと同じ反応をするシュリに、チヤは不思議な顔をする。


「陛下にも同じ質問されたんだけど、コクヒじゃダメなの?」

「駄目……ではないのですが。この国の古い言葉で白をハク、黒をコクというのです。チヤ様は髪も肌も真っ白ですから、ハクヒのほうがお似合いの気がするのですが」

「………コクは黒………」


流れるような黒髪を思い出す。

名前にわざと黒を入れたのは、チヤが寂しくないようになのか、憧れの人のように強くなれということなのか。

どちらにしろ、新しい名前を与えられ全く知らない生活をするチヤに、お前はチヤのままでいいのだと言われているようで心が温かくなる。


「ところで、チヤ様」

「……え?あ、何?どうしたの?」

「本来ならば名前が決まった時点で常にコクヒ様とお呼びすべきなのでしょうが、私とウォンイ様しかおられない時は、変わらずチヤ様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」


シュリの予想外の提案にチヤは驚きながらも頷く。


「うん。構わないけど、どうしたの?」

「そのほうがチヤ様には良いかと思いまして」


淡々と話すシュリの言葉から優しさを感じる。


「……ありがとう」


素直に感謝の気持ちを伝えるチヤを、シュリはとても好ましく感じた。

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