空きテナントの男

佐々井 サイジ

第1話

 二十四時間営業しているファストフードの店が立ち並ぶゾーンを過ぎると、すでに閉店した店が夜の藍色に染められていた。佐島は会社から帰るときはいつも国道を通っている。次にやってくるのは国道の脇に自動車販売店が立ち並ぶところだった。主要な国内企業の他に、高級車を販売するヨーロッパの企業の店もあり、佐島は毎日店内に鎮座する新車に目線を奪われていた。その自動車販売店の中に一店舗だけ、空きテナントになっていた。つい最近まで営業していたはずだが、数週間前にCEOの不祥事が発覚し、株価が大暴落したことがきっかけだろうか。

 佐島は車内でテレビをつけていた。とはいえ走行中は映像ではなく、無機質な地図だけが映っている。毎日この時間はゴールデン帯のバラエティー番組が終わり、どのチャンネルも夜のニュース番組が放送されている。バラエティーは視覚的に楽しめないこともあり、ニュースで良かったと思っている。

 信号が赤に変わり、ブレーキペダルを踏む足の力を強める。反動なく止まり、窓を見ると、空きテナントのカウンターに一人、スーツを着た男が座っていた。街灯と行き交う自動車のライトで空きテナント内は不規則に照らされては、すぐに暗くなることを繰り返していた。明るくなるごとにカウンターに座る男の姿が見える。

 佐島はもう一度テナントの外見を見た。やはり看板は外されている。ここが自動車販店だったことは確実だった。そもそも佐島も、国内ではニッチとは言われている企業ではあるが、自動車販売会社に勤務しており、勤務地とは異なるライバル店舗の場所もある程度把握していた。真っ暗な中であの男は何をしているのだろうか。もしかして泥棒? 

 馬鹿な、と自問自答をした。スーツを着た泥棒など効率が悪いに決まっている。第一空きテナントに泥棒が入っても、めぼしいものがあるわけがない。

 車内が青く光ると、信号が変わっていることに気づき、佐島はブレーキペダルを離し、かかとを軸にアクセルペダルに合わせた。再度テナントを一瞥すると、男はいなかった。何かと見間違えたのかもしれない。

 翌日もいつもと同じ時間に佐島は車で帰宅していた。今回は信号に引っかかることもなかったが、昨日のテナントを一瞥すると男がまたカウンターに座っていた。すぐに視線を外して前方に集中したが、男の顔は佐島の車を追うように動いていた気がした。

 エアコンが効きすぎているからか、車内が異様に寒くなり温度調節するが冷えが止まらない。佐島はアクセルを踏む力を増やし、制限スピードをオーバーしながら帰宅を急いだ。


 また翌日、佐島は例の場所の信号に引っかかり、舌打ちがこぼれた。横目で空きテナントを見るが視界に入らない。一度頬を膨らませながら大きな息を吐いてテナントを振り向くと、男がヤモリのようにテナントのガラス張りに張り付き、明らかに佐島を睨みつけていた。

「うわあ」

 佐島は青になったばかりの信号をすぐに発進し、ペダルを踏みつけてテナントから距離を取った。

 翌日は国道を避けて回り道しようと思ったが、上司に客の家まで代車で行き、修理の必要な車を運転して帰ってほしい、と言われた。客の家は不運にも国道を通らないといけないところであり、佐島は背筋が冷たくなりつつも上司の命令とあれば頷くことしかできない。

 どんどんテナントに近づくたび、佐島は手前で曲がって国道から逸れたい衝動に駆られてきた。当然、顧客の車を回収できず、クレームは避けられない。考えている真に再び例の場所で信号に引っかかった。今回は絶対に見ないと思っていたが、どうしても気になる。また息を吐いてひと息に振り向くと、男はおらず、壁にへばりついてもいなかった。佐島はいつの間にか鼓動がかなり大きくなっていることに気づいた。

 頬を両手で二回叩き、信号が変わったのを確認して発進した。

 やっぱり見間違いだったのだろうか――

 独り言がこぼれた。疑問が浮かび上がるが、カウンターの席に座っていた姿、壁にへばりついた異様な姿は今でもはっきりと思い出すことができる。幻覚などではなかった。幻覚を見るほど働きづめでもないし妙な薬物に手を染めてもいない。

 バクンと心臓が縮み、バックミラー越しに後部座席を見た。当然誰も乗っていない。それでも誰かを乗せている気がする。気味が悪い。だが、この車も顧客に渡せば故障車ではあるが乗り換えることができる。

 予定より十五分遅れての到着だったが、顧客は申し訳なさそうにドアから出てきた。

「すいません度々。気を付けてるんですけどね」

 すでに誰かにとがめられたような言い草をしながら佐島の乗ってきた代車を佐島越しにじろじろ見ている。きっと代車がどのようなレベルのものか確かめたいのだろう。

 顧客の北溝は三十代の男で、今年に入って三回目の事故を起こした。いずれも軽度の事故だが代車が必要になるレベルだった。二回目の事故は先週、修理が終わって車を届けた翌日のことである。この十年間、無事故だった北溝が急に事故を起こすようになったのはなぜかという話題が社内で出たときに店長が「たぶん最近結婚した奥さんが下手くそなんだろう」と結論付けた。新車を買ったときに隣にいた妻らしき女性は確かに操作を覚えることにも相当時間がかかっていた。

「あの、助手席の方も社員さんですよね」

 北溝は手のひらを台車に向けて言った。反射的に振り返ると、空きテナントの男が助手席に座り、茫然と前方を眺めていた。

「ああああ」

 佐島は脚の力が完全に抜け、コンクリートに尻をつくと心配そうに北溝がしゃがみこんだ。

「すみません……。取り乱して」

「あれ? いない。気のせいだったかな」

 北溝はしゃがみこんだまま頬に手を当てている。以前より少し太ったせいで頬の肉は皺を寄せていた。佐島は慎重に振り返ると助手席には誰も座っていなかった。ドアを開け、車内を隅々まで観察するも誰もいない。誰かがいた気配もない。

 佐島は北溝に代車の取り扱いについて手短に説明し、足早に事故車に乗ってアクセルを踏んだ。見えなくなるまで礼をしてくれる北溝に申し訳ないと思いつつ、佐島は振り返ることなく北溝宅を後にした。

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