第10話 赤髪の訪問者
ベントリー領に出入りする人間は多い。多くは商人や冒険者だが、時には吟遊詩人やら大道芸人やらもいて、そう言った者たちは奇抜な格好で人目を引こうとするのだが、領民はすっかり見慣れていて、関心を持つ事は少ない。しかしその日の午後に街へ入ってきた男の姿は異様で、周囲の注目を集めていた。乱れたままの赤い長髪、薄汚れた外套はあちこち破れ、異常なほどに痩せていて、右手には身長ほどの長い杖を持っている。一見すると浮浪者で、男を見かけた守備兵は慌てて保護し、詰所へ連れて行った。
「自分は王都にいる大司教の息子である。」
詰所で事情を聞くと男はそう答えた。何でも5年前から修行の旅に出て、一通りの修行を終えて王都に戻る途中だったが、ベントリーの近年の発展を聞き、土産話にしようとこの地にやって来たそうだ。俄かには信じられない話だったが、しかし旅行者に必須の通行許可証を持っていて、その発行元は王都の教会になっていた。守備兵は疑念を抱きつつも守備隊長を通じて領主へ報告し、男に対しては取り敢えず食事と休憩場所を提供した。
ジークが執務室で次兄と会話していたところに守備隊からの連絡があった。領に来た怪しい男が大司教の息子を名乗っていると。ジークと次兄は顔を見合わせた。話が本当なら無碍に扱う事は出来ない。教会とはなるべく友好的でありたいと考えている。急ぎ執事を呼んで男爵邸への受入れ準備を指示し、守備隊には邸宅へお連れする様にと指示した。
「自分はカインと申します。英雄にお会いできて光栄です。」
夕方近くなって漸く邸宅を訪れた男はジークと握手しながら開口一番にそう言った。英雄などと言われる心当たりがないジークは恐縮したが、一先ず執事にカインの荷物を任せて、彼を食堂へ案内した。食堂にはシンシアと偶々遊びに来ていた妹が待っていて、2人とも外向けの衣装で出迎えた。ジークは2人を紹介してから夕食会を始めた。食事中はカインがこれまで見聞した地方の様子を話し、それに興味を持った妹があれこれ質問していた。カインの食事マナーは完璧で、口調も穏やかで、見た目の事を除けば、貴族家の御曹司といった様子だった。偽物ではなさそうだと感じ、ジークは少し安心した。
食後にジークとカインは応接室でお茶を飲んでいた。部屋には他にシンシアもいて、彼女が残り僅かとなったカップにお茶を注いでくれた。カインはベントリー領の農村の風景、街並み、守備兵の対応などを笑いながら褒めていたが、シンシアが給仕を終えて着席すると、急に表情を変えた。
「ジーク殿は紋章についてご存知ですか?」
カインの真剣な眼差しを見て誤魔化す事は出来ないと感じたジークは頷いた。横に座っているシンシアの表情は強張っている。
「実はベントリー夫人の事を私は知っています。かつて夫人の御父様が紋章について相談した教会の司教こそが私の父でして、父から密かに聞かされていました。あぁ、教会の中で知っているのは少数ですから安心して下さい。王家へ報告しようとか、教会へ連れ去ろうなんて考えていません。今は大司教となった父が中心となって紋章に関するルールを変えようとしています。紋章を持つ者を教会に閉じ込めると、紋章を与えた神の意思に反するかも知れませんので。」
・・・少数であってもシンシアの紋章の事を知っているとなれば、どこかに漏れてしまっている可能性は否定できない。それに今思えば、シンシアの叔父が彼女を何処かへ売り渡そうとしていたのは、彼女が紋章を持っている事を知っている誰かから求められた為ではないのか。その誰かが教会関係者だった可能性もある。・・・
「カイン殿。かつてシンシアの乗った馬車が数名の黒い鎧兜を纏った騎士達に襲われた事があります。教会関係者が関与しているかは分かりませんが、騎士が出て来たと言う事はそれなりの組織が関与している筈です。紋章の事が漏れていると考えるべきでしょう。」
「それは不味い状況ですね。教会からの情報漏洩については戻ってから調査します。私の事を信頼して頂くしかないですが...」
「カイン殿の事まで疑っていてはどうしようもありません。義父が信頼しておなたの御父上に相談したのでしょうから、その御子息であるカイン殿の事も信頼する事にします。」
「それは良かった。あぁそうだ。代わりに私の秘密を1つお伝えしましょう。実は私も紋章を持っています。賢者の紋章と言います。この事でお2人の信頼を得られる訳ではないでしょうが...伝承では紋章を持つ者達は協力して困難に立ち向かったそうですから。」
そう言うとカインは自身の服をはだけて左胸を見せ、長い杖をかざし、紋章を浮き上がらせた。不思議な事に杖の先に大きな光球が現れ、部屋の中を照らした。この賢者の力を使いこなす為に5年の月日が掛かってしまったという事だった。
「カイン殿。自分も紋章を持っているかも知れません。」
カインは紋章について詳しい様だったので、ジークは盗賊団討伐の際の不思議な現象についてカインに話した。あの時はジークの左胸も光っていた。しかしカインは時間の流れを変えられる紋章については知らなかった。少し考えたのち、王都へ戻って調べてみるとカインは言ってくれた。
翌日、王都へと向かうカインを見送った。彼は調べ物が終わったら直ぐに戻る、戻ったらベントリー領に住むのでよろしくと言っていた。
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