名前のない贄娘〜養父に売られた私に愛を教えてくれたのは孤独なあやかしでした〜

星名 泉花

第1話「捨てられた女の子」


それはあまりに少女の孤独を浮き彫りにする出来事だった。


少女は村から少し離れた山の麓にある木造の小屋に暮らしていた。


両親は少女が生まれてすぐに亡くなり、両親と馴染みのあった男によって育てられた。


口は悪く、身だしなみもお世辞には良いとは言えない。


酒飲みでろくに働きもしない男であったが、血も繋がらない少女を男手一つで育ててくれたのだった。



「おじさん、ただいま戻りました。今日はいっぱい山菜がとれたんです……よ……」



両手で抱えた籠の中には山菜が入っており、それを持つ少女は今日の夕飯は山菜のおひたしでも作ろうかと考えながら小屋に戻る。


いつものようにぐうたらとしている養父に声をかけて中に入る……それが少女にとっての日常であった。


だが珍しく養父は上体を起こし、身だしなみを整えて来客をもてなしていた。


来客である男二人は少女を見るとすぐさま立ち上がり、少女の両腕を乱暴に掴む。


山菜の入った籠は落ち、地面に山菜が散らばった。



「な、なんですか? おじさん、この人たちは……」


「お前とは今日でお別れだ」


「え……何を言っているんですか? ねぇ、この人たちは誰?」


「これからはそちらさんがおめぇの面倒を見てくれるってよ。あー、やっとめんどくせぇ役目から解放されたぜ」


「ねぇ、だから何を言っているんですか!? 意味がわからないです!」


(なんで? 私にはここしかないのに。なんで……)


養父は少女を見てニタリと笑うと、懐から金銭の入った袋を取り出す。


重たい音を立てて床に置かれた袋からは金貨が数枚こぼれ落ちた。



「お前、バカなの? この状況見りゃわかんだろ。売られたんだよ、てめぇは!」


「……嘘。おじさんは私を売ったりなんかしない! おじさん! おじさっ……!」



両腕を掴んでいた二人の内、一人が思い切り少女の腹を殴りつける。


襲いかかった強い衝撃に視界がグラつき、少女の身体から力が抜けた。


手を伸ばして養父に助けを求めようとするも届かない。


(そっか。私ははじめからこのために……)



最後に見たのは冷たい眼差しだった。





***


目を覚ますとそこは少女の知る景色ではなかった。


しっかりと手入れの行き届いた畳からはイグサの香り、指を動かせばやさしく包み込むような感触がした。


厚みのある品質の良い布団で眠り込んでいた少女は身体を起こす。


(お腹……まだ痛い)


あたりを見回し、少し離れたところに置かれた行灯のあかりをぼんやりと眺める。


最後の記憶が夕暮れどきであったので、数刻ほど眠り込んでいたようだ。


現実が実感できないまま、行灯の揺れるさまを見ているうちに生きる力が弱まっていった。



「目が覚めたか」


襖が開かれ、一人の男が部屋の中に入ってくる。


濃紺の着流しを着て、腕を組む男の視線はあまりにも冷たく、目が合うだけで全身に鳥肌が立った。


蒼玉色の瞳に少女の姿が映り込むと、侮蔑の色をにじませる。


凛々しくも艶やかに美しい男は大股で少女の前まで歩み寄ると、無遠慮に少女の顎を掴んで顔を覗き込んだ。


「……はっ」


鼻で笑う声をあげると男は手を離し、苛立った様子で少女の肩を押す。


体勢を崩した少女は男に押し倒される形となり、蒼玉の瞳に見下ろされていた。


男の銀の髪が少女の頬をするりと撫でる。


獲物を狩る肉食獣のような鋭い目つきに少女は虚ろな視線を返していた。



「今回の贄はめずらしいものが来た」


「えっ?」


「どうしてやろうか。生きた贄ははじめてなんだ。煮て殺すか、引き裂いてしまおうか」


「ま、待ってください。一体何を言っているのですか?」


理解が追いつかない。


少女が理解しているのは養父に捨てられたという事実だけ。


贄と言われてすんなり状況把握が出来るほど頭の回転は早くない。


いま、何が起きているのか。


目の前の男は一体誰なのか。


頭の中で疑問がぐるぐる渦巻いたか、やがて糸が切れたかのように少女は静かに息を吐いてまた虚ろに戻った。


(簡単なこと。捨てられた。それ以外何でもないんだ)


そうして諦めに目を閉じた。


男にはそれが気に食わなかったようで、するりと少女の輪郭をなぞる。


かと思えば親指に力が入り、頬を圧迫するような痛みに少女は顔を歪ませた。



「お前は売られてここに来たのだったな。育ての親に贄として差し出された」


「そう……なんですね」


(わかってた。居場所なんてはじめからないと。私自身が証明してるもの)


少女を見下ろす男の目は冷たいだけだ。



そんなものを向けられればこれ以上、何も言いたくない。


何を言われても現実に心は割れるだけ。


元々自分の意見は求められたことがないのだから、全部忘れよう。


どんなに養父を気づかっても何の意味もなかったと思い知った。

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