金魚たちの黄金迷路

墨色

第1話

 季節は六月、時刻は夕暮れ。


 学校から急いで家に帰るとぼくの部屋のベッドで女の子が眠っていた。



「なんだこれ…」



 なんだこれとしか呟けないくらいにぼくは混乱していた。


 何か気配がするなと、廊下からそぉっと覗けば、西日の差し込むぼくの部屋に一人の女の子が見えた。


 その存在の輪郭を目で辿り脳が理解した瞬間、ビクッとしてドアノブを手放した。


 少し開いた隙間からもう一度覗くと、見間違いではなく、信じがたいことに、それは同じ高校の有名な女の子だった。


 篠崎純恋しのざき すみれさん。


 肩まで伸びた黒髪はまっすぐに艶やかに輝き、顔がモデル並みに小さい。大きな瞳は優しげで、長いまつげは可憐で、整った顔立ちと、メリハリのあるボディは佇んでるだけで男子の注目を集めてしまう女の子。


 もちろん一度歩けば、チー牛みたいなぼくやぼくの周りの男子はざわつきを止める。彼女は一瞬でぼくらを黙らすくらい意識を高くしちゃう系の、学校一可愛いと呼ばれる女子高生だった。


 美術部に所属するぼくとしても、一度でいいからアイドルなんかよりよっぽど可愛い彼女をモデルに直接描きたいと秘かに思っていた。



(その彼女がなんで…?)



 我が家があるのは古くからある住宅地だ。


 彼女の家がどこにあるかなんて知らないけど、中学も違うし、ご近所さんではないと思う。もし仮にそうならクラスにいるお調子者の浅野が騒ぎ散らかしてぼくを強く追求してるはずだ。


(さっきから動かないけど…死んでないよね…? それはそれでかなりおかしな事件だとは思うけど……)



「ん、んん…」


「ッ!」



 天崎さんが突然伸びをした。びっくりしたぼくはもう一度覗くのをやめて考えてみた。


 玄関の鍵は掛かっていた…と思う。気を取られていたから自信はないけど。


 玄関には靴もなかったと思う。そこからリビング、僕の部屋に至る廊下まで特に荒らされた様子もなかった。



(引っ越しの挨拶…?)



 両隣は空き家じゃないけど、誰か親族でもいるのだろうか。あるいは引っ越してきたんだろうか。


 ぼくみたいな目立たないモブなんかを気にするにも無理があるし、ぼくと彼女は学年は同じだけど、クラスは違うし、話したこともないし、あまりにも接点がない。


 嘘告とか襲わせる為に忍び込んだと言われたほうがまだ安心できるくらいだけど、彼女は学校では気さくな人柄で、男女問わず敵なんていないくらい社交的な子だし、陽気なのに楚々とした印象で、あまり犯罪めいたことを想像出来ない。



(本当になんで…)


「ん…ふぁ、ンン…」


「ッ!?」



 色や味が載っていそうな甘い微かな囁きが扉から聞こえてきた。


 それに釣られて、また覗いてみると彼女は亀みたいに丸まっていた。西日が髪を亜麻色に染めていて──何やらスカートをゴソゴソしていた。



(あ、ああ、あれって…)



 ぼくの緊張が少し解れたのか、西日の角度が少しマシになったのか、ぼくはさっきより彼女の姿をはっきりと捉えていた。


 いや、彼女が放つ何かいけない空気に誘われていた。


 過集中みたいに夢中になっていて、彼女以外が曖昧にピンボケていた。


 だって、捲れたスカートの中に手が伸びていて、その細く白く美しい指が、捕まえた昆虫の足みたいにシャカシャカ蠢いていたんだもの。



「ン…はっ、んん、ん…」


「はっ、はっ、はっ…」


 

 そしてぼくはその昆虫と同じみたいに捕まってしまっていた。


 話したこともないけど毎日目にする──ある意味で身近な女の子のいけない姿を見て、いつ気づかれるかもわからない扉一枚の向こうとこちらで、ぼくはかなり興奮していた。


 咎めたり声をかけるなんて思いもつかなくて、心臓が爆発しそうなくらい沸騰していた。


 多分ぼくの脳内はライブとかパレードとか行っていて、黒い服の白人がロックでロマンスな世紀末をシャウトしていて、金色の原っぱでケミカルをキメたゾンビが怪しく微笑んでいると思う。


 彼女と同じように手を添え動かせと背中を押してモッシュを促してくるような幻覚まで見えてくる。


 やめられないし止められない、酷く興奮した状態だった。


 だからぼくはまるで彼女の指の動きにシンクロするように、扉の向こうの舞台を観ながら夢中でギターを掻き鳴らした。


 ギターなんて弾いたことないけど、こっちは小学四年生からの歴で、お手のものだった。


 今日の放課後、授業が終わってからあんなに貯めていたぼくの今夜のオカズが、彼女によって全て霧散し塗り変わってしまった。



「「ぁくっ、ッッッッ…!!」」



 そうして、二人同時にその動きを最後に大きく震わせた。


(がっ…ぐぅっっ!? す、すごい…すごかった…! 頭の中、真っ白を通り越して金色になった…! こんなの初めてだ…!)


 膝がガクガクしたぼくは震えながら、懸命にゆっくりと跪いた。


 絵の具が尽きた時の乾いた筆のように、かき鳴らし過ぎて弦が弾けて飛んだギターのように、ぼくも彼女も全力で果てたのだ。


 ああ、木製の扉がぼくのジェッソで汚されている。いや、少しの白に混ぜたグロスメディウムみたいな艶と立体感が、キャンバスから落ちてやらないぞと言ってるみたいにその罪を主張していた。


 まだまだ興奮は冷めないけど、脱力した身体で「拭かなきゃ」とぼんやり思って身体を起こそうとした。


 その時、扉がガバリと開いた。


 ぼくは扉におでこをガインと打つけて尻餅をついた。



「いっ!? っつつ……」


「変態」


「え?」



 見下ろす彼女の言うように、確かに僕は紛うことなき変態だと思う。だって帰ってからすぐに制服を脱いでいたし、ボクサーパンツも脱いで左手で掻き鳴らし、それで扉を拭こうとしていた。


 つまりTシャツ一枚と靴下のみだった。


 そしてM字を彼女に披露していた。


 だからまるで衰えていないそれを見せつけてるみたいだもの。



「変態で良かった」



 そんな透き通るような呟きが聞こえた次の瞬間、パシャリとデジタルな音がした。


 スマホだ。カメラだ。


 そんな方法があったのかと遅れて気づいて、隠してあげることを忘れたぼくのギターはその恐怖にビクンと跳ねて、情け無い音をぴゅるるっと鳴らした。


 頭が何も考えられないくらい真っ白になり、足元から覗く彼女の真っ白な下着から目が離せなくて動けなかった。

 


「佐伯、傑くんだよね?」


「うっ!?」



 そう言って彼女はぼくの衰えない股間を踏みつけた。ぼくの名前を知っている…?



「今日から君、わたしの奴隷ね」



 そして学校で一度も見たことのない悪魔みたいな、でもとても魅力的な笑顔を見せて、ぼくの返事も聞かず、まるでその残りを余す所なく絞り出すかのようにして、その白い生足をゆっくりと沿わせてきた。


(なんで、こんな事になったんだっけ…)


 ぼくはその耐えがたい恥辱的な格好のまま、少しだけ冷静になった頭で、少し燻んだ白い逆三角を眺めながらぼんやりと今日のことを思い出した。

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