第20話 籠の中の熊、鶴、亀
「ここが正面玄関、だよ。明日から、ここで靴を、履き替えて、ね」
俺は、上履きを忘れてしまったのだと思い、ドールちゃん(仮)に視線を向けると、しっかり者に見えたドールちゃん(仮)も少し慌てた様子だったので、俺だけが忘れたわけじゃなくて最初から持ち物に含まれていなかったのだと思い、安心した。
そもそも、いろは姉さんは最初から上履きなんて持っていないだろうし。
今日は来客用のスリッパを履くよう杠さんに促されたので履き替える。
「って、あれ!? なんでいろは姉さん上履き持ってるの!?」
「学校といえば、上履きに始まり上履きに終わるものでしょ? 常識よ」
急にドヤ顔で常識人ぶっているが、独自の美学というか礼節……いや、こだわりのようなものを披露されて少し困惑した。
昨日、スーパーに行くと言ったタイミングで買ったのだろうか。真新しい上履きは汚れ一つない新品のようだ。
だけど、帰宅した時には手ぶらだったような。まぁ、どうでもいいや。
三人ともそれぞれ外履きから履き替え終わると、杠さん、いろは姉さん、俺とドールちゃん(仮)が二人で横並びという順番で歩き出した。
いろは姉さんは上履きが相当気に入っているのか足取りが蝶のように軽い。
普通に歩いているつもりなのだろうが、意図せずスキップや軽やかなステップを織り交ぜながら闊歩している。
そんな様子に気付いたドールちゃん(仮)がフフッと小さく笑った。
俺は、横目で西洋人形の微笑みを初めて目の当たりにしてドキッとした。
そんな俺からの視線を敏感に察知したのか、ドールちゃん(仮)の笑顔が一瞬で消え、距離を取りながら軽蔑の眼差しで俺を睨んでくる。
目は口程に物を言うとは、このことなのだろう。
俺は今日から喋ることを躊躇うだけではなく、視線を向けることすら躊躇わなくてはならないようだ。
いや、そんなの無理だろ。と思いつつ何事もなかったかのようにドールちゃん(仮)の視線に気付いていないフリをして歩き続けた。
そして、歩き始めて十メートルも進まないうちに最初の施設案内が始まった。
「まずは警備室。西側の学校と東側の介護施設、行き来するには、ここで申請が必要、だよ」
促されるまま、警備室と紹介された場所に視線を向けてみたが、暗くてよく見えない。
近付いてガラス張りの小窓の向こう側を覗き込んでみると、そこは四畳半ぐらいのスペースになっていて、ずらりと並んだ沢山のモニタが壁を覆っていた。
目が慣れてきた頃、真っ暗な部屋の中央にモニタの薄暗い光で照らされた警備員の男性らしき塊がることに気付き、顔のあたりへと視線を向けてみたらバッチリ目が合ってびっくりした。
「ウォォォッ!?」
熊だ。
熊がいた。
熊と目が合った。
安全なハイキングコースを散歩中、何の気なしに覗き込んだ穴に潜んでいた熊と目が合ったかのような緊張感と恐怖心が俺の体内を駆け巡った。
俺の勝手な想像に過ぎないが、警備員といえば大抵が名ばかりで、定年間近のおじいちゃんが用務員さんを務めつつ、ついでに見回っているというだけというパターンが多いような気がする。
しかし、目の前にいる警備員さんは全然違った。
暗さも相まって一段と大きく見える図体はまるで部屋を覆いつくすほどの巨体み見える。
無精髭で不健康そう、睡眠不足なのだろうか目元は虚ろなのに、それでも圧倒的な強さを秘めていることが本能的に分かる。
隈が酷い。熊だけに。なんて駄洒落を考えている場合じゃない。逃げなきゃ!!
ここはハイキングコースではなく学校、覗き込んだのは巣穴じゃなく警備室ということは理解しているはずなのに、本能が緊急避難警報を発しているせいでパニック状態になっている。
「細井さん、おはようございます」
「……っす」
俺のリアクションなどお構いなしに杠さんが警備員さんに挨拶をしている。
鈍い反応が返ってきたが、それはいつも通りのことらしく、杠さんは特に気に留めることもなく案内を続けた。
というか、あの図体で『細井さん』って。失礼だけど似合わなさすぎる。
だけど、屈強な肉体から感じられる威圧感は、これぞまさしく警備員だなと思えるような頼もしさが感じられてなんだかと安心した。
杠さんは見慣れた反応なのだろう、俺のリアクションを特にする様子はない。
いつもの表情で淡々と細井さんと言葉を交わしている。
いろは姉さんは俺のことも細井さんも眼中にないらしく、周囲を物珍しそうに眺めている。まるで舞踏会に招待された町娘。いや、お姫様のように美しいです。
ドールちゃん(仮)は、細井さんの風貌を目の当たりにして固まっている。
まるで等身大の西洋人形のようだ。着せ替え人形として色々試し―――げふん。
「次は東側、介護施設、ね」
細井さんの大きな手から小さな鍵を杠さんの小さな手が受け取る。
するとたちまち通常サイズの鍵になったように見えた。まるでトリックアートみたいだなと思いつつ、三者三葉の反応を見て落ち着きを取り戻していた俺は、みんなに続いて歩いて行く。
ふと、警備室の方を振り返ってみると、再び細井さんと目が合った。
先ほどまでの虚ろな瞳ではなく、ギョロっとした殺気を含んだ瞳で俺を真っすぐ捉えている。
さっきの失礼な態度に怒っているのだろうか。俺は逃げるように視線を戻した。
正面玄関から右折し、東側の介護施設へと歩いて行く。
応接室、校長室を通り過ぎ、曲がり角に到着すると、そこには木造建築には不釣り合いなほど重厚な金属製の扉があった。
杠さん以外の三人は異質な扉の存在に違和感を感じているが、杠さんは特に気にならないというか、当たり前の光景だと認識しているようで普通に鍵穴に鍵を差し込んでいる。
どうやら、立て付けが悪いのかシリンダーが錆びているのか分からないが、開錠に少しだけ苦戦している。コツがいるのだろうか、何度もカチャカチャしている。
ちょっと待っててねと言われたので、何気なく周囲を見渡すと天井付近にまた鳥の巣箱のようなものが設置されていた。
建物内なのに鳥の巣は変だなと思い、よく観察してみると正門前の物とは異なり、巣箱というよりも赤色の祭壇?みたいな形をしていて、紙垂のようなものが風に吹かれて揺れている。印も『火』のような文字が刻まれている。
何かしらの魔除けなのだろうが、そこはかとなく不穏な気配が漂っていて、正直とても薄気味悪かった。
杠さんにあれは何なのか質問してみようかと思ったが、ちょうどそのタイミングで鍵が開いたようなので質問するタイミングを逃してしまった。
重厚な鉄の扉は四方に枠があるタイプだったので躓かないように跨いで入る。
介護施設という割にはバリアフリーじゃないんだなと思ったが、車椅子で出入りする際には簡易的なスロープでも用意するのだろうなと勝手に解釈した。
四人で介護施設エリアに入ると、自然な流れで杠さんが鉄の扉を閉めた。
介護されている人が不用意に出て行ってしまわないようにするためなのだろう、そこらへんの管理は徹底しているんだなと感心した。
改めて進行方向に視線を向けると、想像よりも長い廊下が真っすぐ続いていた。
多分、百メートルぐらいあると思われる。
昔ながらの造りになっていて、東側に教室を改装した部屋が四つ並んでいて、それぞれの教室には教壇側に一カ所だけ出入り口がある。
俺の記憶では教室後方にも扉があったような気がするのだが、こういう形状の教室もあるのかもしれない。
そんなことを考えながら、みんなの後をついて歩いていると急に何か硬い物にぶつかったのだろう、左肩に痛みが走った。
「痛っっっ」
左肩をさすりながら何にぶつかったのか確認すると、そこには窓しかなかった。
いや、正確には西側の窓には、内側からはめられた鉄格子があり、自分は廊下側に飛び出ている鉄格子にぶつかってしまったようだ。
鉄格子の向こう側には中庭が見える。中庭の向こう側には東側の学校エリアの廊下が見えた。
普通、ガラスが割れるのを防止する目的であれば、野球ボールやサッカーボールが飛んできても大丈夫なように外側に鉄格子を設置するのが自然な流れなのでは?
「あんた鈍臭いわね。前を見て普通に歩くことすらできないわけ?」
「うるせぇなぁ。いろは姉さんの背中がデカくてよく前が見え……痛ッ」
「次言ったら……分かるよね?」
「はい。ごめんなさい」
恥ずかしさのあまり、つい余計な一言を言ってしまった。
そのせいでいろは姉さんから右肩にグーパンされてしまい、結果的に両肩をさすることになってしまった。
これじゃあまるで寒さに震える軟弱者もしくは自称霊感少年のかまってちゃんみたいだ。どちらにせよ格好悪い。
杠さんが俺の方を振り返ったが、ただニコニコしているだけで特に鉄格子に関する説明は無かった。
きっと杠さんの目には、フラフラとよそ見して歩く注意散漫な人に映ったに違いない。少し落ち込んだ。
とはいえ落ち込んでいても仕方ないので、気を取り直して通りすがりに各部屋の出入口の小窓からそれぞれ中の様子を覗いてみた。
一つ目の部屋には男性が五人、女性が二人、合計七人の施設利用者が中央のテーブルを囲んで団欒している。
テーブルの上には色とりどりの折り紙で折られた鶴や亀が並べられていて、とても賑やかな様子。
テレビにラジオ、冷蔵庫に湯沸かしポット。だいぶ充実している。
黒板には今日の予定と思わるタイムスケジュールが書かれていて、体操や手遊び、昼食やおやつという単語が並んでいる。
笑顔で溢れ、和気藹々とした雰囲気がとても楽しそうに見えた。
二つ目の部屋には男性が三人、女性が三人、合計六人が各々の時間を満喫しているように見える。
読書をする人、編み物をする人、将棋を打つ人など。
この部屋にはテレビやラジオは無いが、冷蔵庫と湯沸かしポットはあるようだ。
一つ目の部屋と違って和気藹々とした雰囲気は感じられないが、穏やかな時間が流れているように見える。
三つ目の部屋には男性が一人、女性が四人、職員と思われる男性が一人、合計六人がいるが、とても仲が悪そうに見える。
廊下にまで響くような声量で互いに罵声を浴びせ合い、罵り合っている。
何故だかこの部屋にはテレビや冷蔵庫などの備品のようなものは見当たらず、部屋にあるのはテーブルと椅子、折り紙だけ。
職員と思われる男性は特に仲裁をする様子もなく、手元の文庫本に視線を落としているだけで気に留める様子すらない。
この場を納めた方が良いのではないかと思い、杠さんに声をかけようと思ったが、既にいろは姉さんもドールちゃん(仮)も同じことを思っていたようで先に声をかけてくれていた。
杠さんは、よくあることなのと言いながら、中にいる職員に指示を出した。
すると、職員は面倒くさそうに立ち上がり仲裁に入った。
半信半疑ではあるが、ひとまずはこれで大丈夫だろうと思い最後の部屋の前へと向かう。
これまでの流れから推測するに最期の部屋は芳しくない部屋なのかもしれないと心構えをする。
どんな状況なのだろうと緊張の面持ちで到着したが、予想に反してそこはごく普通のお手洗いだった。
扉がなく、特にカーテンなどで仕切られていることもないオープンなお手洗い。介護施設というだけあってトイレだけでなく簡易的なシャワーと大きめのタオルも用意されていて、こまめに清掃もされているように見える。むしろ清潔で明るくて古さも感じられないので、とても快適に利用できそうに見える。
正直、とてもホッとした。
そのまま廊下の突きあたりまで到着すると、そこには二階へと続く階段があったが、重々しい金網の扉があり反対側から南京錠で閉じられていた。人間用というより、ライオンやゴリラといった猛獣類相手に設置するようなレベルの堅牢な造りだ。
ついさっきホッとしたばかりなのに、再び緊張感が三人の心を強く締め付けた。
違和感は疑念へと変わり、疑惑へと変わった。
そしてやがて一つの仮説に辿り着いた。
―――介護施設ではなく、隔離施設なのでは?
いろは姉さんもドールちゃん(仮)も同じことを考えているようで、それぞれが疑念に満ちた表情をしている。
明らかに介護施設という割には扉が堅牢すぎるし、廊下の窓の内側に鉄格子が設置されているというのも不自然だ。
そんな俺達の表情を見た杠さんが、クスクス笑っている。
その表情はまるで幼い少女がいたずらに成功した時のような無邪気な表情だ。
しかし、その無邪気さとは裏腹に目の前の光景は邪気を孕んでいるようにしか感じられず、俺は背筋がゾクっとして全身が強張った。
「ここはね、終末、なの」
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