第14話 自覚と覚悟
二階へと繋がる階段を腕組みしたまま器用に登り、いろは姉さんの部屋と思われる扉の前まで来て立ち止まった。
ニッコリした表情のまま目線で扉を開けるよう指示されたので恐る恐る扉を開けると、そこには和室でありながらも洋風にまとめられた大人の雰囲気のシンプルな内装が広がっていた。
化粧品の香りなのか、女性特有の香りなのか分からないが、透き通った甘い香りが俺の鼻腔を刺激する。
扉を開けたまま立ち止まっていると、急に腰のあたりに衝撃が走りそのまま凄い勢いで前方に吹き飛ばされた。
あまりに急な事態で両手を地面に着くことすらできず、俺はヘッドスライディングのような体勢で地面へと滑り込んだ。
畳の上に敷かれていた毛足の長いミントグリーン色のラグマットのお陰で俺は擦り傷一つ負うことなく済んだが、ラグマットが勢いよく引っ張られたせいで上に置かれていた小物類が次々と吹っ飛んだ。
その程度の被害で収まるだけなら良かった(?)のだが、ラグマットの上にベッドフレームの足が乗っていたせいでベッドもかなりズレてしまい、シンプルにまとまっていたはずの部屋が一瞬にして
一体、今日は頭のフル回転と思考停止を繰り返せば落ち着くのだろうか。
ふと、母さんの安全運転が恋しくなった。
今の俺は急発進、急停止、急ハンドルばかり繰り返している。これでは免停どころか免許取得すら絶望的だ。
「あいたたた……急に、何ですか?」
「はァ? あんたこそどういうつもりなわけ?」
具体的に何を指している言葉なのか分からず、返す言葉に詰まっているといろは姉さんが壁に背を預けて腕を組みながら、俺のことを害虫を見るかのような冷たい視線で睨みつけてくる。
「あんたはさ、事情を知らないにしても自分が何かしらの特殊な事情を抱えているっていう自覚はあるんだよね?」
「そりゃあ……ありますけど?」
今までの人生、嫌というほど思い知らされてきた。
数えきれないほどの引越し、それによる不登校状態と人間関係を構築する機会の損失。そして今回、問答無用で入学許可が降りないという絶対的証明。
細かい出来事を挙げ出したらキリがないほど、嫌というほど思い知らされてきた。
今さら、それが一体どうしたというのだろうか?
「これまで耐えてきたんだから、せめて進学ぐらいは認めてほしいって思ったわけだ? だけどその願いは許されなかった。だからあんたはこの家で生きるという選択をした。だよね?」
「その通りです」
「広間での話の内容、全然知らないから断言はできないけどさ、それにしたってあまりにも身勝手過ぎだよね」
「まぁ、そうですよね。椿さんはあまりにも身勝手過ぎる。あのままじゃ俺、この年にしてご隠居生活になるところでしたもん。これで万事解決!いろは姉さん、俺のために力を貸してくれて本当にありがとうございます!」
「はァ?? 何言ってんの? マジで無理だから。あんたまさかそれ、本気で言ってるわけ?」
「えっ?」
「だ!か!ら! あまりにも身勝手過ぎだよねって言ってんの!!!」
「えっ……はい」
「これだからクソ陰キャの童×野郎は嫌いなんだよ!! 今すぐかえって母ちゃんのおっ××でも吸ってろ!!」
「―――ッ!?!?」
ガツン、と頭を殴られたかのような感覚。
身勝手過ぎなのは椿さんじゃなくて俺の方だった。
もし、俺が隠居生活を選択していたら、人前に出ることを極端に嫌がる母さんは間違いなく路頭に迷うところだった。
進学の選択をしたところで、その後の母さんの行方がどうなるのか聞いていない。
俺がこの家に居なくても母さんがこの家で暮らす確証を得ていない。
話し合いが始まる前、優先順位を決めたはずだろ?
一、桜子さんとのこと
二、椿さんとの関係性
三、生みの親は誰なのか
四、転居を繰り返す理由
五、星ノ山高校への入学許可
いざ、結果を見てみたら真逆になっているじゃないか。
俺は一体、何を浮かれているのだろうか。
自分の希望が叶いそうな状況ばかりに目を向けていた。
そして、いつの間にか母さんのことなど頭からすっぽり抜け落ちていた。
「はっきり言っておくけど、私がちょっかい出したのはあんたのためじゃなく、桜子さんのためだからね? 桜子さんはずっとあんたの事情に振り回されて生きてきた。それなのに、いざ自分が窮地に陥ったら桜子さんのこと考えもせず自分のことだけ考えて決断しようとした。今だってそう、進学の可能性が出た途端、万事解決とか言って桜子さんのことはほったらかし。用済みになった途端、ポイ捨てするだなんて……おかあさん、不幸過ぎるでしょ」
いろは姉さんの言葉は、語尾に近づくにつれ、次第に小さく、か細くなっていき最後には涙交じりの震えた声になっていた。
いろは姉さんの言うことは何も間違っていない。俺は血が出るほど唇をキツく噛み締めて自罰的行動を取ることしかできなかった。
―――問:母さんが路頭に迷うことになっても進学を希望するか?
―――答:それは絶対にあり得ない
「やっと理解できました。自分の不幸にかまけて周囲をもっと不幸にしようとしてました。進学できそうになって浮かれてて母さんのことすっかり忘れてました。いろは姉さん、俺を一発ぶん殴ってください」
「はぁ? きんもぉ」
「いやそれ、確かにメッチャ痛いですけどできれば精神的なヤツじゃなくて、身体的な痛みでお願いできませんかね?」
「いや、だからキモすぎるからやめて」
「え、だからほら、さっき俺のこと蹴飛ばした時みたいなやつお願いしますよ。っていうかいろは姉さん、ちゃんと人の話聞いてます?」
「いや普通に聞いてるから。だからそのキモい呼び方すんのやめろって」
「あ、そっちの話ッスね!じゃあ……いろは、ちゃん?」
「お前、マジでぶっ×すよ?」
「えっ、いやそれだけはマジで勘弁……いや、お願いします(?)」
「もう無理マジ無理お前キモ過ぎ近寄るなドМとかドン引き過ぎて鳥肌ヤバい」
「そんなつもりじゃ……それに俺、どちらかと言えばSっ気が―――」
「―――ッ!!!!」
その後、俺は彼女に対して色々な呼び方を提案し続けた。
いろ姉、ろはす、いろりん、囲炉裏ちゃん……提案するたび本気で殴られてしまった。
なんだか楽しくなってしまったので最終的にダメ元でロリちゃんと言ったらまさかの鼻先めがけてグーパンチが飛んできた。
結局、回り回って『いろは姉さん』で納得してもらい決着がついた。
もし、母さんとの関係が単なる同級生とか、同い年の幼馴染とかだったらこんな感じで笑い合えたのかな。
いろは姉さんの向こう側にありもしない若き日の母さんの姿を映し出し、俺は気付かれない程度に小さく微笑んだ。
「さぁて。それでは母さんを救出しに行きましょうか」
「いやいや、正義のヒーロー感だしてるけど、そもそもあんたが原因だからね? それにヒロインを見殺しにしたのもあんた」
「分かってますって。ていうか、さっきまで悪の親玉の前で俺のこと永遠くんって呼んでましたよね? その設定そのまま継続希望なんですけど」
「……名前呼びは絶対に無理。ってか悪の親玉って呼んでること椿さんに言いつけるから」
「それだけはマジで勘弁して下さいよ~、椿さんからのシゴキはガチで凹みしそうなんで」
俺が名前呼びを希望した時、一瞬だけ真顔になったというか哀しそうな表情をした気がした。
すぐに別の話題に切り替えられてしまったので、それ以上は追及できそうになかったけど、あれは一体何だったのだろうか。
そもそも、いろは姉さんと俺の関係性ってどうなっているんだ?
『おかあさん、不幸過ぎるでしょ』って、あれはどういう意味―――
「さぁ、悪の親玉が回復する前にさっさと決着つけに行くよ!ほら、早く立ち上がって!」
そのまま手を引かれ、俺といろは姉さんは部屋を出た。
最初に縁側で見かけた時はとても不愛想でムカつく人だと思った。
広間に助けに来てくれた時はとても小悪魔みたいな人だと思った。
背中を蹴られて説教された時は母親みたいな人だと思った。
お互いの呼び方を話し合っている時は女友達みたいな人だと思った。
広間でのひと悶着から部屋に連れてこられるまでの間、色々と押し付けられて正直なところ思春期男子特有の過剰反応をしてしまったけど、部屋に入っても緊張するどころか落ち着くと感じるのは何故だろう。
こうして手を引かれても不思議とドキドキしないのは何故だろう。
二つ年上のお姉さん。母さんを一回り若くしたみたいな見た目の人。
不愛想に見えて実は表情豊かな人。
冷酷な雰囲気を纏っているけど実は内側に情熱を秘めた優しい人。
もし、こんな関係性じゃなくて普通に学校の先輩と後輩の関係性だったとしたら、俺は多分この人に惚れていたと思う。
あの人のこと、今すごく気になっているのは確かなんだけど、きっと本来自分はいろは姉さんみたいな野良猫のような人の方がタイプなんだと思う。
あの人も野良猫みたいな人だけど、いろは姉さんと違って人馴れしているタイプの野良猫というか、ちゃっかり色んな家を順番に回って餌を貰っているタイプの野良猫というか、野良猫っぽいけどなぜが毛並みが整っていて違和感があるというか……
そんなことより、今は母さんの今後についてだ。
足元を固めないことには進学や色恋だの言っていられない。
今のところまだ何も確定していない状況だし疑問ばかりだけど、結局は自分の力で一つ一つ手探りで解き明かすしかないんだ。
「今のうちに必殺技の掛け声決めておきましょ! トワイロビーーーム!!!とカミヤカッターーー!!!どっちがいいです?個人的には後者の方がカッターと勝ったをかけているのでそっちの方が良いかと」
「……あのね? 今、そんなバカなこと言ってる場合じゃないことぐらい分かるわよね? 無策じゃどうにもならないこと分かるわよね? いいから黙って作戦を考えなさい」
「……はい」
先ほどまでのノリはどこにいってしまったのだろうか。
じゃれてくれたと思ったら次の瞬間には敵意を向けてくる。
これだから野良猫というものは……可愛い。
いろは姉さんが椿さんを呼びに行くから先に広間で待っているよう言われたので、先ほどまでと同じ場所に座って待機する。
広間には最初訪れた時と同じ張りつめた空気で充満していた。誰も居ないし水溜まりもないし色のついた空気もない。ここにあるのは、凪。
気持ちを切り替えるために一度大きく深呼吸する。ほどなくして二つの足音が近づいてくる。
一つは摺り足のようなサッサッサッという静かな足音。
もう一つはトットットッという軽い小さな足音。
「それで、話って何かしら? 入学許可が降りたってわけでもなさそうだけど」
大丈夫、ある程度の耐性がついている。そこまで難航することもないと思う。
椿さんが正面に座った。いろは姉さんが右斜め後ろ、母さんが座っていた位置に座った。闘うのは俺自身ってことだ。
俺の、人生で最も長い一日はまだ終わらない。ここに居るのは三人だけ。
第三ラウンドが始まる。
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