第6話 告白

 ―――2025年3月28日(金)


 昨日はほとんど眠れなかった。いや、どうやったって眠れるわけがなかった。

 彼女の背中を見送った後、その場で急いで開封した封筒の中には『公立 星ノ山高校 入学申込書』と書かれた上質な紙が数枚と、カラー印刷された『ようこそ 星ノ山高校へ』と書かれた学校案内のパンフレットが入っていた。


 掴み取ることが出来るわけないと思っていた二つの願い。それが思いもよらぬ形で同時に叶ってしまったのだから。

 夢の世界が急に現実となり、現実世界が急に夢の世界へと逆転してしまった。


 そうか。だから彼女は俺の名前を確認させてと言い、更には教えていなかったはずの下の名前まで把握していたのだと気付いたのは、母さんの運転する車で目を瞑って五分ほど経過してからだった。


 昨日は気持ちの整理をつけようと試みたが、到底無理な話だった。

なので、まずは動揺している自分をどうにか落ち着けようと店の隅から隅までブラシ掛けをしたが全く収まらなかったので、自分の部屋とリビングの雑巾がけをした。

 それでも落ち着いて座っていることすら出来なかったので、収納の中を整理して洋服のアイロンがけまでしたところで朝を迎えてしまった。

 なので、情けないことに俺は未だ入学案内の詳細を読むどころか、パンフレットをめくることすら出来ていない。


 母さんにしてみれば非常に迷惑だったに違いない。だけど、母さんはそんな俺を見ても一言も事情を聞かずそっと見守り、ドタバタとうるさい中でも文句を言うことなく淡々と家事をこなしてさっさと眠ってしまった。


 そして現在、母さんはいつも通り早朝に目を覚まし、今もこうしていつも通り仕入れに向かうべく安全運転で市場へと向かっている。

 昨日から今日にかけて迷惑をかけてしまったことへの謝罪、変にからかったりせずに見守ってくれたことへの感謝、人生の岐路に立たされ動揺していることに関する相談。これらの内容を話すには市場に到着するまでの約一時間は絶好の機会だと思う。

 話す内容、順序立て、現在の状況。これらをそこそこ的確に判断できている時点で俺はそれなりに冷静になれているのだろうと自己判断したので、善は急げとばかりに目と口を開くことにした。

 まぁ、この話が母さんにとって『善』と言えるかどうかまでは考えが及ばなかったが。


 「母さん、昨日はごめん」


 「昨日の売上げ、たったの五千円だもんね~。 諸経費を差っ引いたら小銭しか残らないんじゃないかしら」


 「あ、いや、それもそうなんだけど。 そうじゃなくって、その……」


 「永遠ももうすぐ十六歳。 あんたの人生なんだし、あんたの好きにすればいいんじゃない?」


 「えっ? 俺、まだ何も言ってないんだけど」


 「どうせ、あの女と上手くいったとかそんな話でしょ? だけど、これだけは約束して。 絶対にしなくちゃ、だめよ? 絶対に、必ず守って」


 母親の口から想定外の単語が飛び出したので、驚きのあまり思わず飛び上がってしまった。

 体感的に十五センチぐらい飛び上がったと思う。実際はシートベルトをしているので、多少車内が揺れる程度だったとは思うが。


 「ちょっ……! 運転中に急に暴れないで!事故るでしょうが! 」


 冷静になりかけていた頭の中が再びパニック状態に陥ってしまった。

本来であればあの人との関係性を否定し、本題は進学希望についてなのだと訂正しなくてはならないのだが、想定外の単語の方に意識が奪われたせいで思考回路が母さんに関する方へとシフトしてしまった。


 ―――神宮桜子さくらこ。推定年齢、三十二歳。俺の母親。


 現在の法律では結婚できる年齢は十八歳と定められているようだが、つい数年前までは十六歳だった。

 自分はもうすぐ十六歳。法を順守しているという前提で仮定すると、最短の十六歳で結婚、出産した場合、母さんの年齢は三十二歳ということになる。

 見た目に関しては、二十代半ばぐらいに見えるため、俺と一緒に歩いているとよく姉弟に間違われるし、少しだけ年の離れたカップルだと勘違いされることすらある。


 決して若作りしているわけではなく、透き通ったきめ細やかな肌に薄化粧、ロングストレートの綺麗な黒髪に飾り気がなく実用的なカチューシャ、地味な色合いの露出の少ない服装。凛とした立ち振る舞いで一つ一つの所作が美しい。

 それらを一言で表現するならば、まさしく『大和撫子』という言葉が相応しい。


 作る料理は煮物や焼き魚、漬物といった和食がほとんどで、米の研ぎ汁を掃除で活用したり、電子レンジは何だか怖いと言って買わないあたりはどうにもババ臭いと感じてしまうのは、俺の照れ隠しなので笑って聞き流してほしい。


 必要最低限しか外出せず、人前に顔を機会は滅多にない。どこかノスタルジックな雰囲気を漂わせ、年齢非公表も相まってとてもミステリアスな人。

 そんな母さんは、夫婦生活をまともに送ることなく死別してしまった。


 ―――神宮永寿えいじゅ。享年十七歳。俺の父親。


 俺が生まれる前に何かの病気で亡くなったらしい。

母さんと同郷で地主の長男坊。兄弟はおらず、やや病弱なこともありとても大切に育てられていたらしい。

 これらの話は俺が幼い頃、二人の故郷へ里帰りした際に親戚の人たちが話しているのを退屈しのぎに耳を傾けていた時の情報なので間違っているかもしれないし、気のせいだったのかもしれない不確かな情報だ。


 そんな母さんと父とのとても短い夫婦生活。母さんなりに自分の人生を振り返った上での俺に対する助言なのだろう。

 もっとずっと一緒に居たかった、添い遂げたかったという心残り。そして、人生には抗いようのない出来事が訪れることもあるから悩んでいる暇があるなら迷わず突き進んで一分一秒でも長く幸福な時間を過ごしなさいというアドバイス。


 母さんの『好きにすればいいんじゃない』という一言は、これだけの背景があるとても重くて重要な言葉なのだ。俺は、その言葉を深く心に刻みつける。

 こんなにも俺のことを想い、育て、尊重してくれる母さん。産まれてから今までのことが走馬灯のように脳内を駆け巡った。


 「母さん、今まで本当にありがとう」


 「え、何? あんた嫁にでも行くの? これでやっと私も自由の身なのね!」


 「いやいや、そうなじゃいけど、そうと言えば、そうなのかも」


 「えぇっ!? ちょっとあんた、あの女にそこまで本気だったの? 帰ったら家族会議、ね」


 星ノ山高校は三食付きの寮生活。成果買取り制度を活かせれば学費も実質無料。そういう意味では母さんは自由の身になれるとも言える。

 ここ数週間ずっとからかわれ続けてきたので、仕返しとばかりに帰宅するまでの間ぐらいそのまま勘違いさせておいてもいいかなと思い、あえて曖昧な返事をして濁しておいた。


 今日の仕入れは在庫がゼロだったことも重なりいつもより多く仕入るのは良いだが、さすがの母さんも内心かなり動揺していたようで注文数を一桁多く記入してしまったり、お見舞いに不向きな鉢植えの花を大量に仕入れようとしたり、他人の車に自分の仕入れた商品を積み込もうとするなど、目も当てられないほど残念な様子だった。


 どうにか仕入れを終え、何度か道を間違えながらも無事に帰宅した頃にはもう開店時間間近になっていた。

 俺は一睡もできていないままだったが、運転と動揺で疲れているであろう母さんにはゆっくり休んでもらうことにして、急いで店を開け、手早く在庫を補充しつつ並行して花束作りを始めた。


 昼休憩もままならないまま店を切り盛りし、客足が落ち着き始めて一息付けた頃にはもう既に空が赤く染まり始めた頃だった。

 店の奥から母さんが顔を出し、今日はもう店じまいにしようと言ったので、お言葉に甘えシャッターを下ろして後片付けを始めた。


 夕飯には少し早い十九時前、片付けを終えそのまま食卓に着く。お昼ご飯を食べ損ねていたこともあり、むしろこの時間の夕飯であることがありがたかった。

 今日の夕飯は、ホッケと筑前煮。玄米ご飯となめこのお味噌汁にレタスサラダ。母さんが調理器具を洗い終えたところで一緒に食卓に着き、いただきますを言ってから食べ始めた。

 随分と頭も身体も使っていたので、普段よりも勢いよくご飯をかき込んで食べた。


 今日は普段と違ってBGMがてらつけているテレビが鳴りを潜めている。

映し出されているのは、俺と母さんの食事姿だけだ。

 それとなく、話が始まるのかと思って構えていたが、母さんは普段と変わらない様子でホッケの小骨を丁寧に取り、淡々と食事を続けているだけだった。

 これは、俺の方から話を始めろということなのだろうか。逡巡しつつも意を決して口を開いてみた。


 「今日、車の中で話したことなんだけど、さ。 あれは母さんの勘違いで―――」


 「永遠、今は食事中よ。 話は後にしなさい」


 「……」


 からかいが過ぎたのだろうか。小さな子供を嗜めるような口調でぴしゃりと言われ、俺はそれ以上何も言えなかった。

 お互い無言で夕飯を食べ終え、食器を洗い、俺は先に入浴を済ませた。

 家族会議の準備もとい心構えをして再び食卓に着き、入学申込書と学校案内のパンフレットが入った白い大きな封筒を食卓に置いたのが二十一時。母さんが入浴を終え、髪を乾かす音が止んでから既に三十分以上。かれこれ一時間近く待っている。

 もしや、そのまま寝たのではないかと不安と安堵が交錯する。


 現在の時刻は二十二時を二分ほど過ぎたところ。昨夜から一睡もしていないので急に眠気が襲ってきた。

 日を改めて今日は寝ることにしようかと考えていると、母さんの部屋の扉が開き、そのまま俺の目の前の席、母さんの指定席に座った。


 「で、詳しい話を聞かせてもらおうかしら」


 急に回転の鈍くなっていた頭をどうにか再び稼働させ封筒の中身広げつつ、半ば諦めかけていた星ノ山高校の入学許可が下りたこと、あの人は結婚前提の恋人なんかではなく俺が一方的に好意を寄せていただけの未だ名前すらも知らない相手であること、その相手が実は星ノ山高校の副校長先生だったことを簡潔に説明した。


 母さんは俺の話を黙って聞き終えた後、しばらく黙り込んでしまった。

それが否定を意味する沈黙なのか、状況整理を意味する沈黙なのか、俺には判断がつかなかった。

 母さんが何か言葉を口にするまで黙って待ち続けるしかない。それから更に五分ほどが経過した頃、母さんは俺に告げたのはたったの一言だけだった。


 「明日、里帰りします」

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