第2話

 青い空にぶわっと伸びる、清白な雲。


 例年よりも涼しいらしい7月の太陽は、溌剌とアスファルトを照らしていた。空を求めて鳴く蝉の声も、初めは風に攫われるくらいの可愛らしさだったくせに、今では朝から元気に大合唱だ。

 身を削るような猛勉強の末、晴れて大学生となったのは春のこと。

 ない頭を絞りに絞った結果、第一志望には案の定落ちた。なので、今は滑り止めで受かった私大に通っている。それなりに勉強も頑張っていただけに、初めの頃はかなり落ち込んだ。

 特に私大は金がかかるから。でも、透貴は俺が大学に入れたことを喜んでくれた。

 そんな大学生活も、もうすぐで半年が経つ。

 高校とは違う長時間の授業にも慣れてきたし、ブレブレだった体調面も随分と改善されたので、休日は友達と街に繰り出して遊んだりと、いい友人たちにも恵まれた。

 悩み事は一つだけあるが、それ以外は些細なものだ。

 伸び悩んでいた背丈は高校3年の前半辺りからにょきにょき伸びて、現在175cm。痩身ではあるが、骨格も少年のそれを超えて随分と青年らしくなったので、女友達よりは背が高くなった。

 それに、見た目にだってそこそこ気を使っている。

 毎朝鏡の前で髪をセットし、眉を整えるのが日課だ。入学を機に髪を透明感のあるブロンド系に染めてみたのだが、大学の友人にも好評である。

 兄にも、「かっこいいですよ」なんて褒められたし。

 身に着けているシンプルなアクセサリーだって、「お前ってセンスいいよな~」なんて周囲には言ってもらえる。いつかはピアスも開けてみたいが、体に傷をつける系の装飾物はまだ保留だ。

 日々の生活はまさに順風満帆。それなりに充実した大学生活を送っていた。


 そう。ごく普通の、イマドキの大学生のように。


「よーっすたちばな

「はよーっす」


 大学に入ってから仲良くなった三人が横に座ってきたので、密着しすぎないようそれとなく位置をずらす。隣はお調子者の瀬戸せとだ。


「何時からいんの?」

「8時くらいに図書館行って、教室は10時」

「はやっ」

「おーよ、だから今すっげー眠くてさぁ……さっきから目ぇしょぼしょぼするし」

「はは、ほら橘、これやるよ。今日飲まないからさ」

「わーっ、ありがと神さま仏さま風間さま! 買い忘れてたから助かる~」


 自称みんなのお兄さん、通称ボケボケお兄さんの風間かざまから受け取った栄養ドリンクを一気飲みし、ぷはぁっとおっさんのように喉を鳴らす。

 受験時には随分とお世話になったマストアイテム、その名も、『惰眠打破 超ストロング』である。

 ちなみに風間は一浪してからここに入ってきたので年上だ。


「夜な夜なチューハイ空けてコンビニ前でたむろってっからだろ」


 瀬戸の隣に座った綾瀬あやせは、相変わらずダルそうにスマホを弄りつつ会話に入ってくる。


「バーカ、酒とか飲んだことねーわ、未成年舐めんなよ?」

「金パ黒マスクの癖に生真面目ぶんな」

「それ金パと黒マスクに対する偏見だかんな!」


 綾瀬の垂れた目尻を睨む。確かに春先は黒マスクを重宝していたが、それももう終わった。なぜなら花粉という最大の敵は今年はもう死んだからだ。


「こらこら、朝っぱらから喧嘩するな。そういうのは午後からな」

「うえ~い、風間さん朝からキレッキレだな」


 ヒートアップしそうな俺たちの間に、メガネの風間がちょっとズレた突っ込みを被せてきた。綾瀬は風間にだいぶ懐いているので、俺に絡むのをやめてスマホを弄り始めた。とは言え、お互いに本気の喧嘩でないことぐらいわかっている。ただのじゃれ合いだ。

 その証拠に綾瀬から、「おめーのせいで風間さんに怒られた」なんてメッセージがぴこんっと届いた。


「いや直接言えよ!」

「遠いわ、瀬戸が邪魔」

「え、なにこわ、おまえら脳内で直接会話してる?」

「不思議なこともあるもんだなぁ」


 しみじみと頷く風間に、真顔のまま肩をガタガタ震わせて笑う綾瀬に噴き出してしまった。相変わらず独特な笑い方をする。

 本当に、こいつらといると飽きないな。


「ねぇ見た? 昨日の壁ドン!」

「みたみた、キュン死するかと思った……」

「まさかって思ったよね、でも言われてみれば伏線あったかも」


 綾瀬にスタンプ連投で嫌がらせをしていると、それなりに顔見知りの女子が数名、前の席に座ってきた。

 やけに興奮している。

 会話の内容には微塵も興味がわかなかったのだが、事あるごとに彼女が欲しいと嘆く瀬戸が、率先して話しかけにいった。


「なになに、なんの話だよ」

「ん? 昨日の地味逃げの話。もーすっごかったの」


 地味逃げ、最近CMとかでよく見かけるドラマの略称だ。


「すごいってなにが」

「TBerで全話配信されてるから見てみ?」

「いや見るのダルいから普通に教えてくれ」

「もー……あのね、ヒロインが隠れΩオメガで、しかもヒーローの運命のつがいだったの!」


 ──すっと背筋が冷えた。

 一気に、和気あいあいとした周囲の会話が遠くなる。

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