scene B1 天気雨

いびき虫

天気雨

神様、ありがとうございます。

この不自由な5分間は、僕にとって最も幸福な時間です。


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「急に降ってきたな〜。てか、空晴れてるのになんで雨降ってんだよ。雲ねえじゃん」

空の方を指さし、少し怒気を含んだ声でぼやく彼の名前は大和(やまと)は、僕の幼馴染で、初恋の相手だ。

もちろん、僕の気持ちに彼は気づいていない。


学校の帰り道、それは突然の通り雨だった。日焼け予防も兼ねて普段から持ち歩いている日傘を取り出すと、大和はすかさず僕の元に駆け寄ってきた。

「海斗の傘のお世話になる日がくるなんてな〜。でも小せえよコレ。身動きとれねえじゃん(笑)」

問答無用で、僕のテリトリーに入っておきながら横柄なことを言う彼とは、3歳のころから仲良くしている。同じ幼稚園、同じ小学校、同じ中学校、そして同じ高校と、ほとんど家族のようなものだ。小さい頃から軽い日光アレルギーの僕は日傘を持ち歩いて生活している。


ある時、日傘を持ち歩いている上に髪も長かった僕を「女みてえな奴だ」「気持ち悪い」と馬鹿にしてきた3人の同級生がいた。もちろん傷ついたが、うじうじしている僕には言い返すことなんてできなかった。するとそこを偶然通りがかった大和が雄たけびをあげながら彼らに殴りかかった。大和は「女みてえで何が悪い」と怒声を浴びせながら3人をぶん殴っていった。


きっとその時、僕は恋に落ちたのだ。


横柄で、喧嘩っ早くて、言葉遣いが荒い彼だが、たまに本質を突く。

小さい頃は家族や幼稚園の先生たちから「海斗君は女の子みたいで可愛い」と褒められることも多かった。僕は決して「女の子みたい」と言われること自体には嫌悪感はなかった。だから、彼は喧嘩中も決して「女の子に見える」こと自体は否定しなかった。「女の子みたいでもいいじゃないか」そう言ってもらえた気がした。それがたまらなく嬉しかった。


大和「なんで晴れてるのに雨降ってんの?」

海斗「んー、雲から雨が落ちてくるまでの時間、知ってる?」

大和「え、わかんねえ。30秒くらい?」

海斗「んーん。雨ってね、意外と小学生が走るくらいの速度で落ちるんだよ。だから地上に届くまでに大体5〜6分」

大和「え、そんなにかかんの?」

海斗「そう。だからこの雨は、ここを通り過ぎた雲が降らせたんだよ。だから僕らの真上は晴れてるんだって」

大和「へえ〜、お前ほんとそういうのよく知ってるな」

海斗「この雨も5分くらいで多分止むよ」

大和「じゃあお前には悪いけど、止むまで相合傘してようぜ」

海斗「…うん」


耳が熱くなる。心臓の音が聞こえてしまわないだろうか、生乾きの臭いがしないだろうか。そんな僕の心配をよそに、彼はくんくんと鼻を動かしている。

大和「傘の内側、なんか甘くていい匂いするな」

海斗「え?そう?臭い?」

大和「だから、いい匂いだって(笑)。お前んちの匂いと雨の匂いが混ざってる感じ。いい匂いだよ」


直径1mmの雨つぶは、1秒間におよそ4m落ちる。上空1500mの高さに雲の底があったとしたら、そこから地上に落ちてくるまで6分ちょっとかかる。そのあいだに雲が移動して空が晴れることがある。天気雨というやつだ。僕たちの真上に雲がない今、この雨はもうすぐ止んでしまう。心臓の音が彼に届いてしまう前に止んでほしい。


その場から身動きのとれない不自由な5分間。こんなにも長くて、こんなにも短くて、こんなにも幸せで、こんなにも苦しい5分間は、きっとこの先一生現れないのだろう。

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