第11話 童貞の道程

 冴えないおっさんの親父ギャグで笑ってしまった。その事実が、僕の心を真っ二つにする。タカシさんは勝利を確信し、コロシアムの中心で仁王立ちをした。

 一方の僕は、傅くように膝をつき、現実から目を背けるように、静かに目を閉じる。

「いいぞ~チャンピオン!」

「ルーキーそんなもんか!」

「不貞を働く男なんてころせ!」

ころせ! ころせ! ころせ!」

 観客も、ここぞとばかりに弱った僕に罵声を浴びせてくる。

 まるで自分たちは悪を退治するヒーローだと言わんばかりに、不倫男に対して容赦なく石を投げる。


「弁明はあるかね? 間男サトシィ……、ぬくぬくとアイドルと気持ちいいことしやがってェッ‼」

 そして、それを煽ったのは他でもないタカシさんだ。タカシさんは、語気を強め、僕に負けを認めるよう、勝ち誇った顔で暗に示している。


 先ほどから、タカシさんは僕のことを悪者にしようとあることないこと言っている。

「さあ、みんなの前で手をついて謝るのだ! アイドルと〇ックスして、不倫してごめんなさいとなあ!」

 それも、事実とは違うことばかり。

 もしかして、タカシさんは僕の個人情報なんて掴んでないんじゃないの?

 しかし、世間は真実など気にしない。僕が間男と呼ばれ、アイドルと交わった不埒者というイメージに対し、石を投げているのだ。

 もはや、僕にまとわりつく間男のベールははぎとりようがない。

 それに、このままいくと殺血狐にまで悪評が広がってしまう。もしかすると、世間は杏里ちゃんの存在すら認知し、彼女たちの名誉や安全が脅かされるかもしれないのだ。僕のせいで二人が?いや、それは駄目だ。ここは僕が汚名を被ってでも、話題の矛先を僕自身に集める必要がある。

 何か方法が無いか、僕の小さめの前頭前野に血を送る。その時だった。いるはずのない観客席から懐かしい声が聞こえる。僕の中に、いまでも彼女がいるとでもいうように――。彼女は僕の中で主張する。


 気が付くと、僕はフォルテッシモ荘にいた。殺血孤が僕の部屋に来てから三日目の夜、窓から入ってくる月明かりだけが照明だった。

 正直、なぜ殺血孤が僕を選んでくれたのかは分からない。彼女は僕をまるで兄のように慕い、僕が敷布団を十センチ以上離しても、彼女の寝相は毎日その境界線を越えて領海侵犯した。それに、僕よりも一回り以上年下の彼女に欲情するなんてあってはいけない。僕は、毎晩温もりを求めて指を絡め密着してくる殺血孤に反応しないように腰を引きながら、熟睡のフリをした。


 初日は言葉を交わさずとも平気だった。殺血孤も無理を言った手前、こちらが信頼を構築しようと努めていることを察したのだろう。彼女は僕の誠実さは好ましいと言ってくれ、二人で優しい眠りについた。

 

 二日目はお互いの身の上を話した。自分が適応障害で会社を辞め、貯金を崩して生活していること。これから先の展望もなく、何をして生きていこうか全く分からないこと。

 殺血孤も、今は人前でショーをする芸人だと教えてくれ、所属事務所の束縛や規約が厳しくて逃げてきたことを話してくれた。今頃、自分のプロデューサーは大慌てだと言って愉快そうに笑っていた。


 そして三日目。僕が何もしないでいると、彼女はいきなり僕を布団に押し倒してこう言った。

「聡ってさ、童貞なの?」

 図星をつかれ、僕は狼狽した。この状態からどう持っていくのが正解かもわからず、僕は「どどどど……! 童貞ちゃうわ‼」と言い返すのが精いっぱいだった。

 そして一向に殺血孤に手を出そうとしない僕を見て呆れたのか、彼女は僕と性的なアプローチをすることはなくなり、ただ生活を共同する相手として振る舞うようになった。


 目を開けると、観客の声援と共に、タカシさんの不思議そうな顔が見える。

 あれは、幻聴だったのか。いや、僕は確かに殺血孤の声を聴いた。

 ずっと蹲っている僕に痺れを切らしたのか、会場の空気が変わっている。

 今なら、観客は僕の言葉を聞いてくれるかもしれない。


 僕は、その場で立ち上がり、タカシさんの目を見てこう言った。

「僕は殺血孤と体の関係は持ってない」

「へ?」

 その瞬間、僕の周囲から死神の気配が消え失せる。会場の時が止まり、タカシさんも口を半開きにしてその場に立ち尽くしていた。

 どうやらタカシさんは、意図しない展開に動揺を隠せないでいるようだ。

「そんなことがあるはずない。仲のいい男女が、〇ックスをしないわけがない!」

 何とか僕を悪者に繋ぎ止めようと、タカシさんは見苦しい言い訳を始める。

 僕はそれを制するように、淡々と言葉を続ける。


「それどころか……」

 会場の流れがこちらに向いているのが手に取るように分かる。観客たちは僕の言葉を聞き逃すまいと、静かに耳を傾けていた。

「僕は生まれて四十年間、女性経験は皆無だ」

 会場が静寂に包まれて数秒経った。

 ぱらぱらと人のざわめきが聞こえ始め、それが束になって大音量の衝撃に変わる。


「「「ええーっ⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」」」

 観客のあまりの驚きっぷりに、僕とタカシさんは思わず耳を塞ぐ。


「なん……だと……⁉ と、いうことはまさか⁉」

 まさか勢いで女性経験がないことを大衆に暴露することになるとは思わなかった。だけれどこれでいい。そうだ。嘘でも見栄でもなく、この痛みが僕の真実だ。僕のせいで誰かが傷つくくらいなら、僕はどうなったって――。

「ああ、そうさ。僕は」

 ――いいんだ。誰かが傷つくくらいなら――僕の人生を、全部笑いのネタにしてやる。そう覚悟を決めた瞬間、僕の口から、長年封じてきた言葉がこぼれた。


「僕は童貞だ」


 僕の発言が会場全体に波紋を広げた。いや、本当に広がったのだ。ARグラスを通じて視界全体に波紋が走る演出がなされ、観客全員が唖然としている。


「そ、そんなバカな……。まさか……その年齢で……純潔だというのか?」

 タカシさんが震える声で言った。


「四十を超えて童貞⁉」

「嘘だ……そんな男がいるのか⁉」

「でも、銀歯変態パンツ仮面なら……」

 観客席からもざわめきが上がる。彼らの中には唖然と口を開けたまま硬直する者、一方で、冷静にスマホを取り出して『これはニュースだ』と呟く観客までいた。 

 会場の困惑は渦を巻きながら、今まで満ちていたタカシさんの優勢を瞬く間にひっぺがえしていく。

 その変化にいち早く気づいたのがタカシさんだった。彼は黒歴史ノートを地面に叩きつけて叫ぶ。


「宗ちゃん! 話と違うやんけボケェ‼︎」

 どうやら、タカシさんはオーナーに偽の情報を摑まされたらしく、怒髪天を衝く勢いで怒り狂っている。

 そして当のオーナーはというと。


「へっへっへ。高橋君、実に愉快だと思わんかね」

 インカム越しに、手を叩きながら上機嫌になっているオーナーの声がする。

 どうやらオーナーは最初から、タカシさんを騙すために色々仕組んでたらしい。

「オーナー、後で覚えておいてくださいね?」

「高橋君怒らないでくれ、これもエンタメだよ。まあ、タカシに偽情報を掴ませたのは、二人の戦力差に公平を期す為にだね」

「はあ……」

「高橋君はどんな困難でも乗り越えられると信じているよ。君は、更に自分を曝け出せるかな?」

 オーナーは矢継ぎ早に勝手なことを捲し立てる。彼曰く、ダジャレー・ヌーボーの真髄はありのままの自分を曝け出すところにあるらしい。

 まあ、ここで迷っていても仕方がない。どうせ逃げられないんだ。僕は、覚悟を決める。


「冴えない過去も、笑われる今も――全部僕の物語だ!」

 自分の胸に手を当て、心の底から湧き上がる感情に耳を澄ませた。

「この笑われる人生も、全部僕の道程だ‼」

 タカシさんは、予想外の出来事に目を白黒させている。もし彼にダジャレを叩き込むチャンスがあるとしたら今だろう。


 オーナーが叫ぶ。「今だ! 高橋君! 君のダジャレをみんなに見せてやれ‼」

 僕はその声に背中を押されるように立ち上がった。もう、迷いはない。


 両腕を後ろに引き、力を込めて振り抜く。

「【童貞の道程】!」

 僕は、力の限り叫んだ。


 次の瞬間、僕の背後で火薬が炸裂し、七色のレーザーが後光の如く、空を切り裂くように飛び出した。

「我、童貞也‼」

 そしてなんということだろう。純白の双翼が拡張現実の力を借り、文字通りリアリティとして僕の背中から現出する。質感を伴った二つの翼は、まるで天界を守護する大天使そのものだった。


 それはまさに殺血孤がダジャレ・バーにつけた“眠らない街、東京に舞い降りたエンジェル”。誰かを救うために傷ついた街に舞い降りた、慈愛の使徒。

 タカシさんは僕を見上げるように、鋭い目つきで睨んでいる。


 ――さあ、反撃開始だ――。

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