第12話 ダジャレ・マッスル

 一万人の観客の前で自分は童貞であるとカミングアウトをした人はこの世界に何人いるだろう。羞恥を超えて快楽に達した僕は、感情の昂ぶりをAIに見抜かれて大天使と化してしまった。

 そして、試合開始からタカシさん優勢だった会場の空気が、今は僕の方に向いてきているのが分かる。耳元のインカムからはオーナーから攻撃の動作をしろとの合図。見れば、タカシさんは動揺して動けていない。反撃するなら今だと思った。


「【童貞の道程】!」

 今まさに、僕の振り抜いた両腕が、背中の双翼と連携し、タカシさんを打ち据える断罪の鉄槌を下す。

 重力に逆らいながら舞い散る羽は、まるで光の粉を空間に散りばめたようだった。天使の翼から無数の羽がビームのように指向性を持って飛んでいく。拡張現実で再現される光景は、まさにファンタジーだ。


 僕の一撃が、ダジャレ・コロシアムを破壊しながら進む。

 しかしそれは追加された演出で、実際にはコロシアムでおっさんが叫んだだけだ。

 僕が放った衝撃は地上と空中を交互に擦りながら、タカシさんに向かって飛んでいく。


「ぐはぁっ⁉」

 僕の攻撃がタカシさんに当たった瞬間、彼は足元の射出装置に飛び乗り、弾き飛ばされた。ダジャレ・コロシアムに設置された演出装置の一つは、試合を盛り上げるために使用が推奨される。タカシさんの跳躍と同時に地上の極低反発マットが作動。彼は無傷で地上に着地した。

 観客には、まるで僕の発した天使の一撃が、このダジャレー・ヌーボーの支配者を打ち据えたように見えている。

 その瞬間、観客たちの感情が加熱されたのを示すように、天井付近のオーロラビジョンが作動した。そして、大画面を流星が横切るように、埋め尽くさんばかりのコメントが流れ始める。


【2000円:うおー! サトシー!】

【5000円:大 天 使 シ コ エ ル】

【200円:↑やめろ】

【10000円:チャンピオンをやっつけろ!】

【20000円:俺は大穴のルーキーに賭けてるんだ‼ 勝てーッ‼】


 白いコメントの中に、二倍程度の大きさで色つきのコメントが混じっている。

「これは⁉」

「投げ銭システム。試合は投げ銭の金額含めた評価値が高い方が勝利する。試合の趨勢だけでなく、観客の心を掴むと試合がぐっと有利に働くぞ」

 耳元でオーナーが解説する。なるほど。どうやらダジャレー・ヌーボーは、観客一人につき一票というわけではないらしい。太客がつけば、お金に物を言わせて試合を有利に進められる。そして、その投げ銭は、コロシアムの収益になると。上手いシステムだ。

「くそ、まずいな……」

 観客が予想外に僕を支持するので、タカシさんは顔を歪めている。

 僕が天使になった後、コロシアムは更なる演出を追加した。天井から降下してきたワイヤーが僕の銀歯スーツに接着する。そして、身体を一メートルほど上昇させた。

 横幅二百メートル、縦幅五十メートルにもなる世界最大のオーロラビジョンに映る僕は、まるで神々しい大天使ミカエルの如く発光する羽をばらまきながら空中に静止している。


 ――サトシ選手、100ダジャレー。


 ――現在の評価値は、チャンピオン75ダジャレー。サトシ選手100ダジャレーでサトシ選手有利の状況です。


 MCのアナウンスが入り、僕の逆転が確定した瞬間、会場の盛り上がりが最高潮になった。


「ルーキーが逆転したぞォォォォ‼」

「嫌ァァァァ⁉」

「チャンピオン、巻き返せーッ‼」

「ルーキーに課金だ‼」


「素晴らしい……‼」

 インカムからはオーナーの感嘆が漏れる。

「男が三十歳まで童貞を貫くと魔法使いになるが、まさか四十を超えると天使になってしまうとは……」

 タカシさんは呆れた顔で僕を見ていた。

 会場中が熱狂に包まれ、僕に観客たちの投票が集まり始める。

「しかし童貞というのは驚いたがサトシ君。その借り物の翼で、どこまで飛べるかな?」

「〜♪」

 タカシさんの煽りをかき消すように、会場の隅から爆音の旋律が聞こえる。

 爆音は次第に規律を正し、やがて僕の耳にも理解できる言葉の流れになってコロシアム全体を包み始めた。


「「「天よりも空高く~♪」」」


「「「純白の翼翻し~♪」」」


「「「いざゆけゆかんわが童貞~♪」」」


「「「ど~う~ていっ~♪」」」


 それはまさに世界に終末を告げるアポカリプティック・サウンドだった。

「何だこの変な歌は‼」

 タカシさんは驚いて観客席を見渡している。

「本当に何なんですかね、この歌」

「童貞の歌だ」

 僕の疑問に、オーナーが応えた。

「童貞の歌⁉」

 僕が驚いて大声を出すと、インカム越しにオーナーから「うるさいよ」とたしなめられる。

「ダジャレAIが即興生成し、ダジャレ交響楽団が演奏している。高橋君の応援歌をね」

 この破滅的な音楽は、僕のものだった。 

 オーナー曰く、試合を演出するために生成AIを利用しているらしい。

 有志が集まってファン・オーケストラを結成し、指揮者の指示で表示された歌詞と楽譜を歌唱、AIガイド付きで演奏する。技術でサポートされているとはいえ、即座の対応力と熱量は並みの愛では成しえないだろう。

 なんて団結力だ。しかしファンたちの応援があれば――。


「【タカシさん、誤ったか試算】?」

 僕は、勝てるかもしれない。僕がタカシさんにダジャレを向けると、彼はこちらを見て不敵に笑う。


「【狡猾はこう勝つ】【天使では勝てんし】」

 タカシさんは諦めていない。ダジャレと共に彼の目が怪しく光った。

 タカシさんの放った呪詛は、黒い粘着質の触手となり僕の身体にまとわりつく。

 彼の薄ら暗い感情をAIが検知し、僕を束縛する黒鞭となって顕現したのだ。

 しかし、僕はすぐさまその触手を切り払った。

 それを見て、タカシさんは驚いた眼を向ける。


「何だその剣は……⁉」

「僕は天使ではない」

 僕は、ようやくダジャレー・ヌーボーに慣れてきたようだ。

 AIが反応する仕組みがわかったかもしれない。

「【剣士は負けんし】」

 ダジャレと共に手に握られているのは、銀色に輝く細身の両刃剣。中世の貴族が持っていそうな柄に金細工があしらわれた模造刀めいたアイテムだった。

「剣士にジョブチェンジした……⁉」

 タカシさんは舌打ちすると、裏方に向かって合図を送る。彼の手にはいつの間にか僕と同じ剣が握られていた。


 ワイヤーロープがタカシさんにも装着すると、僕たちは空高く舞い上がりぐるぐると回転し始める。ここにミケランジェロがいたならば、おそらくこの戦いを後世に伝えるため、大きな壁画としていたに違いない。それだけの荘厳さが僕たちにはあった。

 空中の僕たちは三分間何度も剣で打ち合った後、スタミナ切れと三半規管の限界により地上に降りた。お互い、地上に降りてから全身の疲労感で目が回り、息も絶え絶えになっている。しかし若さの分、僕の方が回復が早かったようだ。

 歳には勝てないタカシさんが地面で息を切らせているところに、僕は全速力で剣を刺しに行く。


「とどめだァーッ‼」

 僕が剣をタカシさんに振り下ろした瞬間、彼に当たる直前で剣が根元から真っ二つに折れる。


 ――サトシ選手の剣が中折れしたァー⁉


「何で……⁉」

 僕がタカシさんを見ると、彼は得意そうな顔で立ち上がる。


「こう見えて、【ダジャレマッスル】は鍛えていてね……ふんっ‼」

 タカシさんは大きく息を吸うと、両腕を思い切り後ろに振り抜いた。

 その瞬間、彼の大胸筋は二倍近くに肥大し、タカシさんを覆っていたタンクトップが粉々に弾け飛んだ。


 ビリビリビリイッ‼


 目の前の昭和親父は上裸になった。


 ――おーっと、チャンピオンタカシ! いきなりタンクトップを引きちぎったぞ‼


 タカシさんは六十代とは思えないほどの肉体をしている。

 タンクトップに隠れていた小麦色の大胸筋が現れると、彼は産声を上げるようにぴくぴくと嘶いた。

「紹介しよう。右胸のアンディ。左胸のベルファストだ」

 どうやら、どちらも大胸筋の名前らしい。

 

【5000円:アンディー、ベルファスト! 俺のベンジャミンも見ろー!】

【100円:↑しまえよそのポチ太郎】


 どうやら、タカシさんの筋肉は常連にとってお馴染みらしかった。

「【チキンをキチンと】君も笑いで筋肉を鍛えよう」

 タカシさんは腹巻からサラダチキンを取り出し口に運ぶ。

「笑いで鍛えられるのは腹筋くらいだろう」

 僕は絶句した。

「チョ〇ザップだよ」

 タカシさんはスマホアプリを見せた。

「チョコ〇ップじゃん」

 タカシさんのダジャレマッスルは、トレーニング器具で鍛えられた。


「それじゃあ、【いきマッスル】」

 僕が呆れている間に、みるみるうちにタカシさんの全身が膨張する。彼の腹筋、大胸筋、背筋、そして上腕二頭筋に順にコブが出来、それらが全て両腕に集まってきた。

 まるで、ショベルカーを上半身に積んでいる異様な姿に変わったタカシさんは、次の瞬間には僕の眼前まで距離を詰め、僕の腹に拳を奮ってきた。


「ぐえ」

 ダジャレもクソもない腹パンを、僕はまともに受ける。


 ――おーっと、サトシ選手! もろにチャンピオンの一撃を食らったーッ⁉


 MCの声が飛び飛びに聞こえる。

 仮想現実で出来た天使の翼が一枚、また一枚と散っていく。


「ぐぉ……」

 タカシさんの拳が鳩尾に入ったと思うと、その瞬間、全身の血流が冷え切ったような感覚に襲われ、頭の上から何かが上っていった。息が吸えない。慣れない運動の後だから余計に空気が……。

 僕は、自分の体重を支え切れず、その場に頽れる。


 ――医療班。早く高橋君を助けたまえ‼


 僕の異常を感じたオーナーの声が聞こえる。白衣を着た産業医が僕の隣までやってきて聴診器を当てた。そして、薬臭いゴム手袋で僕の瞼を広げ、目にペンライトの光を照射する。

「生きてます、が……これ以上試合を続行できる状態ではなさそうです」


 ――試合を止めろ! この勝負はチャンピオンの勝ちだ! 高橋君を至急医務室へ!


 今までにない、オーナーの焦り声がする。

 僕が負ける? 負けたらどうなる? ただでさえ生活費、それも、自分ひとりじゃない。杏里ちゃんの分も稼いで帰らなきゃいけないのに。

 僕は、殺血孤に任されたんだぞ。彼女にとって大切な娘を。

 僕は、彼女に受けた恩すら返せない情けない男なのか。

 駄目だ、そんなのは。


 ――試合終了! この勝負、チャンピオンの勝利と……。


 MCがそう言いかけて、急に口をつぐんだ。

 観客たちのざわめきが、会場に広がる。


 ――おーっと、サトシ選手、立ち上がってどうしたんだ⁉


 立て、立つんだ。高橋聡。まだ負けてない。試合続行だ。

 僕は、両足に力を入れて再び立ち上がる。

「もういい、もういいんだ。高橋君!」

 インカムに、オーナーの声が響いた。


 ——チャンピオンの拳を食らってなお、サトシ選手はファイティングポーズをとり続けているぞーッ‼


 まだ負けてない。次は、タカシさんに……。

「僕が勝たないと、殺血孤との約束が……」

 もはや薄らいで見える景色は、微かな肌色だけを捉えて、暗転する。

「そうかサトシ。お前は……」

 タカシさんが、僕の体を支えている。


「気絶しても、なお戦う意志を失わないとは……。凄まじい闘士に成長したな……高橋君」


 ――チャンピオンタカシの勝利‼


 耳の中に、微かな歓声だけがこびりついていた。


 ――エキシビションマッチ、決着――。

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