第14話 山本天馬

 ショーを終えた僕に、会いたい人がいるらしい。

「ある意味、君の未来を左右する存在かもしれない」

 電話から手を離したオーナーは、「これから面白いことになるぞ」と、笑いをこらえきれない顔でそう言った。

 病み上がりの人間に、それも闘士としてデビューしたばかりのルーキーに見舞い客だと? 不思議に思ったが、オーナーが承諾してしまった以上、僕は従うしかない。


「私たちは席を外すから、二人でゆっくりするといい」

 オーナーは医務室のドアに手をかけてそう言った。

 タカシさんもそれに続いて席を立つ。

「誰なんですか、会いたい人って」

「君のダジャレ・バーからの知り合いだと言っていた」

 ダジャレ・バーの知り合いで個人的な付き合いをした客はいない。名前を聞いても、オーナーは頑なに客の名前を教えてはくれなかった。

 僕は頭を悩ませる。あり得るとすれば常連の誰かだが、僕は顔を思い出そうとして、やめた。相貌失認で自分に深いかかわりのない人間は覚えられないのだ。とりあえず、来た人に話を合わせて乗り切ろう。

 

 その知り合いは、オーナーたちが医務室を出ていったのと同時にやってきた。

 ドアが開いた瞬間、重たく湿った空気が室内に流れ込む。なんだかいやな予感がした。

 目の前には、どこのブランドか分からないスーツを着た長身の男が立っていた。髪の毛はところどころ白く、だらしなく伸びた前髪が額にかかっている。年齢は五十代だろうか。顔はよく焼けているが、目の奥には暗い影が潜んでいるように見えた。

 背中が少し丸まっているのは疲労のせいか、それともただの癖か。

 ネクタイを神経質に締めなおした男は、バーの常連の――さんだった。

 彼は軽く会釈すると椅子に座り、「五十年物のボジョレー・ヌーボーを貰おう」と言った。いつものように、歳下の僕をおちょくるような声色で。


 この人、こんな顔だったのか。医務室に入ってきた男を改めて見ると、バーで話していた人と同一人物とは思えないほどに、彼の存在感は異様だった。

「酒は、避けては通れないよねえ」

 いつもの調子で、彼はダジャレを口にする。

 おそらくここが居酒屋であれば、酒の力とムードのせいで彼が浮くことはなかっただろう。顔に刻まれた深い皴と、落ち着いた雰囲気が積み重ねた年齢を思わせるのに、それに似つかわしくない若々しい眼の奥の光が、彼を浮世から際立させていた。

 ――さんは、医務室をまるでダジャレ・バーにいるかのように振る舞い、僕をバーのマスターとして扱う。天衣無縫で傍若無人、融通無碍で絶対王政。

 それが、彼に抱いた印象だった。

「お客さん」

 声をかけたが、僕の言葉は無視された。彼は静かに煙草を取り出し、火をつける。そして、煙を吸い込むたびに指先で机を軽く叩いた。規則的なリズムだ。まるで、時計が時間を正確に刻むように。

 僕は、その不遜な臭いと音に不快を感じた。

「お客さん。ここ、医務室ですよ。それに、机を叩くのやめてもらえますか?」

「すまないな、癖なんだ」と――さんは言って、煙草の火を消す。

 彼はぼそりと言ったが、それ以上の説明はしなかった。


「ダジャレ・バーはどうしたね。ずっと休業中だが」

 そして、僕の体調を気遣う様子もなく、彼の唯一の関心は自分の行きつけのバーにあるようだった。

 それに、僕に会いにきたと言う割には、腕時計を何度も弄りながら、時間が進んでいることを気にしている。

「爆破されました」

「爆破……! アッハッハッハ! 誰に?」

 獅子が笑うように、重く響く声だ。――さんの口腔からは牙が見える。

「まあいい。ああ、そうか。仕事がなくなったからダジャレー・ヌーボーに出てたのか。理解した」

 そして、彼は僕の話を自分の中の疑問点とすり合わせるように咀嚼した。最終的には腑に落ちたのかうんうんと頷いて見せる。

 まるで、僕を見舞いに来たと言うよりは、自分の中のズレを修正したいがために僕に会いに来た。そういう様子だった。

 そもそも先ほどから僕に向けられる慇懃無礼な態度が気に食わない。この人はもしかすると、店員を無自覚に下に見ているタイプなのだと思った。


「ところで、何か僕に話があってきたんですよね。別に、ダジャレ・バーとかどうでも良いんでしょ?」

 正直、僕がここでこの男を追い出しても誰も文句は言わないだろう。しかし、オーナーが彼との対話を望んだのは、何か意図があってのことに違いなかった。

 彼が何者なのかは存じ上げないが、僕は今まで彼がしてきた非礼を呑み込む。


「そうなんだ」

 ――さんは語尾にハテナがついた抑揚のない声でそう言って、

「話したい、花、死体」

と、まるで自分の世界ですべてが完結したかのようなダジャレを虚空に向かって解き放つ。

 そして、こちらを見つめた。どうやら、今のダジャレはどうだったか僕の反応を見ているらしい。

「は?」

「いやいやいや! 高橋さんの話が早くて助かった」

 突然、面白くもないダジャレをぶち込んできた――さんに聞き返すと、彼は手を顔の前で振って場を仕切りなおす。どうやら、今のをなかったことにしたようだ。


 彼は、一つ咳払いをして真面目な顔つきになる。

「それでは率直に聴こう。俺は、さっきのショーを見させてもらっていたんだが」

 ここでようやく、彼が本題に入った。

「何でしょう」

「高橋さんは殺血孤さちこの居場所を知っているのかい?」

 そして、出し抜けに殺血孤の名前を出された。

 僕は一瞬、なぜ今ここで彼女の名前が出てきたのか理解が追い付かない。

「何で、そんなこと聞くんですか」

 動揺を悟られないように、僕はそう聞き返した。

 あくまで、どういう意図で聞いたのか尋ねるように。

 すると、――さんはにんまりとした笑顔を返してきた。しかし、彼の眼は笑っていない。こちらの反応を見逃すまいと、僕のすべてを観察しているようだった。

「いや、俺もテスカトリポカのファンなんだ。高橋さんと同じで」

「ファンですか」

「そうそう。ダジャレ・バーの意匠も、明らかにテスカトリポカを意識してたよね? ポスターも貼ってたし」

「そこまで見てたんですね」

「そうだよ。同志がいると思ってつい何度も足を運んでしまったんだけど、あのバーが無くなって悲しいなあ……」

 ——さんは、まるで用意していた嘘を述べているようにすらすらと言葉を並び立てる。先ほどまで、まるで僕を路傍の石のように見ていたくせに。しかし、彼の勢いに押され、いつの間にか僕と――さんの間にはテスカトリポカファンとしての連帯感が生まれてきた。彼は、ベッドに座る僕の肩に手を回し、嬉しそうに抱き寄せる。

 彼の服から臭う、煙草の臭いが鼻についた。


 僕は、——さんの手を肩から外し、真正面から見つめる。

 そして、申し訳なさそうに頭を掻いて、次のように言った。

「言いにくいんですけど……実はあれ、台本なんです」

「台本?」

「はい。ショーで僕がヒールとしてチャンピオンを引き立てるためについた……嘘なんです」

 嘘をつくときは、目を見て落ち着いた声で、はっきりとつく。

 これは、殺血孤が僕に教えてくれたことだった。

 彼女と一緒に住んでいた時、アイドルとしての生き方は“本当の嘘をつき続ける”ことだと、僕は彼女に学んだのだ。

「つまり、エンタメの為に仕方なくついたのだと言いたいんだね?」

「はい。ショーでは僕の好きなアイドルを言ってしまったんです。だから、僕はテスカトリポカのリーダーの居場所なんか知りませんし、そもそも僕は殺血孤さんとは全く面識がありません」

「そうか」

「夢を壊しましたか?」

「いや、俺もエンタメ業界でよく演出を考えるから高橋さんのことはよく分かるよ。こちらも、客として思わず信じてしまった」

 ——さんは、僕の話にうんうんと頷き納得してくれた。

 よかった。どうやら彼は、僕の嘘を信じてくれたようだった。

 ――さんは、どうやら満足をしたらしくまたネクタイを結びなおして帰り支度をする。僕は、その背中を見ながら、小さくため息をついた。


「帰るんですね」

「ああ、邪魔をしたね。ショーの後で疲れただろうに」

「いえいえ、こちらもちゃんとおもてなしもできず」

 僕がそういうと、彼は動きを止めて背筋をただす。

 

「じゃあ最後にもう一つだけいいかい。今度は、君の演技についてもう少し込み入った話になるんだが……」

「どうぞ、僕に答えられることでしたら」

 僕の演技で何か気に触ることがあったのか。何故だかこの時、彼の言葉を待つ時間がやけに長く感じた。


「何故、君がいないはずの子杏里を知っているのかな?」

 その一言で、背中越しなのに、まるで僕の中を全て見られている気がした。

 心臓が跳ね、冷や汗が背中を伝う。杏里ちゃんの名前が、――さんの口から出るとは思わなかった。僕は言葉が出せず、ただ黙って彼の言葉を聞いているしかなかった。

「殺血孤には、子どもどころか、配偶者、彼氏なんていない設定のはずだが?」

「チャンピオン・タカシも口にしていたが、君たちは山本杏里を知っているのかい?」

 矢継ぎ早に、彼は僕を詰めていく。

「山本杏里って……誰ですか?」

 それは苦し紛れだった。もしかしたら、彼は僕の全てを知っていて、今ここで全てを吐かせる気なのかもしれない。

 だから、これは賭けだ。僕が彼から杏里ちゃんを守るための決死の賭け。

 この、素性の分からない人間に、杏里ちゃんの情報を渡してはならないと僕の勘が告げていた。

 僕たちの間に沈黙が訪れる。


「まあ、その様子じゃということかな」

 どうやら、彼は僕の追及を辞めたようだ。沈黙を破り、振り返った彼の顔は優しい顔をしている。

「そうだ、これを渡しておこう」

 そして思い出したかのように、彼は僕に名刺を渡してきた。

「ごめんなさい、僕、名刺まだ作ってなくて」

「何? 駄目だよそりゃ。社会人失格だ」

「すみません」

「君は、これからうんと有名になる。だってあの、山本殺血孤やまもとさちこに目をつけてもらったんだろう?」

 あれ? 僕、殺血孤と会ったなんて言ってないのに。

 背毛が逆立つ。まるでこの男に今までのすべてが見透かされているような気がする。もしかすると、ここまでのやりとりは、全部“試し”だったのかもしれない。


「あなたは?」

「また来るよ、高橋聡さん。次は、河本宗助と三人で仕事の話でもできたらいいね」

 僕から逃げるように、彼は医務室を出て行った。僕は、もらった名刺に目を落とす。

「山本プロダクション代表取締役、山本天馬やまもとてんま……」

 裏を見ると、かつてバーの奥に飾られていた“羽の生えた蛇が人を呑み込んでいる奇妙な紋章”と同じ意匠が、金箔で刻まれていた。

「テスカトリポカ担当責任者」


「ああ、この人」


 ――殺血孤のプロデューサーだ――。

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