第9話 ダジャレ・ビッグバン
四十代の再就職が難しいとは聞いていたが、まさかこんな職場に辿り着くとは――。
観客の歓声に包まれたコロシアムで、僕は嘆息する。
「初心者歓迎、福利厚生充実、アットホームな職場」と先ほどオーナーに言われた仕事の実態は、研修すらない状態での実戦投入だった。今時、ロシアの前線に出ている兵隊すら、銃の持ち方や穴の掘り方くらいは教えてもらえるだろうに。
僕に関してはいくつかのやっちゃいけないことだけ伝えられて、試合の進め方すら教えてもらっていない。
「最初は強く当たって、後は流れでお願いします」これが、僕がオーナーに言われたすべてだった。まったく、場当たりにもほどがある。
これが歳を食った男に求められる即戦力。いわゆる
銀色のコスチュームに身を包んだ僕はコロシアムの隅々を観察する。案の定、どの通路も裏方のスタッフが塞いでいた。勝敗が決するまで抜け出せない。それはまさしく中世のコロッセオと変わらなかった。
「逃げ場は、無いか」
僕は諦めて前を向く。僕の目の前には、怒りで我を忘れた獣がいた。
「今から、サトシ君を
センシティブな為伏字になっているものの、目を滾らせて涎すら垂らす彼が強い言葉で言い放つ。
「はい?」
タカシさんにいきなり
目の前にいるおっさんは、何故か僕に完全な敵意を向けている。
タカシさんの敵意に晒され、僕の額には冷や汗が滲んでいた。理由もわからず殺意を向けられるなんて、冗談にもほどがある。
「え? 何で?」
僕は、タカシさんに何か悪いことをしただろうか。思い返してみても、思い当たる節が全くない。そもそも僕たちは
――これより、チャンピオンVS期待の新人ルーキーのエキシビションマッチを始めます‼
「「「うわああああああああ‼‼‼‼」」」
僕の心配をよそに、ついに試合が始まってしまった。MCの煽りを受け、会場全体のボルテージが一気に上がる。まずい、タカシさんが来る。僕は徒手空拳の構えをした。
そもそもタカシさんの言っている
先ほど契約書を読み返したとき『ダジャレー・ヌーボーは肉体における過度な暴力及び
――あー、観客の皆様。聞こえていますでしょうか。
放送席の方を見ると、いつの間にかオーナーがマイクを持って喋っていた。
僕は、彼の話に耳を傾ける。
――もちろん、
僕の疑問を察したオーナーがマイクで解説を行う。
「そうですよね」
僕は頷いた。
――将来、NHKなどの地上波進出に向け、過激な表現は厳しく取り扱います。このショーではコンプライアンスに配慮したコンテンツ制作を行ってまいりますので、どの年代の方も安心して観劇くださいませ。
「おおー!」
オーナーのコンプライアンスに関する説明を受け、会場から拍手が巻き起こる。
「夢が大きいなあ」
僕は思わず口にした。流石に法律ギリギリを攻めてくるオーナーといえど、コンプライアンスに関する意識はまともなようだった。NHKに進出したいという野望があるとはいえ、運営に一定の良識を持ち合わせていることに僕は多少の安心感を覚える。
「じゃあ何故タカシさんはそんなに物騒な言葉遣いを……」
僕の疑問に応えるように、タカシさんは腹巻から黒いノートを取り出した。
スーツ姿から一転、昭和親父スタイルの彼は、鉢巻きを締め直しながらノートを高々と掲げる。その得意げな笑みが、僕の不安をさらに煽った。
「そ! それは……⁉」
僕が驚いて見せると、タカシさんはニヤリと笑って次の言葉を放った。
「それじゃあ君を【紹介しようかい】?」
タカシさんがそう叫んだ瞬間、会場の照明が消えた。暗闇の中に、観客たちの悲鳴が聞こえる。
「レディース、ア~ンド。ジェントル【メーン! いきなり驚かせてごめーん】!」
そして、再度タカシさんが叫ぶと、その掛け声に合わせて僕とタカシさんにスポットライトが照射される。
キュオオ! さらに、コロシアムの上空から謎の機械音が聞こえてきた。
何が来る? 僕が身構えたその瞬間、会場中に張り巡らされていた薄い膜の上に、四方の3Dプロジェクタから強烈な光が投射された。
「なんだこれ⁉」
「すげー!」
会場中の悲鳴が、感嘆の声に変わる。
漆黒に包まれたコロシアムに、一つ、また一つと小さな光の点が出現したのだ。点は、瞬く間に会場の空を覆い尽くしていく。
点は渦を巻き、会場のあちこちに光の巣をつくる。
それはまさに暗黒の宇宙に輝く一等星の群れ。僕が瞬きする間に現れたのは、数百億光年スケールの途方もない銀河団だった。
「【君に夢中、I want you、まさに宇宙】」
タカシさんのダジャレは抒情詩のように、宇宙の風に乗って会場全体を駆けまわる。それに応えるべく、ダジャレ・コロシアムは可変式の3Dプロジェクタを生き物の如く駆使し、星の屑たちを指揮者のように中央に集めた。
そして、集結した星は、やがて一つの膨大なエネルギーとなり一気に解放される。宇宙の星々が輝いて爆発を起こしたのだ。
それはまさしく、ダジャレ・ビッグバンと呼ぶにふさわしかった。
――でた! でた‼ チャンピオンのダジャレだーッ‼
MCの叫びで、会場のボルテージが最高潮になった。
観客の中には、映像に時折出現する流れ星を掴もうと手を伸ばしたり、何か願い事を祈っている者すらいる。おそらくこれをエモいというのだろう。確かに、手で掴めそうなほど近くに広がる星の輝きは、大人も子供も夢中にするほどの魅力を秘めていた。
チャンピオンのダジャレと連動して繰り出される映像芸術は、まさしく最高にエモーショナルな演出である。
「こ、これは……‼」
僕が驚いていると、観客が星空に夢中になっている隙を見て、スタッフがインカムと頭に被る用のマスクを手渡してきた。
僕は急いでそれを装着する。すると、インカムから音声が聞こえてきた。
「高橋君は
耳に装着したインカムからオーナーの説明が入る。
何と、オーナーは解説だけではなく、並行して僕のアシスタントもやるようだ。
「それは、高橋君のかけている変態マスクも同じ仕様だよ」
「変態マスク……?」
僕は、顔に被った布を外し、暗闇の中でしげしげと見つめる。
丁度顔の大きさにフィットするよう作られたレースの付いたピンクの布は、明らかに女性の下半身を守るよう設計された下着であった。
ご丁寧に、足を通すところが薄い皮膜になっており、この部分を通して拡張された映像を認識するらしい。
「これ、おパンティーじゃないですか⁉」
「通販で買った」
「知りませんよ‼」
「それじゃあ頑張って」
プツン。僕が突っ込むと、オーナーは意にも介さず通信を切った。
まるで僕がおパンティーを被る変態になっても、全く存ぜぬと言わんばかりに。
「ええい、オーナーは役に立たん!そもそもタカシさんは何を持っている……⁉」
おそらくこれがないと試合に不都合なのだろう。僕は仕方なくおパンティーを被り直す。そしてオーナーとの通信が切れたので、僕は意識をタカシさんに向けた。
こんな大掛かりなことをしてまで、タカシさんは何をしようとしている?
無敵の人は、自分の立場になりふり構わず僕に感情をぶつけてくる。僕はタカシさんの底知れなさに、背筋が凍るような思いがした。
「サトシ君が来てから、私は宗ちゃんに君のことを色々聞いていてね」
宗ちゃんというのは河本宗助オーナーのことだろう。この二人は一体どんな関係なんだ。いや、そんなことはどうでもいい。今は、あの手に持っているノートが大事だった。
「それは、何ですか?」
僕は、嫌な予感がしながらも、タカシさんに尋ねる。
「あんなことやこんなことをまとめた黒歴史ノートだよ。具体的には、幸子ちゃんがサトシ君との生活を宗ちゃんに話した日記帳だ」
「幸子ォォォォ‼」
何故かわからんが、僕の黒歴史がこの見ず知らずの一万人に今から暴露される。
――一体何を話したんだ、幸子――。
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