第44話 塔のウェネーフィカ

「×××××、と申します」


聞くことの出来ない名前だった。発音が聞きなれないということではなく、名前の存在自体がすっぽりと抜け落ちているような感じ。名を対価に永遠の命を得たのか。


「……なるほど。確かに証拠を受け取った」


「よく聞かれる質問です。気にしないで下さい」


それに、とメイドは悪戯っぽく笑った。


「あんな目で見つめられちゃ、答えない訳にはいきませんもの」


その言葉にヨハンは恥ずかしそうに目を覆った。好奇心の唆られるものを前にして目付きが悪くなるのは止めたい。


「……俺の悪い癖だ。改める」


「ふふふ……それでは、ごゆっくり」


メイドは軽く頭を下げるとエントランスから去っていった。自分もロジェの元へと行こうと思ったが行き先を聞いていなかった。


仕方ない。探すついでに観光でもするか。茶器が行った逆の方向の車両の扉を開けた。








「え、え……あった」


図書館棟で、ロジェは身体の半分くらいある辞典を開け小さな声を上げた。


『何探してるの』


「あの人のコードネームよ。燕石って言ってたでしょ」


ロジェは『燕石』を説明をなぞり、囁くようにして読み上げた。


「《玉 《ぎょく》に似るが玉でない石の意》偽物。 また、価値のないものを珍重し、誇ること。 小才の者が慢心するたとえ……」


『何でそんなの調べるのさ』


「そりゃあ気になるでしょ。コードネーム決めてって言われて『燕石』なんて言う?」


どっかりと椅子に座ってロジェは呟いた。本を守る為か少し薄暗い空間だが、問題ない蔵書数に乗客も虜なようで、利用者が沢山いる。


『中二病だったら言うかも』


「五百歳超えてて中二病患ってんなら重症よ」


天井から吊り下がってぐるぐる回るファンを見て、笑いながら少女は返した。


『で、調べてみてどう?』


「……なんか、寂しいかも。こんな言葉、あの人に相応しくない……」


ロジェは慌てて身体を起こす。そう言えばノルテでヨハンとサディコが何かを話していたはず。


「貴方、前何か話してたわよね?」


黙ってようって言ったってそうはいかないわよ、とロジェは付け加えた。渋々サディコは口を開く。


『ぼくもはっきりとは分からない。ただ……』


サディコはカーペットにぺたんと座った。


『影武者かなんかだったの、ってぼくが聞いたら、そうかもな、って』


あぁ、なるほどねぇ。とロジェは言った。暫く口を閉じていたが、思いついた様に呟く。


「名家の次男だったのかなぁ。影武者だから、双子だったのかも」


『君にはそう見えるの?』


また深く座り直しファンを見上げたロジェに、使い魔は尻尾を振りながら問うた。


「……うーん。貴族っぽくないのよね。なんかこう、真似してるみたいな……」


ファンだけだった視界に、一つの四角い何かが飛び込んで来た。垂直に落ちてくるそれを魔法でキャッチする。本だ。


タイトルは『メメント』。頁を捲れば小説らしい。それにしても何で本が飛んで来たんだろう。司書に渡そうとロジェが立ち上がった瞬間、背後から図書館に似つかわしくない大声が飛んでくる。


「キミキミ!ありがとう!それオレの小説なんだ!」


振り返ると見知らぬ顔。長く深い色のした紫髪を一つに纏め、ハリのある褐色の肌の体格。二十歳くらいの男がそこにいた。目には紋章が浮かんだ鳶色。お守りか何かは分からないが、細い首飾りを何重も着けており、幾重にも重ねられた鮮やかな衣装は砂漠を思わせる。


「ごめんね。思いっきり引っ張ったら吹っ飛んでいってさ!びっくりしたよ!」


「……そうでしたか。どうぞ」


耳がキーン、とする。声が大きいし、なんでこんなハイテンションなんだ。悪い人では無さそうだけど、と、思いながらロジェは本を差し出す。


「いやぁ!ほんとに助かった!ありがとう!」


「図書館ではお静かに、ロタス様」


背後から近付いてきた眼鏡をかけた女の司書が、ロタスと呼んだ男の肩を叩いた。


「ハハッ!茶器にも良く言われるんだ!気をつけないとな!」


「……やれやれ。騒がしくして申し訳ありませんでした。失礼します」


ロタスは変わらず元気な声を上げては、司書がその口を塞ぐ。


『何だか賑やかな人だったねぇ』


「そうね。ロタスって確か、この電車の車掌よ。……思ってたより変わった人だったケド」


ロジェは辞典を閉じると、先の場所に仕舞う。ヨハンの用事は終わったのだろうか。椅子に乗っかっていたサディコを手招いて少女は図書館を後にした。







「ギルトー・エイルズは何者なのか。あたし、調査したの」


オルテンシアは城下を眺めながら、規律正しく立つ何者かに憂いた。


「だけど過去を遡っても未来を巡っても、ギルトーの形跡を見つけることは出来なかった……」


「だから私達に探せと?」


中性的な声だが、妙に艶めかしさを感じる。女の声だ。背には矢と弓を背負って、膝下まで暗闇のドレスを身にまとい、足が見えないように細身のズボンを履いている。


「えぇ。貴方のお姉さんはそういうの得意でしょ」


「あの塔の主たる崇高なお方ですので」


芯のある声が、にわかに喜びに震える。オルテンシアはその声の主に微笑んだ。


「うふふ……貴方、本当にお姉さんが好きなのね。あたしは兄弟がいないから羨ましいなぁ」


白々しくするのもいい加減にして欲しい。黙って圧をかける。それが伝わったのか、城下を見下ろしていた少女は女に向き直った。


「貴方に余計なおべっかはいらなかったわね。それで、話は戻るけど……」


ひらひら、と数枚の紙を見せる。『特定異世界人の調査報告書』と大きく書かれた紙だ。


「これ、を持ってきてくれたわけね。さ、詳しく説明してよ」


「書いてある通りですが」


ぴしゃりと女は言い放った。


「あたしにそんなはっきり言えるの、貴方達くらいなものよ」


「……最初は辺鄙なところに流されたと嫌に思っていましたが、今思うと良かったのだと思うのです」


女が視線を動かしたその先にはゆらりゆらり、空中に桃色の帳が揺らいでいた。


「貴方が我が高祖母に渡した、『空間の塔』。二人で楽しくやっていますよ」


「そのようね。随分豪勢な館を建てていること」


釘を刺しても女は意に介していないようだ。何も言わず、真っ直ぐ少女を見詰める。女からの視線を流してくすぐったそうに少女は笑う。


「もう、貴方にペースを呑まれちゃうわ。報告を詳しく説明して欲しいのに」


「書いてある通りと申し上げました。『ギルトー・エイルズは観測したが、時空間異常が発生しており干渉は不可能である』と」


「干渉が不可能ってどういうことよ。貴方のお姉さん、どこかおかしいんじゃ──」


「お姉様を愚弄するなッ!」


女は矢を抜いて少女に振りかぶった。しかし、鏃は既のところで止まった。目に刺さる寸前の場所だ。しかしオルテンシアは怯えない。楽しそうに笑っているだけ。


「あはは。そうそう。これぐらいピリつかないと、貴方と話をしてる気になれないわ」


ウルフカットの赤髪に、無限に燃え続ける炎の瞳。火刑に処さんばかりにオルテンシアを睨んでいる。


「……ねぇ、モルガン」


屋敷に呼ばれし女はモルガン=ニュムパ・エリックスドッター、エリックスドッター家の次女にして、ロジェの姉。その人であった。


ぱきん、と音を立てて突きつけていた鏃が落ちる。嬉しそうにオルテンシアは笑った。


「アルチーナが駄目と言っていてよ」


「……命拾いしたな、オルテンシア」


ただの枝になった矢を捨てて、モルガンはまた立ち直した。


「あの人は元気にしていて?」


「貴方のお陰で忙しいと嘆いておられました。何せ『空間の塔』は貴方の編纂されたコードを束ねるところですので」


「なのに時空間異常が発生していることまで突き止めたのね。流石貴方のお姉様だわ」


モルガンは静かにオルテンシアを見詰めた。早く話を進めなければならない。


「それで……エイルズは、異世界から来たということかしら」


「異世界から来た中途半端な存在とも言えますが、我々が考えているのは……」


モルガンは顎を触り、髪の合間から少女を見定めるようにして言った。


「『その世界に存在するはずのない』存在、だと考察しています」


桃色の帳はまだはためいている。前に来た時はここまで酷くは無かったのだが。説明を続けながら、モルガンはそう思った。


「エイルズを見つけたのは貴方が編みに編んだ『コード』の中でした。上書きされる前の世界の中に、エイルズはいたのです」


発見した時は驚いた。エイルズは何かの活動──魔法の使用も確認できた──をしていた。具体的には分からなかった。が、言うなれば上書き前の世界はバグまみれの世界だ。非正規の世界。割れである。そんな世界で行動出来るなど、信じられない。


「よく考えたと思いますよ。あの世界に逃げこめば、貴方の……『ラプラスの魔物』の目から簡単に逃れることが出来る」


「ふふ……貴方達の手引きもあれば余計に、でしょ?」


心外だ。ややこしい事になると分かっていて手を貸す訳が無い。そもそも何人も塔には近づけまい。


「我々はエイルズに会ったことはありません。疑うのは止めて頂きたい」


そうは言ったが、束ねられ上書き前の世界に飛び込むなど、『空間の塔』の主である我々の力が無ければ出来ない。しかし、モルガン達は接触していない……。


「やだなぁ。そんなつもりは無いよぉ。怖い顔しないで、ね?」


探り入れようとしているのを察知したモルガンは、また外へと視線を向けた。


「……都は相変わらずですね。甘ったるい」


桃色の帳はゆっくりと空に溶けた。あの魔法がある限り、モルガンがマグノーリエに来れば永遠に疎外感を感じることだろう。


「もうこんな『余興』はお終いにしてしまえば宜しいのに」


「モルガンったら敏感ね。だけど……」


しっかりとオルテンシアは宣言した。


「マグノーリエは絶対に守る。これはあたしが決めたことなの」


あたしが決めたこと、か。果たしてそうなのだろうか。結局は野心とか、そういうことでは無いのか。


「しかし、貴女のテラリウムは崩壊しつつある」


オルテンシアはまた城下へ視線を向けた。モルガンの言葉を背に浴びる。


「偽の救世主に壊れた天使、病んだ貴族に、そして……」


一拍置いて、


「濡れ衣を着せられた、我が妹」


一度溢れた言葉は止まらない。モルガンは少女に捲し立てた。


「あの子が何をしたと言うのです。どうせ頭が春の女が言うことだ。またロージーに罪を着せたのでしょう?」


「そうだとして……証拠はあるの?」


それは……無い。オルテンシアが容易く認める訳が無い。拳をきつく握った。


「先走るのは貴方の良くない癖よ、モルガン。だから貴女達は幽閉されるの」


それは違う、とモルガンは叫んだ。


「何を抜かす!そもそもお前は我が高祖母をこの塔に閉じ込めるつもりだったのだろう!?死んでも尚、永遠に!」


オルテンシアは甘い言葉で誘い我が高祖母をこの世界に連れて来た。幸い、少女の計画は失敗に終わったが。


「貴様の予定は既に失敗している。何を企んでいるかは知らんが、上手くいくなど思わないことだ」


半ば喚き散らすだけになった気もするが、ごちゃごちゃ言われる前に帰ろう。モルガンは足元に転移魔法を施した。


「報告も終わったことですので、失礼します。では」


発動音の後、部屋は沈黙に包まれる。遠くから紅茶を運ぶ音が聞こえた。ぴたり、部屋の前で音が止まった。


「入って頂戴」


「失礼します」


テュリーが扉を開けてオルテンシアを視界に入れたが、部屋の雰囲気を感じて顔を顰める。


「この気配……塔の魔女が来たんですね」


「そうよ。相変わらず賑やかな人だったわ」


どっかりとカウチに座ると、傍のテーブルに淹れたての紅茶のカップが置かれた。


「どちらです」


「次女よ。長女の方は来ない」


「魔女アルチーナとモルガン。塔の魔女にして、奔放な魔女……」


少女の喉に香りの良い紅茶が落ちていく。執事は思案の後、呟くようにして言った。


「やはりエリックスドッター家を塔に置くのは間違いだったのでは」


「良いのよ。あれで」


熱々の紅茶の温度を無視して喉に押し込むと、少女は立ち上がる。


「行きましょ。今日はぺスカの王様とお話でしょ」


「はい。何でも収穫を増やしてして欲しいのだと」


アミティエを足元に寄せて侍るテュリーに、少女は無関心に言い放った。


「王様次第かな」


『余興』。確かにこんなものは余興だ。おかしいことは分かっている。それでも。一度初めてしまったのなら、貫き通さなければならない。


それを終わらせる者がいない限り。

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