第5話 寮母の縁談

「私に、縁談?」


 レティシアが素っ頓狂な声を上げると、目の前にいるレティシアの祖母は満面の笑みで微笑んだ。それはレティシアがアスールと星空を一緒に見た次の日の夕方、レティシアが洗濯物を取り込んでいる最中のことだ。


 寮母を引退した祖母はレティシアの寮母としての様子を見にたまに寮へやって来る。この日もレティシアの様子を見に来たのだとばかり思っていたが、どうやらそれだけではなかったらしい。


「お前ももういい歳だ。そろそろ頃合いかと思ってね」

「いや、私まだ十八だし、寮母になって二年しか経ってないんだけど!?」

「なーに言ってるんだい、私もあんたの母親もお前の年の頃にはもう婚約していたよ。それに別に結婚したって寮母は続けられるだろう。私だってお前の母親だって結婚して子供を産んでからも寮母やってるんだ。それにお相手の家も仕事に関して理解してくれてるよ。お相手の人も、もちろんそのはずだ」


 ふふん、と祖母は腕を組みながらドヤっている。


「そ、そんな急にそんなこと言われても……っていうか、なんでこんなところでそんな話急に始めるの?みんな見てるじゃない!」


 二人が話していたのは任務を終えた団員たちが寮に戻って来る時間で、ちょうど帰ってきた団員たちがレティシアと元寮母であるレティシアの祖母を見ながら驚いた顔をしている。


 レティシアは思わずアスールの姿を探すが、アスールはまだ戻ってきていないらしい。ホッと胸をなでおろしていると、どこからか強い視線を感じる。その視線の方向に目をむけると、団員たちの中にブランシュを見つけた。ブランシュは驚いた顔でレティシアをジッと見つめている。


「と、とにかくその話はあとで私の部屋でして!」


 レティシアが叫ぶと、祖母はやれやれと肩をすぼめてあたりを見渡した。その祖母の瞳に一人の男の姿が映る。長めの黒髪を一つに束ねたその男ノワールは、祖母の顔を見ながらへぇ、と不敵な笑みを浮かべた。






「レティシアに、縁談……?」


 アスールは驚いた顔でそうつぶやくと、ノワールは夕方に見た光景をアスールに伝えた。


「その後、レティシアがばぁさんにどう返事したかは知らないけど、あのばぁさんのことだから有無を言わさず縁談を進めるだろうな」


 ノアールの話を聞きながら、アスールは身体中から血の気が引いていくのを感じていた。あのレティシアが結婚するかもしれない。それはいずれ訪れる遠い未来だと覚悟はしていたがまだ先の話だと思っていたし、それまではきっと自分の気持ちの整理もどうにかしてつくはずだと高を括っていたのだ。


 だが、それは遠い未来の話ではなくなってしまった。今、現在進行形でレティシアの身に降りかかっている。あの可愛いレティシアが、他の誰かと結婚してしまうかもしれない。そう思っただけでアスールは吐き気がしてきた。


「おい、大丈夫か?」

「……大丈夫なわけがない」


 絞り出すようなアスールの返事に、ノワールは苦笑した。


「お前がのんびりとお兄ちゃんポジションに甘んじている間に、レティシアは誰かの奥さんになっちまうかもしれないんだぞ。それでいいのか?」


 その言葉に思わずアスールが顔を上げノアールを見る。その顔は憎悪にまみれた顔で、ノアールは思わずおっかねぇな、とつぶやいた。だが、憎悪にまみれた顔は一瞬で表情が無くなり、瞳から色が無くなる。


「……俺みたいな腑抜けた男より、その縁談相手の方がレティシアを幸せにしてくれるかもしれないな」


 ぽつり、とアスールがつぶやくと、ノアールは眉をしかめて目を細めた。


「お前、本当に救いようのない馬鹿だな」







 レティシアが祖母から縁談話を持ち掛けられた翌日。レティシアはいつものように朝食を準備していたが、その動きはいつもより覇気がない。


(どうしよう、昨日の話が頭から離れなくて仕事に集中できない。どうしておばあちゃんは突然あんなこと、しかも団員のみんなに聞こえるようなところで言うのかな)


 はぁ、とため息をつきながらテーブルに朝食を並べていると、団員たちが次々とやってきて席に座りはじめる。


「なぁ、結婚するのか?」

「きのうの話ほんとなの?僕、驚いちゃった」

「なんだよその話、詳しく聞かせろよ」


 昨日の話を聞いていた団員がレティシアに質問すると、あの場に居合わせなかった団員が興味深そうにさらに質問してくる。


「ああもう、いいから黙って朝ごはん食べてよ」

「なんだよ、教えてくれよ!俺たち気になってこれからの仕事が手につかないかもしれないだろ」


 レティシアが反論しても団員は粘って話を聞き出そうとする。困ったレティシアが適当に話を切り上げてその場を後にしようとしたその時。


 ダンッ!!!


 机を思いっきり叩く音がして、その場の誰もが驚く。音のする方を見ると、そこには机に拳をたたきつけ、鬼の形相をしたアスールの姿があった。


「お前ら、いい加減にしろ。これ以上ごたごた言って寮母の手を煩わせるようだったら朝食は抜きだ。さっさとここから出ていけ」


 地を這うようなドスの効いたその声に、その場が凍り付く。禍々しい怒気を発しているアスールの横では、ノアールがしれっとした顔で朝食を食べ始めた。


 団長の恐ろしい形相に、さっきまでレティシアに絡んでいた団員たちもすっかり大人しくなった。レティシアはホッと胸をなでおろすが、アスールを見て胸の奥がチクリと傷んだ。


(団長は昨日の話、どこまで知っているんだろう)


 団員の騒ぎにあれだけ怒っているのだ、寮母の縁談話なんてくだらないことで団員の指揮が下がることに怒っているのかもしれない。アスールに迷惑をかけてしまったと思うとレティシアは苦しくなる。


(きっと団長にとっては私が結婚しようがしまいが関係ないかもしれない。でも、私は……)


 胸の内に広がるモヤモヤを振り払うかのように、レティシアは頭をブンブンと振り、朝食のおかわりをねだる団員の元へ駆け寄った。そしてそんなレティシアとアスールの様子を、ブランシュは真顔で静かに見つめていた。




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