23 説得・サクナ・力

〈故知らぬ聖地〉に着いたのは、夕方だった。

 夕陽が射し込み辺り一面が橙色の絨毯になっていた。その奥には夕陽を背に聖樹が堂々と立っている。

まるで絵画の一部を切り抜いて飾ったかのようだった。

 夜とはまた違った表情を見せる姿に、チーリとイーゴは思わず見惚れていた。

 背後から人の気配を感じ、二人はバッと振り返る。

「イーゴ、ここは聖地だ。早急に立ち去ってくれないかな」

 ナーグが剣を構えている。その背後にも武器を持った男たちがいた。

「悪いね、ナーグ。私たちも用があって来てるんだ。帰れと言われて帰るくらいなら、こんなところへ来ていないさ」

 そう言いながらイーゴは一歩前に出た。

「イーゴ、君は僕たちの同胞だ。傷つけたくはない」

「優しいね、ナーグ。その優しさに甘えさせてもらおうか。尋ねたいことがあるんだけど答えてくれるかい?」

「…内容次第だ」

「チーリがね『星の娘』に用があるんだ。彼女に会わせてくれないか?」

 イーゴはそう言い終えるや否や、チーリの背後目がけて何かを投げた。

 何を?と思う間も無く、背後でドサっと人が倒れる音がした。弓を手にした男だった。

「私がついてるんだ。チーリをどうにかできるなんて、思わないことだね」

 ナーグたちがジリジリと距離を詰めてくる。

「『星の娘』は今日も聖樹の中かい?」

 チーリたちを囲んでいる男たちは誰も答えない。

「だんまりかい?悪いけどね、私たちには時間がないんだ。答えてくれなきゃ、体に聞くことになるけど大丈夫かい?」

 イーゴは短槍を抜くとピシッと宙を打った。

「さあ『星の娘』はどこにいるんだい?」

 ナーグたちはイーゴを恐れ一定の距離を保ったまま近付いてこない。しかしこのまま時間を無駄にするわけにはいかない。

 その時、聖樹の側から誰かが歩いてくるのが見えた。イーゴも気付いたのか一瞬そちらに注意を逸らした。

 その瞬間、一人の男が剣を手にイーゴ目がけて突っ込んできた。

「イーゴ!」と叫んだ時には既に、男が地に倒れていた。

「双方とも武器を下ろしてください」

 聖樹の側から歩いて来たのはローレルだった。

「どちらも〈メス〉の民の子孫です。私たちが血を流し合うことを『星の娘』は望んでおりません」

 ローレルはチーリに歩み寄ってきた。武器を構え警戒しているイーゴに「大丈夫だよ」と伝え、彼女の方へ一歩進み出た。

 ローレルはチーリに近づくと膝を着き頭を下げた。

「先日は『星の娘』が失礼致しました」

「ローレルさん、顔を上げてください」

「重々礼を尽くせと言われておりますので」

「もう十分です。それよりも、彼女に会うことはできますか?」

「…ええ、それは可能です。しかし、一体どのようなご用件でしょうか?」

「それは、彼女にしか話せません。ごめんなさい。だけど、危害を加えないことは約束します」

 ローレルはしばらく逡巡したあと「分かりました。彼女は先日と同じ場所で休んでおられます」と通してくれた。

 周りの男たちが「侍女様!」と制止したが「構いません」と相手にしなかった。

「ローレルさん、イーゴは…」

「それはできません。あの場所へ入ることは『星の娘』とあなただけにしか許されていませんので」

 イーゴを見ると、彼女は笑っていた。

「チーリ、大丈夫さ。行っておいで。私はここでこいつらを躾けておくさ。アンタの話が終わったら、ちゃんと言うことを聞けってね」

「私もついております。イーゴ様がお怪我なさらないよう見ていますので、安心してください」

 少し不安だったが、イーゴなら大丈夫だろうと言い聞かせその場を後にした。


 また聖樹の根元にある扉を開き中へと入っていく。前回と同じように蝋燭だけが仄かに光っている。この光景は好きになれそうになかった。

 しばらく歩き大きな扉を見つけた。前回よりもかなり早く到着したように感じた。

 扉を開き中に入り、ポツンと置かれた椅子に目をやる。今日は誰も座っていない。

(『星の娘』はどこにいるのだろうか?)

 そう考えていると背後で扉の開く音がした。

「きゃあっ」

 扉を開けた『星の娘』はまさか誰かがいるとは思わなかったのだろう。チーリがいたことに心底驚き尻餅をついていた。

 しばらく待ってみたが彼女が起き上がりそうな様子はなかった。

「あの、驚かせてしまってごめんなさい。話があるんですが、中で話しませんか?」

 そう言っても彼女は動こうとしなかった。

「…抜けたの」

 しばらくしてようやく何か言っていることが分かった。しかしあまりにも小さな声だったので内容まで聞き取れなかった。

「なんて…」

「腰が抜けちゃったの…」

 あまりに予想外のことに笑いそうになったが、それはなんとか堪えた。

手を貸して彼女が立ち上がるのを手伝い、椅子まで付き添った。

「あなたね、未来が見えるんでしょ。あんな所で立ってるんじゃないわよ、まったく」

「はあ…」

 彼女はチーリをきつく睨んでいる。

チーリは彼女が前回会った時とはかなり印象が違うことに驚き、何も言えないでいた。

「それで私に何か用かしら?」

 そう言われてハッと我に帰った。

「そうでした。ごめんなさい。俺たちには時間が無いので、結論から言います」

 そこまで言い、ふと彼女の名前を知らないことに気がついた。本人を目の前にして『星の娘』さん、というのはどこか間違っているような気がした。

 続きを待っていた『星の娘』は「早く言いなさいよ」と急かしてくる。

「…その前に、お名前教えてくれませんか?」

「えっ?」

「いや、名前を呼ぶ時に本人を前にして『星の娘』さんって何かおかしいなって思って。名前を知っている方が、これから話しやすいかなって思うんですけど…」

 彼女は戸惑っているようだ。「でも」や「それもそうね」など、ぶつぶつと小さな声で呟いている。そうして搾り出すような声で「サクナ」と言った、ような気がした。

「サクナさん、ですか」

「何?」

「いえ、あまり聞きなれないですけど、キレイな名前だなって思って」

「あなたね、話があるんじゃなかったの?」

 サクナは呆れているようだが、その声はどこか嬉しそうでもあった。

「サクナさん、戦いをやめませんか?」

 少し柔らかく感じていた彼女の様子が、スッと冷たいものに変わった。

「あなた、そんなことを言いに来たの?それはできないわ」

「話を聞いてください」

「いいえ、無駄だわ。私たちはあなたをずいぶん長い間待っていたわ。その間ずっと戦う準備をしてきたの。それが整って、そしてあなたを見つけた。なのに、あなたは私たちが間違っていると言ったのよ。その時に思ったわ。もう、これ以上待っていられない。あなたが頼りにならないなら、私たちの手で戦うしかないって」

「サクナさん、あなたたちは何故戦おうとしているんですか?」

「…あなたも知っているわよね。前にも話したわ。あなたは違うと言っていたけどね、バウリット様が取り戻そうとした、私たち〈メス〉の民の安住の地を取り戻すためよ」

「それが間違っているんです」

「ええ、それも前に聞いたわ。あなたの口からね。だけど、私はそうは思わない。わたしたち『星影』は遥か昔からその為に準備し時を待っていたの。それがどれだけ長く辛いものだったかあなたには分からないわ」

「あなたたちが長年準備をして来たこと、そしてその間どれだけ辛かったのかということは、確かに俺には分かりません。だけど、それでもあなたたちが間違った道を行こうとしていることは知っています」

「知っている?それはあなたの力で見た、ということかしら?」

「いいえ、違います」

「なら見てみるといいわ。私たちが戦う、その結果を。私たちは決して負けないわ」

 サクナはとても興奮している。以前会った時のような、どこか超然とした様子は感じられない。

「それはできません」

「それは私たちが正しいということを、あるいはあなたが間違っているということを認めたくないからでしょ」

 チーリは静かに首を振る。

「俺はもう、力を手放したんです」

 それまで勢いよく話していたサクナが、黙ってチーリを見つめている。

「俺はもう力を使えません」

「…なぜ?」

「この前ここでバウリットの声を聴きました。そこで彼の想いを知り、それを遂げる為に力を手放したんです」

「バウリット様の想い…?」

「そうです。何度でも言いますが彼は、父祖の地を取り戻すことなんて考えてなかった。それは周囲の人間が作り上げた虚像です」

「では、彼は一体なんのために戦っていたっていうの?」

「それは…俺が言うより彼の口から直接聴いた方がいいでしょう」

 サクナはキョトンとしている。「彼から?」

「ええそうです。俺は、後一回だけ彼の声を聴くことができます…いや、違いますね。バウリットが後一回だけ声を聴かせることができると言った方が正確です」

「何を言っているのか分からないわ」

「そうでしょうね。ただ、今は全て話をさせてください。おそらく彼の話を聴いたあと、俺は疲れ切っているでしょうから」

 サクナは手だけで話を続けるよう促した。

「俺はバウリットの話を聴きながら、力を手放しました。それが彼の想いに応える一歩になるからです」

 そこで言葉を区切る。これから言うことは恐らく彼女を大きく傷つけることになるだろうと、ずっと考えていたからだ。だが、時間は限られている。

「事後報告になって申し訳ないのですが、力を手放したのは俺だけじゃないんです」

「それはどういうこと…?」

「時間が無いので理由は省きます。俺が力を手放したことによって、全ての〈メス〉の民、これから産まれてくる者も含めて全てから、力は失われました」

「それって…つまり…」

「そうです。〈メス〉の民を〈メス〉の民たらしめていた『力』が今後発現することはありません」

「あなた、なんということを…」

「それが『黒耳の童』のすべきことだったんです」

 サクナはふらふらとどこかへ歩いて行った。そして戻って来た時には手に短刀を手にしていた。

「あなたを一瞬でも、私たちを救ってくれる人だと考えた私がバカだったわ」

「サクナさん、バウリットの話を聴いてください。この聖樹の中なら、もう一度だけ聴くことができます。その後、まだ俺のことを殺したい、ルータンス王国を倒したいと思うなら、俺はもう止めません。俺を殺し、そしてルータンス王国と戦ってください」

 サクナしばらく短刀をじっと見ていた。それから顔を上げると「分かったわ」と言い、短刀を放り投げた。

「話を聴かせなさい」

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