16 旧友
(必ず話すからさ、か…私は一体どんな顔をして、あの子と話すつもりなんだろうね)
部屋を去ったのはチーリを休ませるべきだと考えたこともあるが、それよりも向き合うことから逃げたかったからだ。
「ドイ」としてならどれだけ敵意を向けられても耐えられたかもしれない。しかし、もう仮面は捨てたのだ。今は、ただのイーゴだ。決心を固めて向き合わないといけない。私が辛い顔で接することは許されない。
(それにしても、かなり動けるようになっていたな。私が去ってからも鍛錬を怠ることは無かったのだろう。いくら先の動きが分かるといっても、体がしっかりしていないと意味がない。それにあの頭巾。あんなにボロボロになってもまだ持っていたなんてさ)
そんな権利はない、と思いながらもチーリとの再会が嬉しかった。
王城に戻るにしてももう少し経ってからがいいと思い、しばらく夕方の街を歩いて過ごすことにした。
「下層」とも呼ばれる市民街は確かに、「上層」とは比較にならないくらい人も街も汚れている。日中に出会う人々の顔にはほとんど笑顔がない。彼らはその日その日を生きていく為に稼ぐことに必死なのだ。
それでも日が沈み暗くなるにつれて、彼らの表情に明るさが満ちてくる。
辛い仕事を終え家族や仲間のもとに帰り、一日の疲れを吹き飛ばすかのように笑い合って過ごすのだ。酒場はいつも喧騒に満ちていて、家が並ぶ通りには子どもたちの笑い声が響き渡る。家族や仲間との時間を楽しむことについては「上層」の人々では歯が立たないだろう。
そんな「下層」に暮らす人々のことを、イーゴはとても気に入っていた。
幸せは人それぞれだ。
金を稼ぎ権力を手に入れ、何事も自分の思い通りのままだと嘯く「上層」の人々。
明日どうなるのか分からないが、家族や仲間と過ごす喜びを知る「下層」の人々。
そのどちらの幸せも自分には手に入らないものだ。
少しずつ明るさを取り戻す人々の様子を眺めながら街を歩いていると、ふいにどこからか見られているような気配を感じた。
気配を辿ると一人の男がこちらをじっと見ていた。
年頃は三十代半ばくらいでイーゴと近そうだ。がっしりとしたその体に身につけているものは遠目でもボロボロなのが分かった。前髪がだらしなく目に掛かっている。
どうにも好感を抱けそうになかった。
イーゴがしばらく視線を返しても逃げることなく、こちらを見続けている。
面倒に巻き込まなければいいけど、と考えながら男に近付くことにした。
「あんた、私をずっと見てるけど何か用があるのかい?」
近寄ってよく見ると、男の顔に見覚えがあるような気がした。
(どこかで会ってるのか?「ドイ」として会っていたとしても今の私に気づくことはないだろうけれど…)
「おお、その声はやはり間違いないな。君さ、イーゴだろう。ほら覚えてないかい?サシャの従兄弟のナーグだよ」
ナーグという名前を聞き、昔の記憶が蘇ってきた。
ナーグに対して良い印象は全く無かった。
このナーグという男はサシャの従兄弟とは到底思えないほど鈍臭くぼーっとした男だった。ひょろっとして頼りなくしょっちゅう年上の男たちに泣かされていた。困っていたサシャにお願いされよく助けたものだ。黒狼団に捕まった時もサシャを探すイーゴに「早く俺たちだけでも逃してくれ」とせがんできていた。
しかし今目の前に立つ男は辛うじてナーグの名残があるだけで印象はかなり違っていた。かなり日に焼け体つきもがっしりしている。十五年以上近く会っていないとはいえ、それでも記憶にある姿とのあまりの違いに困惑した。
「アンタ…本当にナーグかい?」
「はは、昔と違ってかなり男らしい姿になったからね。君が疑うのも無理はないかもしれないね。けどさ、ほら見てごらん」
そう言い前髪を掻き上げると覚えのある火傷の跡があった。
まだ幼い頃に祭りで負った火傷だ。ナーグや同年齢の男たちがふざけて松明を振り回しそれがまともに顔に当たったのだ。彼が喧しく泣き叫ぶ声は今でも思い出せる。
「じゃあ、アンタ本当にナーグなのかい?」
「この火傷ができたときは一生残るなんて、と悲しんだけど今になって悪くないと思うようになったよ。こうして馴染みに会った時に簡単に思い出してもらえるからね」
ヘラヘラ笑っているナーグは確かに彼だった。嫌悪感が押し寄せてくる。
「そりゃ良かったね。じゃあ、私は用があるから」
そう言って去ろうとしたが「ちょっと待って」と腕を掴まれた。
しまった、と思ったのは彼を投げてからだった。
周りにいた人たちが何事かとこちらを見ている。
(やれやれ…)
手を伸ばしナーグが立つのを助けた。彼は顔を真っ赤にしている。
「いやー久しぶりに会っても君は変わらず逞しいままで何だか安心したよ。ただこれだけ人がたくさんいるところで女の人に投げ飛ばされるのはかなり恥ずかしいから、勘弁してほしいかな」
どうやら怒ってはいないようだ。面倒になる前に次こそは本当にここから離れよう。
「…はあ。私も悪いけどね、急に後ろから腕を掴まれたんだ、許しておくれよ。じゃあ本当に私は用事があるからさ」
「いや、ちょっと待ってって。話があるんだ」
顔の前で手を合わせこちらを伺っている。それは無視することにした。
「あー痛いなー。さっき投げられて腕を怪我したんだろうなー。あー痛いなー」
背を向けて去ろうとしたイーゴの後ろで喚いている。こちらに好奇の目を向けてくる人がかなり増えてきた。
こういうところが本当に嫌いだった。
「分かった、話を聞いてやるからまずは黙りな」
ナーグはニヤッと笑い歩き始めた。
「人が多いところじゃちょっと…さ。なんだか注目を集めてるみたいだし。ついてきてくれよ」
小話を聞きながらしばらく歩いたが、その間十回以上は殴り倒したい衝動を堪えなければならなかった。
かなり人取りの少ない通りに出た。一軒だけポツンと料理屋がある。そこはまだ開店していないようで女将らしき女性が忙しなく動いている。準備に忙しいのだろう。中から女の子のはしゃぐ声が聞こえてきた。
「すみませーん。ちょっとだけ椅子をお借りしてもいいでしょうか?」
信じられなかった。
女将も同様のようでかなり戸惑った表情でイーゴを見ている。
「お忙しいところ申し訳ありません。気にしないでください」
女将に頭を下げたあと、ナーグの脇腹を思い切り小突いた。
呻くナーグを引きずり人影のない裏路地に入った。
「ほら、ここなら人目は気にしなくていい。さっさと話して解放しとくれ」
「君さ、昔よりさらに乱暴になってないかい?」
「話が無いなら私は行くよ」
「すまない、ちょっとした冗談じゃないか」
そう言うナーグの顔から先ほどまでのヘラヘラした態度が消え去っていることに気がついた。
「イーゴ、僕たちはずっと君を探していたんだ。そして今日君に会って僕は確信した。君は僕たちにとって欠かすことのできない人だ。僕たちのもとへもう一度帰ってくるつもりはないかい?」
「僕『たち』って?」
「そのままの意味さ。僕たち、森の奥で幼い時を過ごした仲間のところさ」
黒狼団の元から逃して以降彼らがどんな暮らしをしているのか全く知らなかった。気にさえしていなかったが、今も同じところで過ごしているのだろうか。何にせよイーゴは二度と戻るつもりはなかった。
「アンタたち、今も一緒に暮らしてるんだね。そりゃ良かったじゃないか。ただ、私は戻るつもりなんて全くないよ。せっかく声を掛けてくれたのにすまないね」
「いや、戻ってくれないと困る。さっきも言ったが君は僕たちにとって欠かすことのできない人だ。あるいは戦力と言い換えてもいいかもしれない」
「アンタたち一体…?」
「僕たちは君に逃してもらって以来、影に隠れて住むだけの生活を放棄したんだよ。ずっとちまちまと嫌がらせにも似た真似をしてきた。それは蔑ろにされた僕たちのささやかな反抗だったんだ。奴隷にされようと仲間以外誰も案じてくれない。森で出会えば気味が悪いと攻撃される。それを一体この国の誰が助けてくれただろうか」
投げ飛ばした時よりも顔を紅潮させ早口に捲し立ててくる。
「アンタ、ちょっと落ち着きな。一体アンタたちは何をしてるんだい?」
「言ったろ。僕たちは隠れて住む生活を放棄したんだ。知ってるかい?今、この国では森や畑が荒らされ、庶民の暮らしはより厳しくなっている。それは僕たちからルータンス王国への最後通達だったんだ。それを受け止め、王が僕たちのような下々の民の暮らしをなんとかしようとするなら、僕たちと向き合うなら、止まるつもりだった」
「じゃあ最近各地で起きていたことは、アンタたちの仕業だっていうのかい?そんなことできるはずがない」
「僕たちには準備と覚悟がある。やろうと思えばどんなことでもできるのさ」
話しているうちに表情がどこか恍惚としたものに変わっている。気味が悪くなってきた。
「僕たちはね、すでに戦う準備を終えようとしているよ」
「一体誰がアンタたちを戦いに向かわせているんだい?アンタたちだけじゃそんな事できないだろう」
「星の娘が言うには、僕たちの元に星が舞い降りようといているそうだ。それを感じ取った彼女が我々『星影』を率いて下さっている」
「星の娘っていうのは?」
「イーゴ、君は知っていたかい?僕たちは昔この地で平和に暮らしていた。しかし、そこへ今のルータンス王家がやってきて安寧を乱したんだ。そして戦いに敗れた僕たちの祖先は森に隠れ住むことになったんだ。星の娘は、かつて僕たちの祖先を率いて戦ったものの意思を継ぎ、隠れて戦い続けてきた『星影』、それを率いてきた者だ。意志は途切れることなく紡がれてきたんだ。僕たちは今こそ父祖の地を取り戻すべきなんだ」
話が段々と嫌な方向へ進むのが感じられた。彼らは自分たちが〈メス〉の子孫であることを知っているのだ。ならば『星が舞い降りようとしている』というのはおそらくチーリの事だろう。
「アンタたちが言う舞い降りてくる『星』っていうのは誰のことだい?本当にそんな奴がいるのかい?」
「それは僕には預かり知らないことさ。ただ、星の娘は、はっきりとその者の存在を感じ取れるとのことだ。その者の存在に後押しされ僕たちの活動は勢いを増していったのさ。そして今や戦う準備が整いつつある」
「それでアンタたちはどうしたいんだい?」
「まずはイーゴ、君を星の娘に会わせたい。君の話をして以降、彼女は君にとても惹かれているようだ」
ここで彼の誘いに乗ることもできたが、まずはサージに相談すべきだろう。
「悪いね、こんな怪しい話に『はいそうですか』と飛び付くことはできない。少し考える時間をくれないか?」
「当然だ。僕としても今日すぐに君を連れていけるとは思っていないよ。二日後同じ時間にここで会おう。その時に答えを聞かせてくれ」
「分かった」
「良かったよ。絶対に断られるだろうと思っていたからね。…まぁその時のために君の興味を惹く話を隠していたんだけど」
「…どんな話だい?」
「君が話を聞いてくれたからね、もう必要のない話さ」
「アンタね、中途半端に話をされるのが一番気になるって知らないのかい?」
「そっか、それもそうだね。もう少しだけ時間は大丈夫かい?用があると言っていたけれど」
「あれはアンタと話すのが嫌だったから言っただけさ。話しておくれ」
本当に殴ってしまいそうだ。何でもいいから早く話が終わって欲しかった。
「傷つくなー。まあいいか。よく聞いてくれよ。君の親友だったサシャの話さ。彼女、あんな狭い世界で暮らしていたのに、それにしては視野が広かっただろう。みんながあのまま狭い世界で生きていくこと、それを当たり前に感じていたのに彼女だけは違っていた」
「そうだね。同じところで暮らしながら、なんでこんな事考えられるんだろうって思ったもんだよ。それが?」
ナーグは何故かニヤニヤしている。
「彼女はね、当時から、星の娘と会っていたのさ。イーゴ、君が大好きだったサシャはね、星の娘と頻繁に会い、彼女の考え方に魅せられた、そのうちの一人に過ぎなかったのさ」
言葉を失っているイーゴに「じゃあいい返事を期待しているから」と言いナーグは夜の街に消えて行った。
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